第二十一話 イブの謎
根津が巻物を出して拡げた。巻物が光ると四角い部屋にいた。広さは一辺が二十mと広い。床や壁はほんのりと黄色かった。部屋の隅に木製の丸テーブルと椅子がある。椅子には一人の女性が座っていた。
女性は鎖鎧を着ている。隣には先端が球状のハンマーがあった。勇魂武器ではないが、普通のハンマーでもない。イブは褐色肌の金髪の女性だった。歳は二十代前半に見える。殺意や敵意はない。ただ、疲れたような態度で座っている。
明るい調子で根津は馬場に命じた。
「私はこの荷物を置いてくるのでそれまで時間稼ぎをお願いね。死んでなければ回収するから。ズルズルと戦う、もっさりとした戦闘をおねがいね。そういうの得意でしょ」
嫌な言い方だが、無茶はしない。死んでは元も子もない。根津が歩き、壁に触れる。壁に穴が開いた。根津が穴の向こうに消えると穴は閉じる。
空間にはイブと馬場が残された。イブはまだ動かない。このまま座っていてくれれば楽なのだが、そうはいかないだろう。死なないように戦うので馬場から仕掛けなかった。刀をいつでも抜けるようにして立つ。気配は消す。音は立てない。
イブは座ったまま動かなかった。馬場に気付いていないのかと間違うほどだった。イブは馬場を察知している。おそらくは様子を見ている。視線は感じない。だが、わかる。イブは馬場を値踏みしている。
観察から入るタイプの敵とはあまり戦った経験がない。されど、過去の経験からすれば様子をじっくり見て動く敵に弱い奴はいなかった。静かな空間に声が流れる。声はイブのもの。祈りの言葉に聞こえるが、小さくて聞き取れない。
自分が殺す者に対する鎮魂の詩に感じた。イブが立ち上がると対になったハンマーをそれぞれの手に握る。イブの目が馬場を捉えた。目には光がある。正気を失ってはいない。目には相変わらず敵意がない。イブが歩き出す。イブの履くブーツのコツコツの音が空間に響く。
馬場からは近づかない。ただ、待った。女神像を根津が持っていったので、体調はだいぶ回復した。でも、万全ではない。防御に徹する。馬場は刀を下段に構えた。下段の構えは足元を脅かし牽制する構え。
「灯せ、長命寺源氏蛍」
勇魂武器の第一段階を解放する。イブの歩みが止まった。ハンマーから嫌な気配を感じた。イブのハンマーには『何か』ある。馬場はイブの持つハンマーに警戒した。
イブとの間合いは五m。投げれば別だが、ハンマーの攻撃が届く距離ではない。ハンマーの能力が『投げたら戻る』『敵を引き寄せる』の類ではないと読んだ。
イブがさっと間合いを詰めてきた。動きは遅い。馬場は攻撃に切り替えた。刀を斬り上げる。
イブの顎から頭までを斬るつもりだった。イブは器用に上体を反らして回避した。馬場の動きは見切られている。馬場は返す刀を振り下ろす。ここで馬場はわざと刀を消した。
イブは素早く体を捻って右のハンマーを振るった。先ほどとは打って変わった速い動きだった。間合いを詰めた時の遅さはブラフ。
ハンマーの丸い先端が刀身を打とうとする。刀を消していたので、ハンマーは空振りに終わる。勇魂武器は簡単には壊れない。だが、イブの持つハンマーは特別製と馬場は予想した。
下手に刀身に当たれば刀身が砕ける。勇魂武器の使い手なら即死もある。ハンマーに武器破壊系の能力がある気がした。しかも、かなり強力と見た。
問題はハンマーが一対だという点だった。もしかすると、ハンマーは右と左では別の効果があるかもしれない。
軽くステップを踏んで馬場は後ろに下がる。イブがぶつぶつと何か言いだした。呪詛の類なら聞いてはいけない。だが、根津はイブを戦士系と教えてくれた。イブは霊能系の能力者ではない。つまり、呪詛の類ではない。
「弱い、弱い、弱い、弱い、弱い――」
イブはひたすら「弱い」の言葉を繰り返していた。馬場を見て『弱い』と判断したのか、それともイブ自身を『弱い』と呪っているのかわからない。
ダンジョンに囚われた探索者なので精神が病んでいるのかもと一瞬だけ疑った。
馬場はゾッとした。危険を感じた馬場は刀を出現させると即座に斬りかかった。イブがハンマーを振りかぶって応戦する。イブの一撃が床に当たる。
床が砕けた。精度が悪いのかハンマーの攻撃は次々と空振りする。空振りのたびに床が砕ける。
根津の斬撃がイブに命中した。刀が鎖帷子に当たり弾かれる。手応えから馬場は理解する。刀は鎖帷子で防がれているわけではない。不可視の力で弾かれている。イブの「弱い」の呟きが続く。
イブの動きは精細さを欠いていく。だが、一撃の威力はより速く、より強くなる。同時にイブが纏う不可視の力を強くなっていく。馬場の一撃がイブの太腿に当たった。太腿の上には布のズボンしかないが、刀が弾かれた。
「弱い」と一言呟く毎にイブは強化される。イブが隙を作り馬場の攻撃を首筋に誘った。罠だと分かった時にはハンマーの一撃が馬場を襲う。馬場は内臓を守るために刀で防御した。
ハンマーが刀身に当たった。激痛が走った。刀が著しく損傷したかと思い、たまらず距離を取る。刀身をみると少しだけ刃こぼれしていた。イブの猛攻が停まった。イブは深呼吸をしている。
猛攻による疲れかと疑ったが、額には汗は浮かんでいない。顔にも疲労は見えない。馬場はイブのハンマーの効果に予想が付いた。
イブのハンマーは最低でも二つの能力を持っている。一つは武器破壊。武器破壊は立ち止まる予備動作が必要。もう一つは特定の言葉による身体能力の強化。
こちらは呼吸が苦しくなるまで使える。だが、使用後に深呼吸による回復時間が必要である。また、武器破壊と一緒には使えない。使えたら勇魂武器を壊され馬場は死んでいた。
呼吸苦になっているイブには攻撃が通るかもしれない。イブを討つなら今がチャンス。でも、馬場は仕掛けない。相手は虚無皇の団員クラス、これで終わりなわけがない。今の馬場に倒せるようなら他の探索者によってイブは始末されている。
根津からの事前情報がないなら勝ちにいった。役目が時間稼ぎでないのなら勝負した。だが、ここは守りの一手に限る。
馬場が体験した能力について根津からの情報提供はなかった。今見たイブの能力が少し前に獲得したものならイブにはまだ知らない未知の力がある。
それに根津が教えてくれた「相手が強いほど強くなる」能力をイブは使ってはいない。
特定の言葉による身体強化は相手に応じて強くなる能力ではない。根津が教えてくれた能力をイブは馬場が弱いので使っていない。ないしは、もう使っているが馬場が弱いので体感できないだけかもしれない。
希望的観測で地下八層で戦うのは馬鹿のする行為だ。攻撃しない間にイブは呼吸を整えた。攻撃が再開されると予感する。イブの手の内は見えた。
用心は必要だが、先ほどのイブの猛攻ならもう二セットくらいなら凌げる。こちらは根津の加勢が期待できるので無理はしない。
イブが笑った。気持ち悪い笑いだ。ここからが本番だとイブの表情が語っている。カタカタと刀が鳴る。馬場は自分が震えている状況に気が付いた。武者震いとも恐怖とも判別がつかない。ただ、事態が動く予感があった。
ガラガラと壁が崩れる音がした。イブの視線が逸れる。馬場も思わず同じ方向を見た。視線の先には根津がいた。根津は女神像を置いてきたのか背には何も背負っていない。根津の加勢が間に合った。決着があった。馬場の粘り勝ちだ。
根津は構えを取らない。柔和な顔で根津はイブに命令する。
「団長の言葉を伝えます」
根津の言葉を聞くとイブに変化が起きた。背筋を伸ばして、キリっとした表情に変わる。イブは命令を待つ新兵のようだった。
イブは根津を覚えている。仏さんについても記憶している。もしかして、イブは完全に魔物化していないのか?
きびきびした根津の言葉が続く。
「引き続き任務を続けてください。深層階への移動については判断を任せます。また、帰還及び続行の可否についても判断を任せます」
イブは敬礼すると、部屋の隅まで歩いていき椅子に再び腰掛ける。イブは動かなくなった。『異様』の言葉がピッタリだった。
根津が大きく伸びをして軽い調子で馬場に指示する。
「仕事が終わったから帰りましょう」
「任務ってなんのことですか?」
「さあ? 私はただの奴隷。指示を受けた命令を伝えただけ。任務が何を意味するのか、なんて知ったことではないわ。知る必要もないし」
根津らしい言葉だが、虚無皇ってやはり何かおかしいのかもしれない。




