第二十話 虚無皇の歴史
どこまで行くのか知らないが、馬場は限界が近かった。歩いているだけで死にそうだった。ゲームでHP1はこういう状態なんだろうとぼんやりと思った。
明るいはずの部屋で視界が暗くなり始めた。気が付けば無音になっていた。意識が遠のくと思うと、体に電撃が走った。あまりの痛さに目が覚めた。
呆れた顔の根津が馬場を見ている。
「ちょっと弱すぎませんか? 女神像の他に馬場くんまで背負うとか私に対して悪いと思わないんですかね」
「面目ありません。女神の力に負けました」
「御主人から準団員の証を授与されたのに今の状態なら、迷宮島から出ていったほうがいいですよ。あまりにも役立たず過ぎです」
言い訳は嫌いだが、ここで追い出されるわけにはいかない。俺は強くなりたい。
「見習いとしての雑用なので、もう少し時間をください。きっと、団員に昇格してみせますから」
根津が目をぱちくりして、襟の内側を見せる。内側には木でできた十円玉くらいのバッジがあった。
「準団員証を持ってないんですか? ここに来るまでの話だと持っているって、いいましたよね?」
そんな問答は記憶になかった。根津は訊いたのかもしれないが、具合の悪さに適当に返事をした可能性が強い。もしかして、大事な話だったのか?
「持ってないです。女神像の邪気に当てられてダンジョンに来る前の話は覚えてません。また、なんて答えたかも記憶にないです」
憐れむ顔で根津は非難する。
「出来の悪い雑用だとは思っていましたが、これほどできない奴とは予想を上回りましたね。ならとりあえず、これ胸に付けなさい」
根津はポケットからピンバッチを取り出す。ピンバッチには仏さんの顔が描いてあった。
こんな物がなんの役に立つのかと疑問だった。だが、これ以上、根津を不機嫌にさせると置き去りにされて死ぬ可能性が否定できない。
根津が投げたピンバッヂを馬場は受け取る。馬場はフラフラしながらピンバッチを胸に付けると、体が軽くなった。意識も明瞭になり、疲労も軽減された。
不調が全て消えた訳ではないが、前よりかなりマシだ。一見すると安物のピンバッジだが、女神像が放出されるマイナス効果を軽減する作用があった。
こんな良い物があるなら早く欲しかった。だが、石像の影響が強すぎて思考力が著しく低下していたのは自分の不甲斐なさから出たともいえる。
怒った顔で根津は説教した。
「女神像の近くにいるのに、準団員証か私が作ったピンバッチをしていないと、本当に死にますよ。今度から気を付けてください。あと、ピンバッチは副業で作っているので有料です」
団員証が強力な加護アイテムであると想像ができた。それよりも、強いマイナス効果を軽減するピンバッチまで作れる根津は本当に何者なのかと思う。
「話を聞いていなかったようなので、ここからの流れを説明します。座って聞いていいです」
馬場は座って休憩する。休憩が有難い。ピンバッチの効果か体がだんだんと楽になる。
「この部屋から巻物を使って六階層下に移動します」
根津の言葉に驚いた。女神像を背負う根津は地下八階層に下りても問題なく戦える自信がある。馬場はそうはいかない。今の状態では敵の攻撃にすら気付かずに死ぬ。
「地下八階なら俺は役に立ちませんよ」
「いいえ、役に立ちます。これから行く部屋にはダンジョンに囚われた探索者のイブがいます。イブは相手が強いほど強くなります。戦士系なので馬場くんでもどうにかなるでしょう」
俺を連れてきた理由がわかった。イブと戦うのなら弱くても問題ない。むしろ逆に強い探索者のほうが倒される危険性がある。根津の説明は続く。
「イブは様子を見るために馬場くんの強さに合わせた実力を出すでしょう。なので、死なないように戦ってください。私は女神像を置いたら戻ってきます。合流したら無理せずに撤退します」
「俺の役目は時間稼ぎですか?」
ニッコリと根津は微笑む。
「倒せたら倒しても構いませんよ。イブは元団員なので倒せれば団員に格上げになるでしょう。二階級特進ですね」
イブがなぜ囚われたのか気にかかる。ダンジョンでの死は迷宮での魔物化なのだろうか。
「イブさんが魔物になった経緯はわかりますか?」
根津は黙って手を出した。意味がわからないと根津はムッとした。
「気が利かない子ですね。奴隷が黙って手を出したら付け届けですよ」
「元仲間の情報なのに有料なんですか?」
つんとした顔で根津は言ってのけた。
「私は虚無皇の団員ではありません。仏さんの奴隷です。馬場くんの先輩でもありません。そこは間違えないでください」
変なところで線引きをしていると思うが、本人の認識が団員ではないと言い切るのなら、団員ではないのだろう。詩人さんに対する態度が良くないのも仲間意識がないからだ。
「ピンバッチの代金と共に貸しにしておいてください」
「稼ぎが悪い男はもてませんよ」
馬場が頭を下げると、根津が嫌々な感じで教えてくれた。
「虚無皇から人が減る前の話です。イブがダンジョンから帰らなくなりました。他の団員が救助に向かおうとしたところ、仏さんの反対で救助は行われませんでした」
少々意外だ。仏さんが団員を見捨てたのか。よほど危険な場所で二次被害を警戒したとは思えない。虚無皇の人が多かった頃、今の団長クラスがいた。ならば救出は可能だったのではないか?
「救助にいかなかった理由はなんです?」
澄ました顔で根津は言い捨てる。
「さあ? 奴隷は主人の決断に異を唱えたり、意見を述べたりする立場ではないです」
根津の立場なら介入はしない。主に「救え」と命じられれば助けにいく。「捨てろ」と命じられれば捨てる。主の決断に従うのが根津の奴隷道だ。
気にした様子もなく根津は教えてくれた。
「でも、仏さんの決定が後々で大きな問題になりましたね。イブによる犠牲者が多数でましたからね」
「他のクランが抗議してきたんですか?」
どこまでも他人事のように根津は冷たく語る。
「詳しい経緯は詩人さんが対処していましたから知りません。ですが、仏さんの決定は放置でした。結果イブを討伐しようと三つのクランが立ち上がりました。ですが、全て返り討ちに遭い潰されました」
当時の虚無皇以外のクランの規模や団長の強さはわからない。だが、クランを三つも潰すとなると、イブの腕は相当のものだ。
「恐るべし、イブですね」
あっさりと根津は否定した。
「団長格に比べればイブは対して強くないですよ。問題はイブの兄のアダムと協力者の狭間ですね。アダムは狭間を仲間に引き入れ、イブを倒そうとした探索者たちをダンジョン内で襲って殺していましたから」
虚無皇の闇を知った。驚きの展開だが、アダムの動機はわかる。妹を守るためか。
「イブと狭間の行動は極秘ですか」
誰にも気づかれていないとの考えはない。仏さんや詩人さんがそこまで愚かだとは想定し辛い。
「いいえ、誰もが感づいていましたね」
やはりか、でもそれでも仏さんは動かなかった。なぜだ? 放置すれば被害が増えるし、他のクランとも軋轢も生む。仏さんには俺の知らない一面があるのだろうか?
馬場の疑問に答えるように根津は言葉を続ける。
「でも、決定的な証拠はなかったんですよ。それで、時間は流れます。虚無皇が割れた時にイブはウロボロス・ファミリーを作りました。狭間は外様組を立ち上げました」
二つのクランが嫌われ者と呼ばれる理由が探索者殺しか。
「今でも二つのクランは探索者に嫌われています。嫌われる原因はイブの問題だけではありませんが、イブの取り扱いが発端ですね」
結果を見れば仏さんの決定が正しかったとは思えない。しかし、当時の状況は内部にいた者しかわからず、真相は不明。仏さんも苦しい決断をしたのかもしれないが、もっと他に持っていきようはなかったのだろうか?
ピシャリと根津が釘を刺す。
「雑用は余計なことを考えなくていいです。疑問があるなら団員に昇格してから仏さんに質問をぶつけてください。まずは死なないように努力してください」
気を引き締める。イブの騒動の真実はわからない。確かなのは、これから戦う人物は紛れもなく元団員クラスの人間だ。




