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わたくしごと

怖い事象、痛い共感

作者: 茶樺ん

 怖いのが苦手です。


 ビルの上の方にいた時に地震に遭った事があって、それ以来、高い所が怖い時があります。

 普段は高い所から下を覗き込んでも何ともないのですが、普通に座っているだけで「このビルが倒れたらどうしよう」とか、ビルの傍に立っていて「このビルの窓ガラスが割れて落ちて来たらどうしよう」とか思い浮かんで、動悸が激しくなる時があります。

 考えなければ良いのですけれど、何故かそう思いついて、勝手に怖くなります。怖くなる切っ掛けとかは特に思い当たりません。


 ところで、怖いのが平気な人って、なんで平気なのでしょうか?平気ってなんなんでしょうか?


 地震自体は怖くありません。実際に被災した経験がないからかも知れませんが、普段は大きな揺れでも冷静に対応出来ていると思います。

 暗い所も怖くありません。灯りのない山の中とかでも、暗い事自体は怖いと思った事がありません。何か出て来そうな音がして、怖いと思った事はありましたけれど。

 幽霊とかも怖くありません。霊感ゼロなので、怖がり方が分からないです。

 でも手掘りのトンネルとかは怖いです。表面の凹凸に、掘った人の情念が感じられて、ぞわぞわします。通りたくありません。霊感ゼロなので手掘りと知らなければ何も感じない所は助かりますし、真っ暗で壁が見えなければ怖く感じないのも助かります。


 こんな風に怖い物は苦手ですが、他の人が怖いと言う物が怖くない事があります。

 怖くないのと怖いのが平気なのは違いますよね?同じでしょうか?

 怖いのが好きまで言われると、訳が分からなくなります。


 絶叫マシンが好きな人は、怖いのが好きなのでしょうか?怖いのが平気なのでしょうか?それとも怖くないのでしょうか?

 絶叫マシン好きの人の「怖くないから」は信じてないので、ちゃんとした判断が出来ません。怖くないなら乗る必要ないでしょうし、怖いなら乗らなければ良いのにと思ってしまいます。



 一方で、痛いのも苦手です。

 痛みには鈍感らしいのですが、でも苦手なのです。


 タンスの角に足の小指を()つけたら、痛いですけれど蹲った事はありません。「お前はまだホントにタンスの角に足の小指を打つけた事がないんだ」と言われても、反論出来ません。

 子供の頃サンダルで自転車に乗っていて、足の親指の爪を剥がした事があります。家に帰ってから気付いたのですが、気付くまでは痛みを感じていませんでした。気付いた後は痛かったのですけれど、私の中では「気付かなければ痛くない怪我」に分類されています。


 こんな風に痛みには鈍感なはずなのですが、痛い話を聞くのは苦手です。


 怪我や病気で大変だったとか言われても、その人に気持ちを寄り添わせる事が難しいです。痛い話になるともう駄目なのです。

 何針縫ったとか、麻酔が効かなかったとか、もう駄目です。耳を塞げる時は塞ぎます。塞げない時は逃げます。

 経験した事がないのに話を聞いただけでもう痛いのは、私は共感力が高いな、などとは喜べません。共感力はもっと他で発揮したいです。

 逆に経験した事があるタンスの角に小指とかは、「言うほど?」とか思って共感出来ません。爪を剥がすのも痛みを乗り越えられる事を知っているので、気持ちが離れてしまいます。


 私は痛いのが苦手じゃないのでしょうか?それとも苦手だと言っても良いのでしょうか?



 動物は痛みには強いそうです。

 顔に出ないだけで我慢してるんじゃないかな、とも思いますが、肉食獣に襲われた草食動物などは、骨が見えそうな怪我でも走って逃げています。

 それを見た草食動物仲間は「あ~あれは痛そうだな」と共感するのでしょうか?それとも「ライオンは恐ろしい」と怖がるのでしょうか?


 動物が生や死の概念を持っていれば、肉食獣に襲われる(イコール)死の危険と感じるでしょう。

 でも生死の概念がなければ、仲間が襲われていても自分が危険とは気付かないと思います。

 それなので襲われた仲間の姿を見て、痛さを共感するのではないでしょうか?痛さを共感する事で肉食獣を危険と認識するのではないかと思いました。


 実際に肉食獣に捕まった時には、痛がっていると逃げられるものも逃げられないかも知れません。それなので痛みには強いのだと思います。

 しかしあまり痛くなさそうに思ってしまうと危険を認識するのが難しくなるので、襲われた草食動物を見ている仲間の方は、あれは痛い、と感じているのではないでしょうか?



 人間も同じで、怖いのも痛いのも、実際より想像の方が強く感じるのかも知れません。未知の危険を避ける為には、その方が都合良く思えます。

 そして危険を経験して既知になれば、次に遭遇した時に冷静に対応する為に、感覚が下方修正されるのではないしょうか?


 興奮するとアドレナリンが分泌されて、怪我をしても痛みに鈍くなると聞きます。

 その経験があれば「大して痛くない」と思え、再度同じ様な状況に遭遇した時に、慌てたりしなそうです。


 ビルが壊れるのに巻き込まれたら「思ったほどではないな」なんて感想は出ないと思いますが、「どうしよう」なんて悩まずに素早く行動が出来る様にはなるのかも知れません。

 私の場合は怖がっていない時に、非常口や消化器の位置を確認したりするクセが付きましたので、万が一の時も逃げ出せそうです。


 そう考えると、高いのが怖いのも無駄じゃないんだ、と自分を納得させられそうです。

 痛い話もなるべく聞いた方が良いのでしょうね。同じ目に遭った時の為だけではなく、同じ目に遭わない為にも。


 手掘りのトンネルが怖いのも、「この岩を手作業でくり抜いてトンネルにしろ」なんて仕事から逃げ出す為には、必要な反応なのかも知れませんよね?

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