第一話 もう遅い
巨漢の黒鬼と対峙する一人の少年があった。年齢は十五歳。黒髪の丸刈りで、顔は優しい中にも意思の強さが感じられる。恰好はジーンズに厚手のシャツ。シャツの上からは薄い金属製の胸当てを付け、鉢がねを頭に装備している。少年の名は馬場真之介である。
馬場が軽く手を振る。光が輝いた後に一振りの刀が現れる。刀は勇魂武器と呼ばれる特殊能力を備えた武器である。銘は『長命寺源氏蛍』という。
黒鬼が雄叫びをあげる。筋肉が盛り上がり、三m近い体がさらに一周り大きくなる。馬場は驚かず、刀を下段に構えた。黒鬼が相撲の立ち合いの姿勢を取る。黒鬼は馬場に突進した。距離にして十五mは離れていたが、瞬時に間合いが詰まる。黒鬼のぶちかましは車をも跳ね上げるほどに強烈。大の男でも当たれば即死は免れない。
馬場はひらりと横にかわす。すれ違い様に黒鬼の首に一撃を見舞う。黒鬼は馬場に攻撃をかわされたので止まろうとする。結果、体は停止したが、斬られた首がずれ滑るように飛んでいった。転がった黒鬼の首だが、顔は斬られたことを理解している様子がなかった。馬場は気落ちして崩れる黒鬼の体を見つめる。
「懸賞金付きの黒鬼といっても、こんなものか。俺は強くなり過ぎたのかもしれない。我に敵なしだな。どこかにいないだろうか強い奴は」
今の日本には妖怪や魔物が出る。魔物を狩る職業も存在した。馬場はライセンスを得て二年になる。最初は世のためになれば、と戦いを始めた。すぐに、戦いの中で恐怖を知った。恐怖を乗り越えた先には興奮があった。勝利に次ぐ勝利を経験する。興奮は次第に冷めた。今はもう何も感じなくなってきた。
「そこのお方、何やら道に迷っておられるようですな」
声のした方向に目をやる。小柄な紫のコートを着た人物がいた。コートにはフードが付いており、顔は見えない。声の掠れ具合から相手は老婆のように思えた。
老婆には実体がないと馬場はすぐに悟った。だが、妖かしの類ではない。老婆は静かに言葉を続ける。
「太平洋上に浮かぶ島、迷宮島はご存知かな?」
「知っているよ。限られた人間しか入れない島で地下に不思議な空間が拡がっている。恐ろしいモンスターがいて、罠もあるんだろう?」
老婆は含み笑いを漏らして語る。
「話が早くて助かる。人生に飽きているお前さんに、これをあげよう」
老婆は背負っていたリュックから、一冊の書物を取り出して渡す。書物の表紙には『週刊老人ジャップル』と書いてあった。週刊老人ジャップルは知っている。有名な週刊誌漫画誌の姉妹本だ。『ジャップル』と付く雑誌が何誌もあるので、もうどれがどれだかわからない。だが、マンガ雑誌なのは間違いない。
「なんかこういう時ってさあ、黒い封筒に入った紹介状とかが出てくるのと違うの?」
老婆が気にせず週刊老人ジャップルを開いた。巻末に求人広告が出ていた。求人は探索者募集とあった。
求人広告には『やりがいがあります』『アットホームな職場です』『成長できます』『資格不問』『初めての方でも優しく指導します』とあるのが怪しく感じる。勤務地が迷宮島となっていなければ、絶対に応募しない。老婆が薄気味悪く笑い、誘う。
「履歴書を送ると島へ行けるよ。気になるなら行ってごらん。そこは戦闘狂の楽園みたいとこさ。ただ、命の保証はできないよ。ヒッヒッヒ」
俺より強い奴なんてそうそういない。暇つぶしに行ってみるのもいいか。やることもない。上手く行けば三ヵ月くらいは楽しく暮らせるだろう。
履歴書を書いて送った。島へ入るための身分証のカードと行き方を書いた紙が送られてきた。
迷宮島へは小型飛行機が出ていた。民間会社が所有する滑走路から飛行機で行けた。飛行機はプロペラ機だった。操縦者の他に横に一人、後ろに三人が乗れる。
出発前に操縦席の女性から声を掛けられる。
「離陸すると、しばらく本土へは帰れません。また、行き先が危険なので覚悟してください。下りるなら今ですよ」
くだらない脅しだと思った。そんな陳腐な脅しで怖気づくくらいなら、ここまで来たりはしない。
「出してくれ。帰る方法は自分で考える」
「出発前に身分証を見せてください。あと、泳ぎは得意ですか?」
身分証を提示して、つまらない冗談を鼻で笑った。
「帰りたければ泳いで帰ろと? いいよ、逃げ出す時は泳いで帰ってやるよ」
飛行機が離陸する。その日は曇り空で、風があった。飛行機は古い機体なのか、かなり揺れる。墜落はないだろうと高を括っていた。すると、操縦者が『おかしいな』『あれ』『やべえ』『あっ』などとぼそぼそと口にする。少し不安になり外を見ると、高い波が見えた。落ちたら死ぬかな? と疑問に思うと、島が見えてきた。あと少し飛べば島に着く。ここまでくれば大丈夫だ。
ボン、と音がして機首から煙が流れてきた。操縦者がガシャガシャと乱暴に色々な装置を触っている。バン、と鳴ってがして機体の天井が空に飛んだ。もしかして、これはヤバいのか?
空を見上げる。ボンと大きな響いて、座席が空中に飛んだ。馬場の体は椅子ごと空に投げ出された。強い風が体に吹き付ける。持っていた荷物は空に消えた。飛行機は煙を吐きながら高度を上げた。
海面まで三百m。高さから言えば死ねるである。さて、どうするかと考えると、バッ、と大きな音がする。座席に仕掛けられていたパラシュートが開いた。
「こんな安全装置はいらんから、もっと座席をしっかり固定しろよ」
悪態をついたがもう遅い。飛行機は小さくなっていき戻ってきそうにない。操縦者としても、滑走路まで飛ばすので手一杯なのだろう。不幸中の幸いにして風は追い風だった。
パラシュートは島に向かって流されていく。だが、下降スピードでは島まで届きそうにない。ザブンと音を立て座席は海に落下。勇魂武器を出して、シートベルトを切った。自由にはなったが、座席は海にゆっくり沈んでいく。二十mの波が揺れる中、馬場は島まで泳いでいかねばならなくなった。
「最悪だな」
周りに船はおらず助けは来そうにない。天候が荒れそうなので、早く島まで泳がないと死ぬ。泳ぎは不得意ではないが、この条件は過酷だった。やるしかないか、と覚悟を決めた。島まであと三㎞。海流が沖に向かっていたらアウトである。海中から鮫に狙われない未来を期待しつつ馬場は泳ぐ。
馬場は久々に努力をした。手足を動かし、島に向かう。海中で何かに腕を刺された。痛みを感じた。数分で体が痺れて動かなくなる。まずい、と思った時には波に呑まれて海中だった。息ができなくなる。死んだかな、と馬場は唐突に思った。だが、死んでも良いかもしれない。生きていてもつまらない。