♯ 10
取り合う必要はない、わかっていてもどうしても鼻につく奴がいる。
青にとって、春日はそんな存在だった。はじめて会話を交わした時に、周囲の人間をおざなりにしか見ていない、そう指摘されたのが長く尾を引いているとも考えられないこともなかったが、たぶん何より、理屈抜きに肌質が合わないのだろう。
蒼汰の苦笑交じりの困った顔をよそに、青は春日を振り返る。外見ではまるで対照的な二人が対峙するこの光景は、映画部では時々見られた。
背の高い青に、女子より低い春日。
細身の青に、ずんぐりむっくりのメタボな春日。
髪型も服装も、何から何まで同性の目から見ても春日に軍配を上げられる要素は何一つない。なのに、たぶん、そんな春日を一番まともに相手にしているのは青本人だった。
青は春日の前に立つと、眼鏡を一度さわり、正面から睨み据えた。
「何が言いたいんだよ」
春日は首の埋まった肩を僅かに竦め、暑苦しい前髪の向こうから青をじっと見つめた。
「興味ないんだったら、厭味ったらしく出て来ないでほしいって言ってるんです。どうせ、アンタは黙っててもチョコレートの一つや二つ、もらえるんでしょ。いつも当たり前のように貰ってる。だから、渡した相手がどんな思いでそれを準備して、どんな決心で渡したか何か考えもしないんだ」
春日は語気を荒げて一気にまくし立てた。
冷やかし半分の空気が僅かに変わる。
いつものように二人の喧嘩を面白がって遠巻きに見ていた男子達の目の色に好奇とは違う、どちらかと言うと討論に耳を傾けている人間に近い色が灯り始めた。
「馬鹿らしい? だったら出て行けよ。この中には本気で用意してきた奴だっているんだ。そんな他人の気持ちを鼻で笑うようなんだったら、参加しなけりゃいいじゃないか」
別に好きで来たわけじゃない。教授からの念押しがあって仕方なく参加したんだ。じゃあ、お前には押しつけられた方の気持ちは知っているのか!? 本気なら、一対一でサシで渡せよ。
そんな言葉が青の中に渦巻くが、すぐには声にはならなかった。
春日の剣幕に押されたのではない、その後ろの男性陣の空気に一瞬気おくれしてしまったのだ。
嫉妬、と言ってしまえばそれまでだが、それを煽るような無神経な青の態度に非がないわけでもなかった。普段は、それでも青の言動はさほど男子達の鼻につきはしない。
イケメンだという事を鼻にかける様子もなければ、性格にいたっては結構地味だし、派手に遊ぶタイプでもないからだ。
しかし、今日だけはそういうわけにもいあかなかった。
なんていたって、バレンタインなのだ。
つまり、男としての勝者と敗者がくっきり冷酷なほどに二分される日。
無条件に、そこにいるだけで女子から当たり前のようにチョコレートを貰える男子に、努力の上緊張して息をひそめながらこの日を迎えた男子が優しくなれるはずもなかった。
青はじっと唇を閉じ、春日を見据える。
どこかで、奴の言う事を全否定できない自分がいて、自分の中の反発心を出せないでいる。
ただ、このままだと胸糞が悪い。
どうして、こいつにそこまで言われないといけないんだ!? そんな悔しさのかけらが胸の底にゴロ付いて忌々しい。
「あのな……」
青がなにも思いつかないまま、口を開きかけた時だった。
「まぁ、ええやん。なんでも」
大きく明るい声がその重苦しい空気を吹き飛ばしたのは。
その声の主は誰でもない、もちろん部長である蒼汰だった。
蒼汰は二人の間に割って入ると、両方の肩に腕をまわし、ウンウンと大仰に頷く。
「二人の気持ちはよぉわかる」
「何がわかるんだよ」
「わかるねんて」
ようやく言葉になった青の言葉を封じ込める様に、蒼汰はやや強引に声を被せた。
「そらな。世の中不公平や。方やベッピンの彼女がおる身」
ポンと春日の背中を叩く。
「片や、この2年間彼女おらん身」
今度は青の背中を叩いた。
その瞬間、青と春日の立場が逆転する。
確かに、そうだ。青はモテるかもしれないが彼女がいない、一方、春日の方は、みてくれは確かにけっして羨むようなものではないが彼女は学祭クイーンのあのスミレだったりする。
状況だけで言えば、むしろヒガミの対象は青ではなく、春日ではないか!?
一気に情勢の方向が変わった。
さっきまで青に向けられていた突き放すような視線が春日に向き始める。
蒼汰はそんな単純な可愛い後輩達に苦笑しながら、皆の背中を叩くように言葉を続けた。
「ほら、見てみ」
蒼汰が天井を見上げる。みな、思わずつられて顔を上げた。
「このデコレーション。張り合ったり、虚勢を張りたいのはわかるねんけどな」
一同の目に映ったのはこちらがはにかみたくなる程に、乙女チックな天井だ。
「どう見たって、これは女子の、女子による、女子の為のイベントやろ。俺らは所詮オマケやねんて。選ぶのは女子なんやし、今日は俺らの人権は置いといて、女子の為に盛り上げてやろうやんか」
どこかの大統領の演説の真似をしてそう言うと、蒼汰は二人の間を通り、自分の包みをテーブルの上に置いた。
そして、すっかり毒気を抜かれた二人を振り返ると
「ま、春日君、もてへん先輩のヒガミは許したって」
と、冗談と皮肉の中間の様な事を言い、他の男子にもチョコレートを置くようにうながした。
チョコレートを順番に置いていく同級生達の中には、春日の背中に「男は見ためじゃないからさ」と激励のつもりかそう声をかけていく奴がいた。
嘘つけ。
春日は舌打ちを噛みしめる。
人間、なんだかんだ言っても見た目はかなり重要だ。どこの世界に不細工を端から恋愛対象にする奴がいる? 結局見た目である程度の気が引けなければ、人柄やその他の能力まで知りたいなんて思うはずがない。
もし、仮に本気でそんな風に思うなら、自分と体を交換でもしてくれるのか? と半ば本気で思いもする。
あの冷酷人間の園田青と自分、どちらに生まれ変わるか訊けば、ほぼ全員が奴だと答えるだろう。
普通の不細工なら、まだ努力のしようもある。
自分だって全く見た目に対して始めから放棄してきたわけじゃない。
ダイエットだって試みた事はあるし、それなりに髪形や服装、表情に話題……他人に気を使って自分を変えようとした事はある。
でも、その度に周囲の失笑をかい、自分で自分がさらに嫌いになってしまった。
チビでデブで近眼で一重で油症……どうしようもないのだ。
スミレと付き合うのだって、結局きっかけはあの冷酷人間だ。
同学年のスミレが奴を慕っているのを知っていて、奴がその気持ちを利用しているのが許せなかった。だから、学園祭の打ち上げの夜、奴を思いっきり殴った。
スミレにはそれが衝撃だったらしい。
その後、奴とスミレの間にどんな話し合いがあったかはわからないが、二人は距離を取り、彼女は自分に近づいてくるようになった。
告白も、半ば彼女からしてきたようなものだ。
彼女の事はもちろん嫌いじゃない。
生まれて初めてできた彼女だ。しかも、自分には手が届かないような美人で、付き合った行くうちにあの派手な外見や勝気な態度とは裏腹に、女性らしく真面目で優しいという所も見えてきた。
大切にしたい人だ。
でも、でもだ。
春日はさっきのスミレの態度を頭の中でリピートさせた。
青の腕に嬉しげに絡みつく彼女の微笑み。あれは、本当に奴への想いを捨てきった顔だったか? やっぱり、まだあの冷酷人間の事が忘れられないでいるのではないか?
不信感というより不安と言った方がふさわしいような弱気な思いが、脳内の側面にべったりとくっついて、簡単に離れてくれそうにはなかった。