第137話 博物館の妖刀
金沢村の佐々木松右衛門という家に、代々持ち伝えた月山の名剣がある。
俗につきやま月山といっている。この家の主人ある時仙台に行き、宿銭不足した故にこの刀を代りに置いて戻ったところ、後からその刀が赤い蛇になって還って来たと言い伝えている。
「遠野物語拾遺142」
小友の松田留之助という人の家の先祖は、葛西家の浪人鈴木和泉という者で、当時きわめて富貴の家であった。ある時この家の主人、家重代の刀をさして、遠野町へ出ての帰りに、小友峠の休石に腰をかけて憩い、立ちしまにその刀を忘れて戻って来た。それに気がついて下人を取りにやると、峠の休石の上には見るも恐ろしい大蛇が蟠っていて、近よることも出来ぬので空しく還り、そのよしを主人に告げた。それで主人が自身に行って見ると、蛇と見えたのは置き忘れた名刀であった。二代藤六行光の作であったという。
「遠野物語拾遺143」
次には維新の頃の話であるが、遠野の藩士に大酒飲みで、酔うと処きらわずに寝てしまう某という者があった。ある時松崎村金沢に来て、猿ヶ石川の岸近くに例の如く酔い伏していたのを、所の者が悪戯をしようとして傍へ行くと、身のまわりに赤い蛇がいてそこら中を匍いまわり、怖ろしくて近づくことが出来なかった。そのうちに侍が目を覚ますと、蛇はたちまちに刀となって腰に佩かれて行ったという話。この刀もよほどの名刀であったということである。
「遠野物語拾遺144」
このように遠野物語には刀の出て来る話がいくつかあり、そして刀は蛇となる。
そしてその刀は実在する。そもそも遠野物語自体が実話集だからな。
婆ちゃんは言った。
「石上神社に、出自はわからないが古くから伝わる刀があったんだど。しかしその刀をな、神社の関係者がお金に困り売り払ってしまったというんだど。それからというもの、刀を所有した人々がな、いぎなり病にかかったり、ひとりだけが地震にあったりと、不幸な事が立て続けに起きたんだど。そして、巡り巡ってその刀は石上神社に戻ってきたんだど。
そして今は、遠野市立博物館で保管されているんだど。何年かに一度、それは見ることが出来るらしい。どんどはれ」
持ち主を不幸にする、呪われた刀。それが遠野博物館にあるらしい。
俺はそれを見に遠野博物館へ訪れていた。
「おめでとうございます、あなたは記念すべき当館入場……あれ、キチクさんじゃないですか」
面識のある事務員の前原さんだった。ていうか遠野博物館お前もか。
「今日はどんな用事なんですか?」
「ええ、実は……」
俺はかくかくしかじかと理由を話す。
「そんな事が起きてるんですか……」
「ええ、おかげで参ってますよ」
「確かに、いいことばかり起きてる割には疲れてるみたいですね」
「そりゃもう」
身の丈を越えた幸運や財産と言うのは重荷にしかならない。ただでさえ収益化してけっこうエグい金入るようになって嬉しさ余って困ってたところなのに。
「それで、うちにある妖刀に触ってみたい、呪われてみたいと。相変わらず奇特ですねえ。で、どの妖刀ですか?」
鍵束をもって平然という前原さん。うん、あなたたちも十分奇特じゃないかな。どの妖刀って何だよ。
「遠野物語にある、蛇に変わったという妖刀ですね。所有者は不幸になるっていう……って、そういえばそんなの所蔵して博物館は大丈夫なんですか」
今更だけど。
「大丈夫ですよ、昔から言うじゃないですか。呪いには呪いをぶつけるって」
……。
なるほど、遠野博物館の人が言うと説得力しかねぇな。今更だったわ。
「こちらです」
前原さんががちゃりと地下室の鍵を開ける。
そこには……
「うっわ」
引いた。
何が引いたかって、別に乱雑なゴミ部屋だとかそういうことではない。整頓された部屋。ただそれだけだ。
そこに呪物しかないという事を除けば。
「……呪物」
「ですね」
「なんかすごい量ですけど」
「そうですねえ……まあ遠野ですし」
「遠野ですしね」
遠野だからな。
「そして、こちらがキチクさんご所望の刀……日宝寿です」
見事な一振りの刀だった。
反りが高く、身幅は元先ともに広く、腰には踏張りがある。
切先は延びごころで大きい。
地は板目、太く肌立ち、大きく白気映がある。
刃文は広直ぐのたれで、刃縁はほつれ、総体に淡気ている。
その銘には「永和二年八月日寶寿」と刻まれていた。
「これが……妖刀、日宝寿……」
その美しさに俺は息を呑む。
周囲を呪物に囲まれ、呪詛に満ちた部屋でなお、それは美しく異彩を放っていた。
「……手に取っても?」
「どうぞ、本来なら駄目ですけど、キチクさんならいいですよ」
信頼されているのか、それとも。
俺はそっと刀を手に取る。
ずっしりと重く、それでいて手に吸い付くような手触り。
「……」
俺は鞘に手をやり、ゆっくりと刀身を引き抜く。
「おお……」
思わず感嘆の声が漏れた。
妖しい光を放つ刀身が姿を現す。
それはまさに呪いの刃だった。
素人ですら分かるほどの、禍々しさと美しさを兼ね備えた刀だ。
俺はその刀を食い入るように見つめる。
すると――声が響いた。
『抜いたな、我を』
「っ!?」
『我を鞘から抜いたな、人の子よ』
「なんだ!?どこからだ!」
俺は周囲を見回すが、どこにも人の姿はない。
いや、正確には人の形をした姿が無いと言うべきか。
声は刀の方から響いている。
『我は日宝寿。我は刀、我は刃、我は凶器――』
刀が、ぐにゃりと曲がる。いや、膨張する。なんだこれは!?
『我は恨む! 我を振るわぬ、人間を! 我は祟る! 肉を斬れず血を吸えぬ、この現世を――!!』
刀が、日宝寿が、いや、日宝寿だったものが。
「な、なんだ……これは……」
それはまさに蛇だった。
赤い鱗に金色の瞳。そして巨大な体躯の大蛇がそこにいた。
『我は呪いの刃! 我は怨嗟の塊! 我を振るうならば力を見せよ! 人の子よ!』
そう叫ぶ大蛇。
「なんじゃこりゃあ! ちょっ、前原さん……いねえ!」
前原さんは避難していた。早いな。
「くっ!」
俺は慌てて部屋を出る。
あんな呪物ばかりの場所で戦ったら何が起こるかわからない。廊下を出て階段を駆け上がる。
「……っ!」
大蛇はそんな俺を追って来る。
くそ、しかしどうするべきか。
外に出る? 論外だ。町中でこんな化け物を暴れさせるわけにはいかない。
かといって博物館の中で暴れたら大変だ。展示物を壊してしまうかもしれないし、ここは普通に一般に呪物が展示されている博物館だ。何が起きるかわからない。
くそ、都合よくダンジョンがあれば……いや、ここにあった!
「こっちだ、こい!」
俺は叫び、全力で走る。
展示エリアの一角、供養絵額が飾ってあるエリア――そう、ここはかつて人を喰らうダンジョンと化し、そして今もダンジョンである一枚の絵がある。
供養絵額ダンジョン――俺はその入り口である絵に飛び込んだ。