第十五話 接触
玄奘がいつもより十五分、早く家に来た。玄奘の恰好はいつもと違う。腰の巾着はそのままで、リュックを背負っているが、他の装備が違う。服は作業着で手には軍手だった。菅笠も被っておらず、麦わら帽子を被っている。錫杖もなく、手にしているのは山歩き用の杖である。
「今日のダンジョン行きは中止じゃ。今日は山に登って山菜を取る。なので、山菜採りに行くつもりで装備を変えてくれ」
「なんでまた、急に山菜採りに行くことにしたんですか?」
「知らん、仏さんからの指令じゃ。雑用係ゆえ、こういう仕事もこなせねばならない」
なんか意図があったり、修行の一環だったりするかもしれない。だが、単に仏さんが山菜を食べたくなっただけかもしれない。どのみち、クランから給与を貰っている以上、拒否はできない。
玄奘を待たせて、山菜採りに行く準備をした。外は天気が良く、気持ちが良い。途中、コンビニに寄って、おにぎり、菓子、お茶を購入する。離島のコンビニなので値段は少し高いが品揃えは本土と変わらない。
ダンジョンの入口がある反対側の細い道を通って移動する。道は舗装こそされていないが、しっかりと固められている。
山の標高が五百mとないので、迂回してもそれほど時間が掛からない。山には広葉樹が生えているが、高くないので迷う心配もなさそうだった。一応、気になったので玄奘に質問する。
「山に毒蛇とか、危険な野生生物はいますか?」
「おらんよ。ダンジョンから魔物が出て来ることはほとんどない。島にはスズメバチやヤマカガシもおらん。いたって平和じゃよ」
突如、太平洋に出現した島なので、いなくても理解はできる。でも、そんな島でも山菜が生育しているのだから不思議だ。
「何を採ればいいんですか? 山菜採りはやった経験がないので毒があるかどうかわかりませんよ」
玄奘は辺りをキョロキョロと見回して、草を摘んだ。
「ヨモギの一種を採取する。もっとも、欲しいのはもう少し高い場所に育つ島の固有種じゃ。固有種といっても見た目はほぼ違いがない。似た毒草もこの島には生えていなから問題ない」
ヨモギなら摘んでも手がかぶれる心配はない。あまりにも簡単に採れるので、島では売る人間もいないと見えた。
山を登って行くと、向かいからトレッキングの帰りであろう老夫婦とすれ違った。明らかに一般人だった。ダンジョンの裏側の山は街の住人でも気軽に登れる場所だ。小鳥の声もするので、危険はなさそうだった。
玄奘が向かった先には背の低い草が生える草原になっていた。ヨモギは今が季節なのか、他に採りに来ている人間が四人いた。玄奘が四十五Lのビニール袋を渡してきた。
「袋に適当に詰めてくれ。拙僧と馬場くんで合わせて二袋も取ればよいじゃろう。草餅を作るとの話じゃが、そうたくさんは作らん」
とても簡単なお使いだ。これでは、昼前には仕事が終わる。体にはまだ、痛みが残るが問題ない軽作業だった。二手に分かれてヨモギを摘む。青臭い匂いがするが、嫌な臭いではなかった。
ヨモギが溜まったので、玄奘に声を掛けようとして振り返る。草原に馬場は一人で立っていた。玄奘の姿はない。開始時には馬場と同じようにヨモギを取っていた人間も一人もいない。場所を移動しながらヨモギを取ったが、長距離を移動したわけではない。
迷うにしては、山は狭すぎる。人の声はせず小鳥の声だけが聞こえる。状況がおかしい。分断されたと見ていい。だが、いつから敵の術中に嵌っていたのか気が付かなかった。周囲に注意する。敵意も監視する視線も感じない。敵の術なら相手は馬場より一枚は上手だ。
「もうしそこのお方、何かお困りですか?」
背後から若い女性の声がしたので振り向く。背後三mの位置に声の主はいた。さっきは誰もいなかった場所だ。相手はピンクのウサギの着ぐるみだった。顔は見えないし、殺気もみられない。だが、表情のないピンクのウサギには言いしれない怖さがあった。
敵とは判断できないが、無害との判断も下せない。いつでも戦闘に入れるようにしながら尋ねる。
「ヨモギを採りにきたのですが、仲間と逸れてしまいました。帰り道もわからない。帰り方を教えてください」
「いいですよ。ただ、私からもお願いがあります。虚無皇の方ですよね? 仏さんに会わせてください」
仏さんに会いたくて、接触してきたか。一般的な用件なら山の中で待ち伏せはしない。街の中で探せばいい。また、ヨモギ採りには玄奘と一緒に来ている。玄奘なら仏さんの居場所を知っているのに、あえて新人を選んで接触してきた。おおっぴらに仏さんに会えない事情がある。
仏さんの首を狙う刺客だろうか? 仏さんは島で最強なのだから、倒して名を上げようと考える奴がいても不思議ではない。
「お名前を教えてもらってもよろしいですか?」
「私の名は夜兎鬼灯といいます」
名乗った夜兎に馬場はヨモギの入った袋を投げつける。夜兎の視覚が塞がった隙を突いた。刀を出して、夜兎の首に一撃を入れる。手応えはまるでないが、着ぐるみの首は落ちた。着ぐるみの中は空だった。
本体はどこかにいる。どこだと、視線を走らせるがわからない。夜兎の胴体が落ちた首を拾い上げて、胴体に乗せる。夜兎は怒りもしなければ抗議もしない。
「それで、返答はいかに?」
拒否すればタダでは帰してくれない。だが、ここで仏さんを売るようでは追放されても文句は言えない。勝てるかどうかわからないが、馬場は刀を構えた。
「敵かもしれない人間を団長に会わせるわけにはいきませんね」
夜兎は項垂れて、寂しそうに口にする。
「私は悲しい」
晴れていた空が急に暗くなった。嫌な風が出てくる。夜兎からは殺気を感じないがなにか仕掛けてくる気だ。どう来る?
体がふわりと浮いた。天地がひっくり返る。馬場の体は空に向かって落ちていった。どういう仕組みかわからないが、抵抗しようがない。下に見える地面がどんどん小さくなる。まずいと、思うと、目の前がピカッと光った。目を開くと馬場は地面に寝転がっていた。
玄奘が馬場の顔を覗き込んでいる。玄奘は呆れていた。
「気持ちよくなって寝てしもうたか?」
体を起こすと夜兎は消えていた。草原には人がいて、ヨモギ採りをしていた場所に戻っていた。夢でも見ていたようだが、いつ眠ったのかはまるでわからなかった。
「今しがた夜兎鬼灯と名乗る兎の着ぐるみに襲われていたのですが、気が付けば元に戻っていました」
玄奘は驚きも馬鹿にもしない。ムッと顔を顰める。
「夜兎さんは始祖の会の会長じゃ。そうか、夜兎さんが来たか、それは災難じゃったのう」
始祖の会はメジャー・クランの一つだ。会長がトップなら夜兎さんは虚無皇の元メンバーだ。仏さんを知っているはず。なぜ、馬場に口利きを依頼したか不明だった。
玄奘が馬場の集めていたヨモギを拾い上げる。
「夜兎さんは、虚無皇と始祖の会を合併させようとしておる。じゃが、仏さんが反対していて、上手くいっておらんのじゃ。理由はわからん」
虚無皇を吸収合併しようとしているのなら敵なのだろうか? だが、あまり力づくで従わせたいとは感じられなかった。
ダンジョンの外なら魔物の心配はない。だが、クラン同士の駆け引きがあるのならダンジョンの外でも油断はできない。




