第141話 乙姫の襲来
そこにいたのは、美しい女性だった。
一言でいえば、そう。天女――
まさに「乙姫」の名に相応しい女だった。
「ほう。浄土に異変が起きて十年、誰もここを訪れだなんだ。再び現世と繋がって幾人か此処を訪れたが、この間まで来たのはそなたが初めてよ。歓迎しようぞ、陸の者よ」
乙姫はそう言って優雅に笑う。
要するに、ダンジョン化して以来、初めて俺がここにたどり着いた探索者だという事だ。
「意外と新しいんだな、この竜宮城」
「ふふ、それなりに歴史はあるがのう。10年前まではそれなりに客はおったのじゃよ、されど世界が一変して、それ以降現世とこの浄土との繋がりは閉ざされておった」
「へえ……」
「じゃが、こうして再び現世と繋がった。これは如何なる運命の導きか、我らとしても興味深い」
乙姫がそう言いながら、手をくいと動かす。
すると数人の女性が寄ってきて、俺を囲んだ。
「ふふ……さて陸の者よ。ここに来れたということは、そなたは相当に優秀な『探索者』と見受ける。まあそうでなければ此処にはたどり着けまいがな」
そう言って、俺の全身を舐めるように見る乙姫。
「歓迎しようぞ。若き陸の者よ。さあ宴と行こうか。そなたらには、飽くほどの財と富と幸福を授けようではないか」
乙姫が妖艶に笑う。
だが……。
「悪いけど、それがちょっと、いやかなり迷惑な事になってるんだよなあ」
「ふむ?」
乙姫が怪訝な顔をする。
「単刀直入に言う。幸せを振りまくのをやめてほしい」
その俺の言葉に、乙姫は首をかしげる。
「ほう、何故じゃ? それを望んでおるのはそなたらじゃろう?」
「望んでいるからって、それが正しいとは限らないんだよ。それに、それが望んだ通りのそのままだとも限らない」
俺の言葉に、乙姫はけらけらと笑う。
「ほほほほほ、愉快滑稽。己の望む通りでなければ満足いかぬか、陸の者とはなんとも傲慢強欲なことよのう!」
「そういうわけじゃない」
俺はそう言って首を横に振る。
「幸せというのは、自分の力でつかむものだと思うからだ。与えられるものじゃない」
その言葉に、乙姫は笑うのをやめて目を細めた。
「ほう……ではそなたはどうすれば幸せになれると? 我らにどうしろと言うのじゃ?」
その言葉に対する答え……それはただ1つだ。
「どうすれば幸せに暮らせるかじゃなくて、自分で幸せになる方法を自分で探すべきだと思うんだよ。他人から押し付けられた幸運、幸せなんてたんなる重荷でしかない。
わかったらとっととその呪いを解け」
「かかかかか! 我ら竜宮の祝福を呪いと申すか! それはなんとも――」
乙姫は再び、大仰に笑う。だが次の俺の言葉で、その笑みは消える。
「幸せをエサに人間を引き寄せて食ってるなんて、呪い以外の何物でもねぇだろ」
「――」
「やっぱり図星だったか」
カマかけだったんだけどな。だけどそう考えるとしっくりくる。
「ただ幸せを与えるだけの存在だなんて都合がよい悪い以前に、つじつまがあわないんだよ。
千百合たち座敷わらしや貧乏神は、幸せと不幸せ、幸運と不運のバランスを取ってる。不運な人に幸福をもたらし、幸運な人に不幸を持って来る。しかし決して、理不尽じゃない。
お前たちのもたらすものは、いびつすぎるんだよ。お前たちの視点からしても、な。
だったら、ただ本義として幸せを与える、以外の何かがあると思ったが――さっき言ったよな。10年間訪れるものがいなかったって。
随分と――腹が減ったんじゃないか?」
マヨイガが、耐えられなくなってきていたように。
「ダンジョンは、人を食うものだから」
マヨイガが、そう変質しかかっていたように。
「ク――――か、かかかかかかかかか!」
乙姫はしばし沈黙した後、哄笑する。
「良き。ああ、良き洞察じゃ、良き推察じゃ。じゃがのう、満点ではないのう」
「……というと?」
俺の問いに、乙姫は笑う。
「狂いし浄土は人を喰らう。ああ、確かにそれは事実じゃ。じゃが、妾は人を食わずとも生きていける――じゃが、な。
喰らわねば、この若さ、美貌を保てぬのじゃ」
乙姫のその言葉は、おぞましいものだった。
「なるほど。そのために、止める気は無い、と」
「無論じゃ。妾は陸の者に竜宮の加護、幸せを与える。そしてその代償に、命をもらう。実にフェアな取引きとは思わぬかえ? 」
ああ、駄目だ。こいつは駄目だ。完全に――存在しちゃいけない妖怪だ。
「そうかよ」
俺は日宝寿を抜く。
「なら、探索者として当たり前のことをするまでだ。ボスモンスターを倒し――攻略する」
「かかか、出来目ものならやってみるがよい――!!」
乙姫が叫び、そして変貌していく。
巨大な浅黒く、斑の皮膚。
牙の生えた大きな口。
そして――頭から伸びた、釣り竿のような角。その先には無気味な光が灯っている。
これは――
『チョウチンアンコウ!?』
『うぎゃあキモッ』
『あいつ美人って言ったやつ誰だよwwww』
『ないわー』
『ああそりゃ美を求めるわ』
『これは酷い』
何の魚の妖怪かと思ったら、まさかのチョウチンアンコウとはな。ああ、確かに餌を垂らして獲物を誘い込むという性質って事か、納得だよ。
「ゴアアアアッ!」
乙姫鮟鱇が叫び、突進してくる。俺はそれを大きく飛んで躱す。そしてすれ違いざまに、日宝寿をその顔に叩き付けた。
だが――
「っ!」
額の角が、日宝寿の一撃を受け止める。そして乙姫が俺を睨みつけ、大きく口をあける。
「マズい!」
俺はとっさにその場から飛びのいた。その瞬間、口から紫の光弾が撃ちだされる。
それは空中で放たれているにも関わらず、すさまじい勢いで俺に迫る!
「ぐおっ!?」
俺はそれを受け止めはしたが……吹き飛ばされた。
「っと、あぶね……!」
なんとか受け身を取って着地する。だが……あれはやばいな。直撃したらお陀仏だ。
『アンコウ強いなおい!』
『これは……どうすんだよ!? 』
『大丈夫キチクならやってくれる』
『アンコウの弱点ってなんだっけ?』
『吊るし切り?』
『チョウチンアンコウの吊るし切りは見た事ねぇわwwwww』
『誰か大洗の探索者呼んで来い』
「かかっ、どうした? 妾を倒さぬのか?」
乙姫が笑いながら言う。
『挑発してるぞ』
『これはチャンス』
『やっちゃえやっちゃえ!』
『アンコウはキチクの非常識さ知らないからなあ』
さてどうするか。
ヒントは視聴者たちが教えてくれた。
「……日宝寿、蛇になれるか?」
『無論。我としては刀として振るわれたいが、しかし主の意向には従おうぞ』
俺は乙姫に向かって走り出す。
乙姫は口から光弾を撃ちだしてくる。俺はそれを避けつつ走る。
光弾が床に着弾して爆発する。それは俺にとって都合がいい。日宝寿を手放し、そして俺は走る。
「くらえ必殺、遠野パーンチ!」
その一撃を乙姫はその角――エスカという器官だったか――で受け止める。
にやりと笑う乙姫。
だが、それも想定済みだ!
「日宝寿!」
『応!』
俺の声に、天井から声が響く。そして――天井の梁に巻き付いた深紅の大蛇がそのまま一瞬で降りて来て、乙姫に噛みつき、絡みつく。
「ぬぐうっ! 卑猥な!」
乙姫が叫び、そしてそのままその巨躯を日宝寿が持ち上げ――いや、吊るし上げる。
「ぜりゃああああっ!」
俺は宙吊りになった乙姫の腹に蹴りを叩き込む。
「ぐばあっ!」
乙姫はそのまま、ロープの切れたサンドバッグのようにくの字に折れながら、壁に叩きつけられた。
『吊るし切り……じゃない』
『アンコウの吊るし蹴り……?』
『決まった』
『やったか!?』
『↑おいばかやめろ』
『乙姫死んだ!?』
「ぐぬう……!?」
壁に叩きつけられ、呻く乙姫。
「勝負ありだな」
再び刀の姿に戻った日宝寿を手にして俺は言う。
だが次の瞬間――
「カハァア――――ッッ!」
乙姫が口を開け、そこから煙を噴出した。その煙が一直線に俺を襲う。
「カカカカ、玉手箱の煙よ、老いるがよいわ――」
玉手箱の煙。その効果は――老化。
だがしかし、俺に直撃する寸前。
俺の前に人影が飛び込んで来る。
「! 千百合――」
それは座敷わらしの千百合。彼女が、俺の代わりにその老化の煙を浴びた――――