第七話 玄奘先輩
翌日、馬場のアパートへ迎えにやってきた人物は玄奘だった。黒い僧衣を着て、菅傘を被りっている。足には草履で、手に錫杖を持っていた。腰には巾着を下げて、背中にリュックを背負っていた。旅支度だった。
「今日は拙僧と一緒にダンジョン通いじゃ。二人でダンジョンに慣れろ、とのお達しじゃ」
仏さんは根津の報告を聞いて育成方針を変更した。玄奘は根津よりは弱いが、馬場よりは強い。異論はない。根津と一緒だと頼ってしまい、強くなるのが遅れそうだ。無双への道は長い。
ダンジョンの入口で玄奘は提案する。
「地下一階の入口付近で一戦か二戦して、互いの連携を確認するかのう。いけそうなら、その後も何回か戦ってみるとしよう。無理は禁物。それでいいかのう?」
ダンジョンの魔物は地下一階でも地上に出てくる魔物と比べれば強い。昨日に遭った強い魔物を出現させる罠に引っ掛かると、死亡もあり得る。慢心すれば帰ってこれなくなる。慎重なくらいでちょうどよい。
「宝箱が出たらどうします? 放置でいいですか」
「罠を外すには特殊な技術を持った者がいたほうがよい。拙僧の霊能力でも罠を外すことができる。じゃが、霊能力は戦闘に使いたいから放置でいいじゃろう」
玄奘の判断に異論はない。宝箱からどんな品物が出るかは気にかかるが、根津は地下一階で出る品はゴミと評価していた。二人で挑むのなら諦めたほうがよい。
方針が確認できたので、二人で地下一階に下りる。地下一階に下りると、昨日とは空気が違った。明らかに魔物が『いる』とわかる。
「なるほど、こちらが弱いと襲う気が満々なわけか。昨日と今日では大違いだ」
「そうじゃのう。ワシらも魔物もここでは両方が狩人じゃ。負けたほうが餌じゃ」
玄奘が歩き出す。どの経路で歩くかは玄奘に任せた。玄奘は他のメンバーと一緒にもう何度か来ているのか、歩き慣れていた。馬場は刀を鞘ごと出して腰に下げる。
数分も歩くと、玄奘が足を止める。
「おいでなすった」
足音はないが、闇の向こうに気配がする。気配は一つ。敵が一人なら俺一人でもやれる。馬場は駆け出した。矢が頭を目掛けて飛んできた。馬場は易々と矢を叩き落とした。敵の姿が見えた。敵は短弓を持ち、足軽の具足を身に纏った弓兵だった。
敵の武器が弓なら、距離を詰めてしまえばこちらが有利だ。勝つのは容易い。馬場が距離を詰めると、弓兵は二本目の矢をつがえる。二射目の矢も馬場は叩き落とした。距離的に三射目は撃てない。弓兵が弓を引き絞った時には、馬場は弓兵へ刀が届く位置にいた。
馬場は弓兵を斬りつけた。弓兵が弓を引き絞ったまま、後方に滑るように移動した。馬場の刀が空を斬る。かわされた。距離を空けた弓兵が矢を放った。近距離だったために、矢に充分に速度がない。馬場は矢を叩き落とす。
今度こそはと、斬りつける。だが、また弓兵が後方に移動する。常に刀の間合いを出ての下がり撃ち。
馬場は舌打ちした。このまま攻撃をかわされ続ければ、後続の玄奘との距離が離れる。だが、追いかけねば弓兵に一方的に攻撃され続ける。
「灯せ、長命寺源氏蛍」
勇魂武器の第一段階を解放した。弓兵が次の矢を放った時だった。馬場は矢を叩き落とさずに前に出た。矢は長命寺源氏蛍の能力により、馬場を外れて飛んでいく。馬場との距離を離すタイミングを弓兵が見誤る。弓兵の後退が遅れた。馬場は弓兵の首を刎ねた。
弓兵が倒れて白い碁石のような碑文石に変わった。玄奘が心配で、拾わずに走って戻った。玄奘は地面から小さな石を拾い上げて、巾着に入れるところだった。
敵は馬場と玄奘を分断していた。一人になった玄奘を魔物が襲った。だが、魔物は返り討ちにあっていた。
魔物は馬鹿ではない。近接戦闘向きの馬場を引き離す。戦闘が苦手な後衛の玄奘を始末するつもりだった。その後、前後からの攻撃で馬場を討つ作戦と思われた。
玄奘は強いので、一人にしても大丈夫だった。だがこれが、並の霊能者なら死んでいた。
「敵を追いかける判断は軽はずみでしたか?」
玄奘の顔は明るい。まるで気にしていない。
「いいや、自分の身を守れないなら仏さんも二人で行け、とは命じまい。とりあえずは、戦法が確立するまで何戦かしようかのう」
弓兵の碑文石を回収して歩く。今度は刀を手にした忍者が襲ってきた。馬場が踏み出す。居合切りで忍者を斬り伏せた。忍者の後ろから別の忍者が飛び出る。死角にはなっていないはずだが、見えなかった。
斬り下ろした刀を斬り上げた。間一髪、間に合ったと思ったら、さらにもう一人の忍者が、横から飛び出す。忍者が刀で突いてきた。一人目と二人目は捨て石だった。
回避が間に合わない。忍者の体が硬直した。玄奘の金縛りの霊能力だった。馬場は忍者を斬り伏せる。四人目を警戒したが、そこで打ち止めだった。
必要とあれば平気で仲間を捨て石にする。魔物ならではの戦術だった。馬場が一人ならよくて大怪我、悪ければ死んでいた。これは手強い。だがまだ地下一階だ。
玄奘が三つの碑文石を拾う。
「馬場くんは思ったよりできるので楽させてもらえるのう」
「玄奘さんも戦いの機微がわかってらっしゃるので、安心できます」
玄奘はダンジョン慣れしているのか、疲れもしていなければ緊張もしていない。
「どれ、まだ余裕がありそうじゃから、罠を見にいくか。罠はいやらしいことに、時々場所が変わるから拙僧が先頭で行く」
玄奘について歩いてくと、十字路に突き当たった。東に伸びる通路の前で玄奘は立ち止まる。
「ここでストップじゃ。この先に罠がある。どんな罠かわかるかのう?」
通路を見るが、なんの変哲もない一本道が延びている。壁も見るが違いがない。壁から槍が飛び出すような簡単な仕掛けではない。とすると、落とし穴だろうか?
馬場は素直になった。
「わからないですね。想像できる罠は落とし穴ですかね?」
玄奘は巾着から飴玉を取り出して、床に置いた。飴玉は、平面のはずの床をゆっくり転がり、闇に消えた。
「この床は傾斜しておる。普通に歩く分に問題ない。だが、魔物の中に探索者が通った後に、そっと油を流す奴がおる」
何もないと思っていると、油が後ろから流れてきて足を滑らせるわけか。油なら火も点くだろう。成分によっては後ろから炎の床が迫ってくるわけか。
「このように、ダンジョンでは基本魔物が有利になる仕掛けがいくつもある。重さによって反応する、しない、が分かれる罠もある。一回目は反応しなくても、二回目で反応する罠もある。結構いやらしいのが多いから、気を付けてのう」
気を付けろと注意されても、これは初めてだとわからないものが多いのではないのだろうか? こればかりは場数を踏むしかない。
玄奘と十字路まで戻ると、玄奘が足を止める。玄奘は西通路の奥をちらりとみる。
「お客さんが来たようじゃ」
西通路の奥は闇である。まだ気配はしない。だが少しすると、何者かがこちらに向かってくるのがわかった。