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第三十三話 始まり(上)

 ダンジョン地下三層で碑文石を集める。地下三層には日に日に、探索者が増えてくる。安全になるが魔物の取り合いとなった。碑文石が全く集まらない。


 場所を変えようにも、下の層にも探索者はいる。無理して、下へ下へと移動すれば魔物に勝てなくなるのは明かだった。碑文石が二週間で百個しか集められなかった。


 他の探索者を襲うことは考えなかった。魔物を取り合う地下三層では、他の探索者も目当ての碑文石も集まってはいない。


 苦労して倒したとしても十個も持っていなければ、労力が多い割に、実入りが少ない。また、成功しても悪評をもらい、恨まれもする。他の探索者も同じ想いなのか、隙を見せなければ襲ってこない。


 その日も収穫は八個と全く取れなかった。さすがに、このままではまずいと思ったのか玄奘からダンジョンの帰りに相談があった。テイクアウトの弁当を食べながら馬場の部屋で話す。


「全然、碑文石が集まらん。詩人さんは何も言ってこないが、根津さんの視線が痛い。ゴミを見るような目とはああいう視線をいうんじゃろうな」


 年上にだって根津は遠慮がない。もちろん、二人一組で活動しているので、馬場の評価も下がっているとみてよい。だが、こっちにはこっちの言い分がある。


「敵に勝てないのなら不甲斐ないとの非難も甘んじて受けましょう。ですが、敵に遭えないのではいかんともしがたいですよ」


 暗い顔で玄奘がぼやく。


「それがのう、そうでもない。詩人さんは二人の新人を鍛えながら、ダンジョンに入っておる。詩人さんチームは既に千個以上は回収しておる。根津さんは単身で千個。しかも、根津さんの千個は実働二日での回収じゃ」


 信じられなかった。だが、こんなところで嘘を吐く玄奘ではない。

「なんでそこまで実績が出せるんでしょうね。普通の手段では無理な数字ですよ」


「天才と凡人の差なんじゃろうな。もっとも、根津さんの回収方法は怖くて聞けんがな」


 ひょっとすると、深層階では探索者がバタバタ消える事件が起こっているかもしれない。だが、根津のことなので後腐れが起きないようにはしている。


「仏さんは何も言わんが、それでもそろそろ何か言ってきそうな気配はある」


 成果を出せなければ、お叱りもある。いきなり、放逐はないだろうが、なんらかの処分はある、か。


「他が成果を出しているのなら、何を言われても頭を下げるしかないですね」


 挽回はしたいが、方策が浮かばない。頑張っても、他との差は埋められない。

「不甲斐ない先輩ですまんのう」と玄奘は謝った。


 なんの打開策もないまま、会議は終わった。翌日、気を取り直して玄奘を待つ。玄奘が申し訳なさそうな顔でやってきた。


「仏さんから命令が出た。儂らは碑文石を集める任を解かれた。平たく言えば、業績不振によるお役御免じゃ。今日から儂は別の任務に就く」


 理解はできる。頼りない玄奘と馬場より、根津に仕事を振ったほうがよいとの判断だ。移籍させようとした根津にここまで結果を出されれば、仏さんも根津を追い出せない。


 仏さんとしては不本意かもしれない。だが、根津は自分の力で地位を守ったともいえる。実力者ならではの保身術だ。


「それで俺はどうなるんですか?」


「大黒屋左衛門を訪ねるようにとの指示じゃ。本当の二段階解放について学んで来てくれ。ただ、二段階解放を得るに当たっては死ぬ危険性があるから嫌なら止めてもよい、と言うておった」


 二段階解放はできるが、不完全なのか。仏さんの見立ては間違っていない。強くなる修行に行けとの命令ならありがたい。ただ、気になることもある。


「いつまでに修得すればいいんですか?」

「期限はない。できるまでやれとのお達しじゃ」


 意味は理解した。できなければ、帰って来るな、だ。自分の評価は追放寸前と知った。二段階解放の修得は仏さんの温情。残れるチャンスだ。となると、玄奘も新たな任務に失敗すると、さようならだ。


「お互いに成功させて、秋の名月を一緒に見ましょう」

「では、お互いに再会を願って少し間お別れじゃ」


 玄奘と別れて、大黒屋商会のクラン・ハウスに向かった、大黒屋商会のクラン・ハウスは地元でも有名な場所なので迷わなかった。クラン・ハウスは小さな剣術道場をえた屋敷だった。


 広さは二千坪の和風建築。屋敷の門が真っ黒に塗られていた。


 門が開いていたので、中を覗く。庭師の恰好をした老人が一人だけいる。老人は馬場に気付くと声を掛けて来た。


「入団希望者かのう? この時間帯は全員ダンジョンじゃ。夕方にまた来なさい」


「虚無皇の見習いで馬場真之介です。団長より大黒屋左衛門様を訪ねて修行をつけてもらえと命じられてきました。大黒屋左衛門様に会うにはどうしたらよいでしょうか」


 老人は馬場をジロジロと見てから、竹帚を投げて寄越した。

「構えてみなさい」


 なんで庭師相手に構えを見せないといけないのか、とは怒らない。意外とこういうところにいるのが剣の達人だったとする展開がある。


 馬場は竹帚を竹刀に見立て構えると、老人が顔を歪める。

「箒をそんな持ち方してどうする? 掃除ができんじゃろ」


 庭掃除の箒として持ち方を見たいのか。からかっているのか、と怒りが沸くが怒ってはいけない。


 どこで誰が見ているかわからない。下の人間に横柄な態度をとる人を嫌う人も多い。竹帚で掃除をする構えをとる。


「それじゃあいかん」と老人は近寄ってきて、馬場の体に触れて姿勢を変える。馬場は老人の手が体に触れた時、老人の手が剣士の手だと感じた。


 姿勢を正した馬場を見て、老人は提案する。

「若いのになかなか飲み込みがよい。いいじゃろう。儂からもお館様に頼んでやる。ただし、庭の手入れを手伝え」


 仏さんから大黒屋には話はいっているので、老人の推薦はいらない。だが、大黒屋が帰って来るまで暇なのも事実。やることがないなら、愛想良く点数を稼ごう。


「不慣れですが、できうる限り手伝います」


「若者にしては、感心じゃ」と老人は機嫌よく褒めてくれた。庭の手入れをしていると背後から老人の視線を感じる。顔を向けると老人はプイと顔を逸らす。


 また、手入れに戻る。再び視線を感じて顔を上げると、老人は顔を逸らす。


 特に注意があるわけではない。でも、何か意味がある気がした。老人の言葉を思い返す。


 キーワードは姿勢だろうか? 老人の視線に気づくたびに姿勢に気付ける。意識してわかったが、馬場は自分の姿勢に歪みを感じた。


「お爺さん、俺の姿勢は悪いですか?」


 老人が花の手入れをしながら馬場を見ずに答えた。

「美しくはないのう」短い答えが返ってくる。どうやれば、美しく見えるかは気にした記憶がない。


 とりあえず、無駄を省く動きを考える。しばらくすると、また老人の視線に気が付いた。

「美しく見えますか?」


「嫌、見えん。意識が前に出過ぎておる。とってつけたような美しさの姿勢じゃ」


 意識せねば美しい所作にならない。だが、意識してはダメらしい。次に馬場は楽な姿勢で仕事をする。また、老人がこっちを見ている。


「さっきよりは美しく見えますか」


「いいや、むしろ悪うなった。体から緊張感が消えた。自然体を心掛けて失敗した感がありありと出ておる」


 悪い形の自然体になったのか、では美しい自然体とはなんなのか? 馬場は次に自分の体を外から見られることを意識しつつ楽な姿勢を心掛ける。


 老人の視線が再び来た。老人は渋い顔をしていた。

「だんだんと崩れていくのう」


 努力すれば努力するほど悪くなる。困ったものだがどうしたら良いやら。馬場が困ると老人が枝の剪定をしながら話す。


「綺麗な花は誰に見られるために咲いておるかわかるか?」

「人間ではないですね。受粉の必要があるので鳥や虫でしょうか」


「儂が剪定している花は儂に見られなければ枝を落としてもらえない。虫や鳥が見られなければ受粉されない。じゃが、花はその美しさを神に見せておるのじゃよ」


 こういう抽象的な助言が一番困る。何かを言っているようでよくわからない。それでいて、言った本人だけが満足しているのだから、役に立たない。だが、老人の言葉には続きがあった。


「神とはなんぞや?」


 宗教的な話が混ざってくると余計に性質が悪い。馬場は我慢して話に付き合う。

「万物を司る絶対的な存在ですか」


「それはお前の神か? それとも他人の神か?」

「神様にお前も貴方もないでしょう」


 満足した顔で老人が告げる。

「わかっているなら良い。あと少し辛抱じゃ」


 剣の達人なのか、達人のように見えるだけの偏屈爺なのかがよくわからなくなってきた。だが、何かが掴めるのなら付き合おう。馬場は庭仕事を続ける。


 そのうちに老人の視線を感じなくなってきた。老人は存在するが、視線が気にならない。顔を上げると、宙に舞う一枚の木の葉が見えた。ただのこの葉だが前と違って見えた。


 馬場の目に見ているようで、見えていない。そんな不思議な感覚を味わった。

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