第167話 蝉丸からの誘い
四人の黒服に囲まれ、俺は府中米軍基地跡ダンジョンの地下深くへと続くエレベーターに乗っていた。
表向きは「捕らえられた厄介な探索者」という役どころだ。もっとも、この黒服たちは全員、雲外鏡が化けた写し身なのだが。
「……しかし、見事な演技だな」
SL銀河ダンジョンの時もそうだったが、流石だと思う。
俺が小声で呟くと、すぐ隣に立つリーダー格の写し身が、表情一つ変えずに答えた。
「当然です。我々は対象の記憶と経験を完全にトレースしていますから。この程度の任務、造作もありません、ご主人様」
「そりゃ頼もしい。だが、あまり馴れ馴れしくするなよ。監視カメラの餌食だ」
「心得ております。おら、とっとと歩けクソガキが」
エレベーターの扉が開き、目の前に広がった光景に、俺は内心で悪態をついた。
聞いてはいたが、ここまでとはな。
地下十三階層。そこは、ダンジョンという言葉から連想される無骨な岩肌や冷たいコンクリートとは無縁の世界だった。磨き上げられた大理石の床、天井で燦然と輝くシャンデリア。まるでどこかの高級ホテルのロビーだ。
だが、その壁際にずらりと並べられた檻が、ここがまぎれもない地獄であることを雄弁に物語っていた。
「こっちだ、来いクソキチク」
「とっとと歩けよブタが」
写し身たちに促されるまま、俺は大理石の床を踏みしめて歩く。すれ違う社員や警備員たちは特に気にしたふうもなかった。
時折「キチクだ……」という声が聞こえたが。こいつらに有名になっても別にうれしくねえけど。
やがて、俺はホールの最奥に近い一角、特に厳重な警備が敷かれた区画へと連れていかれた。そこには、他のものとは比較にならないほど堅牢な、黒い金属製の檻が設置されていた。
ガチャン、と重い金属音が響き、俺は乱暴に檻の中へと突き飛ばされる。すぐに扉が閉まり、施錠される音がした。
「大人しくしていることだな。ここはクロスクロノス社の最新技術の粋を集めた牢獄。
スキルも、魔力も、呪力さえも封じる特殊な結界が張られている。お前ほどの探索者でも、ここから出ることは不可能だよ、残念だったなクソガキ」
リーダー格の写し身が、冷徹な声で言い放つ。その完璧な悪役ぶりに、俺は内心で拍手を送った。
……演技だよな?
俺は何も答えず、背中を向けてその場に座り込む。やがて写し身たちの足音が遠ざかっていくのを確認し、改めて周囲を見渡した。
檻は思ったよりも広い。だが、そこにあるのは冷たいコンクリートの床だけだ。
そして、見える。他の檻に囚われた者たちの姿が。
ゴブリン、オークといったありふれたモンスターから、グリフォンやワイバーンのような高ランクの魔物まで。中には、明らかに日本の妖怪と思われるものもいた。あれは大手の白けつだ。
……いやなんであんなの捕まえて売ろうとしてんだよこいつら。
その隣の牢では、加牟波理入道が必死に他の牢を除こうとしていた。
だからなんでこんな妖怪捕まえてんだよ。もっといるだろ、売り物になりそうなの。
……。
ふと思いついた。俺は彼に向かって言う。
「加牟波理入道ほととぎす」
ぽしゅん。
……あ、消えた。
やはり本物の加牟波理入道だったようだ。加牟波理入道はその呪文を言うと消えるのだ。
よし、ささやかな嫌がらせ成功。
さて、それはおいといて俺の牢の真正面。
一際大きな、金色の符が何枚も貼り付けられた檻の中に、一人の少女が座り込んでいた。
栗色の長い髪、粗末な着物。一見すれば、どこにでもいるような、か弱い人間の少女だ。
だが、その額の角。そして深紅に染まった、縦に裂けた瞳孔。
あれが、黒服たちが言っていた今回のオークションの目玉……鬼女紅葉か。
俺が彼女を見つめていると、不意に少女が顔を上げた。俺の視線に気づいたのだろう。その深紅の瞳が、真っ直ぐに俺を捉える。
何を思ったのか、彼女はゆっくりと立ち上がると、檻の格子際まで歩み寄ってきた。
俺も無言で立ち上がり、同じように格子に近づく。
互いの檻を隔てて、数メートルの距離。言葉はない。ただ、視線だけが交錯する。
彼女の瞳が、微かに揺れた。それは、助けを求める色か、それとも、同じ囚われの身に対する同情か。
俺は、ただ静かに頷いた。
――必ず、助け出す。
言葉にしなくとも、その意志が伝わったと信じたい。
その時だった。
コツ、コツ、と硬質な足音がホールに響き渡った。
俺と少女の視線が、音のする方へと向けられる。
そこに立っていたのは、一人の少年だった。
まだ高校生くらいだろうか。上等な仕立てのスーツを着こなし、あどけなさの残る顔立ちをしている。だが、その瞳は、まるで氷のように冷たく、底知れない昏さを湛えていた。
水虎蝉丸。
雲外鏡の写し身たちからの情報で見た顔だ。
水虎グループの幹部にして、今回の闇オークションの実質的な主催者の一人。
蝉丸は、俺の檻の前で足を止めた。値踏みするような視線が、俺の頭のてっぺんから爪先までを舐めるように動く。
「君が、菊池修吾……配信者の『キチク』か」
変声期を終えたばかりのような、少し不安定な、しかし妙な威圧感を伴った声だった。
「……何の用だ」
「いや。捕らえたと聞いて、顔を見に来ただけですよ。期待してはいなかったが、捕獲できたということは……やはり、噂は本当だったようですね」
「噂?」
俺が聞き返すと、蝉丸は面白そうに口の端を吊り上げた。
「素で強いのではなく、ダンジョンスキルとステータスを隠蔽している、と。探索者ランクEのダンジョン不適格者というのは、真っ赤な大嘘だという噂ですよ」
……あ、こいつ節穴だ。
俺は配信で何度も説明してるようにダンジョンスキルもないダンジョン不適格者だ。まがりなりにも戦えているのは遠野生まれの遠野育ちで天狗の爺さんやら近所の爺さんとかマタギのおっちゃんたちにしごかれたからに過ぎない。
水虎の情報収集能力ってザルなのか。
噂を信じちゃいけないよって歌もあるというのに。
「…………」
俺は沈黙を保った。下手に喋ればボロが出る。今はただ、相手の出方を探るのが得策だ。
「なお、この牢にはスキル封じの結界が敷かれている。君がどれほどのスキルを隠し持っていようと、ここでは無力だ。出ることは出来ませんよ」
蝉丸の言葉を補足するように、彼の後ろに控えていた写し身の一人が口を開いた。
「それでも、中々強かったですよ、蝉丸様。我々四人がかりで、ようやく取り押さえたほどです、このクソガキは」
「ほう。妖怪退治を日常としてきたという、遠野の民というのは伊達ではない、と。そういうことかな」
「はっ。その通りかと」
「ふむ。あなたたちがそういうのなら、そうなのでしょうね」
蝉丸は、つまらなそうに頷くと、再び俺に視線を戻した。
「やはり、私が見込んだ通りの人材――ということでしょうか」
「見込んだ?」
思わず、疑問の声が漏れた。
「ええ。菊池修吾君。単刀直入に言いましょう」
蝉丸は、その冷たい瞳で俺を真っ直ぐに見据え、言い放った。
「君――我々の仲間になる気はありませんか?」
「……はあ?」
予想外の言葉に、俺は素で間の抜けた声を出してしまった。なんだこいつは。俺がこいつらの仲間になる?
「本気で、言ってんのか」
「もちろん本気です。私は感情ではなく、実利で動きますからね」
蝉丸は平然と答える。
「たしかに、君は我々の水虎テクノロジー社、ひいては水虎グループに多大な損害を与えた。君を許さないと息巻いている旧弊な老人たちも大勢います。ですが――私なら、君を護れる」
彼は、まるで救いの手を差し伸べるかのように、言葉を続けた。
「仲間になってくれさえすれば、ね」
「……お前は、何を企んでいる?」
俺は、格子の隙間から蝉丸を睨みつけた。こいつの腹の底が読めない。ただの金儲けにしては、話が大きすぎる。
「それは、君が仲間になると明言していただかなければ、言えませんね」
蝉丸は肩をすくめた。
「ただ、今言える事と言えば……」
彼は一瞬、言葉を切り、まるで世界の秘密を打ち明けるかのように、声を潜めた。
「世界の変革、ですかね」
「変革、ね。また大きく出たな」
俺は鼻で笑ってやった。
「そうですか? この十年で、世界は大きく変革していきましたよ。ダンジョンの出現によってね。経済も、軍事も、人々の価値観さえも」
だが、蝉丸は俺の嘲笑を意にも介さず、淡々と続けた。
「そして世界は、今も変わりつつある。ダンジョンと、そして……妖怪。古くからこの国に根差し、しかし忘れ去られようとしていた存在。その価値が、今、見直されようとしている。新たな力の源として、ね」
彼の瞳に、狂信的な光が宿る。
「旧い秩序は崩壊し、新しい秩序が生まれようとしている。その時流を見極め、チャンスを掴み、のし上がる者こそが、次の時代の覇者となる。僕は、そのための布石を打っているに過ぎない」
蝉丸は、俺の檻に一歩近づいた。
「菊池修吾。君の持つ力は素晴らしい。ダンジョン内のみとはいえ、強力な敵を次々と打ち倒すその力は称賛に値する。
僕と共に行きましょう。君が望むなら、相応の地位と富、そして力を約束する」
……なるほどな。
こいつは、ただの守銭奴じゃない。本気で、世界をひっくり返そうとしている。ダンジョンと妖怪、その二つの力を利用して。その野望は、あまりにも巨大で、そして危険だ。
「……断ったら?」
俺が静かに問うと、蝉丸の顔から表情が消えた。先ほどまでの饒舌さが嘘のように、絶対零度の視線が俺を貫く。
「その時は、君に恨みを持つ老人たちに引き渡すまでです。彼らが君をどうするか……まあ、想像に難くないでしょう。
君のその頑丈な体が、どれだけ耐えられるか。骨の一片、肉の一欠片まで研究材料にされ、魂が擦り切れるまで苦痛を味わい、最後には『お願いですから殺してください』と、涙を流して懇願することになるでしょうね」
なんの感情も込められていない、事実を述べるかのような、無機質な声だった。だからこそ、その言葉は背筋が凍るほどの現実味を帯びていた。
「……それは、なんともぞっとする話だな」
「結論を急かしても仕方ない。時間をあげますよ」
蝉丸はそう言うと、踵を返した。
「そうですね……三日ほど。三日後に、また答えを聞きに来ましょう。良い返事を期待していますよ、未来の同志、菊池修吾くん」
コツ、コツ、という足音が遠ざかっていく。
ホールに、再び静寂が戻った。
俺は、その場にゆっくりと座り込んだ。
「……録画、できてるか?」
周囲に人がいない事を確認し、牢の前で俺の監視を衛を演じている写し身たちに、他には聞こえないように小声で問いかける。
「……」
彼らは黙って、指で丸を作った。出来ているという事だ。
俺はスマホやらなにやらの道具は全て没収されている体であり、彼らも仕事用の通信機器しか持っていない。
だが、雲外鏡の写し身だ。そして雲外鏡は鏡と鑑を繋げて通信することも出来る。
すなわち、今の全てはあちらで録画出来ているということだ。
もちろん、それを生配信はしない。いや、したら大爆笑ものの動画になるだろうけど、これから作戦が控えているので今は録画のみに控えておく。
お楽しみは後だ。
しかし世界の変革、か。
とんでもない野望を抱えたガキがいたもんだ。だが、正直言って微塵も惹かれるものが無い。
世界なんてのは自然に勝手に変わっていくもんだ。それを人間が無理矢理どうこうしようとしたって、無意味であり無意義だと俺は思う。
「……」
俺は、再び真正面の檻に視線を向けた。
鬼女紅葉。彼女は、先ほどからずっと、俺と蝉丸のやり取りを静かに見つめていた。
「心配するな、大丈夫だ」
俺は紅葉に言う。
その言葉に、彼女は初めて口を開いた。
「……キチク」
おい。
「お前までその名で呼ぶんかい。誰がキチクだ」
「……配信、見てたから」
「あ、どうも」
今代の、とはいえあの伝説に名が乗る鬼女紅葉にも知られていたのか、俺の名前。
「……」
「……」
しばらく、お互い無言。俺は言う。
「……大丈夫だ。ここはダンジョンだよ。そして俺は?」
「……ダンジョンクラッシャー」
「はい聞きたくない嫌な悪名ありがとう! でもそういうことだよ。安心しろ、俺が、そして俺の仲間たちが、全てをぶち壊してやる」




