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2話


 春が来た。

 家前にある小さな花壇には、真っ赤なチューリップの花が咲き誇っている。毎日の水やりは、私の仕事だ。故に、この花の美しさは私の努力の結晶でもあるのだ。……という話をマーティンにしたら「そうだね、うんうん。そうそう」と、笑われてしまったよ。なぜ笑われたのか、今考えてもよくわからない。


 なんてことを考えつつ、ダイニングテーブルに座って子どもたちが駆け回るのを見ていると、カタンと音を立てて郵便受けに手紙が投下された。

 一番近くに居たリリーが、それを拾い上げてマーティンの元へと持っていく。


「マーティン、手紙が来てるよ! 王宮の紋章がついてる!」

「ありがとう、リリー」

「なんの手紙だ? もしかして、王宮専属画家の誘いとか!?」

「待ってよ、まだそんな話は……」


 とはいえ、何もないのに王宮から手紙が届くはずもない。しかし、重要な話であれば使いの者が直接手渡しでくるだろう。と言うことは、その間の話か。……間って、なんだ? とにかく、早く中身を知りたいな。


 周囲の急かしてくる声に苦笑しながら、マーティンがゆっくりと封蝋を解いていく。その手が震えているところを見るに、彼も緊張しているらしい。開けるのを代わろうか? と言おうとしたが、まあ本人の夢の第一歩かもしれん。私が水を差す行為をしてどうする。


「……った」

「え? ……!?」


 封筒の中から手紙を手に取ったマーティンは、小さな声で言葉を吐いた。でも、魔女の私ですら聞き取れないほど小さな声だ。聞き返すと、バッと私の方を向いて急に抱きついてくる。

 驚いたものの、人間は非力だ。そのまま倒れることなく、しっかりとマーティンを支えることに成功する。……いや、そんなことはどうでも良い。それより、こんな子どもたちを差し置いて私たちだけで抱き合っている状況はいただけない。かと言って、全身を高揚させて震えるマーティンにそんなこと言えるほど私も野暮ではないし。どうしたものか……。この様子だと、吉報だったに違いない。


「宮廷専属画家の試験に推薦されたんだ!」

「本当か!?」

「本当だよ! 今日はエイプリルフール……じゃないよな! 夢じゃないよな!」

「ああ、夢じゃない。エイプリルフールは先週だった。現実だよ、君の実力だ」

「やった……。これで、子どもたちに美味しいご飯を買ってやれる……」

「おいおい、まだ受かってないだろう。試験を受けるってだけで」

「でも、コンペに出せばいつもより報酬がもらえるって。そう、書いてある」


 と、やはり吉報だったらしい。

 私を抱きしめた彼は、そのまま子どもたちの方へと向かい1人ひとり同じ行為を繰り返す。アルだけは、「やめろ! 暑苦しい!」と言っていたが、それでもマーティンに嬉しいことがあったのがわかるのだろう。笑いながらそれを受け入れている。


 こうして、その日も私にとって第二の記念日となった。



***




 第二試験まで順調に駒を進めたマーティンは、生活費を稼ぐための絵を描きながらも試験の準備に勤しんでいた。

 以前よりも、作業部屋に籠ることが多くなったんだ。


 ……寂しいとかではない。断じて違う。頑張ってる奴に、そんなこと思ってはいけないだろう。だから、これは私の胸の中に取っておくものだ。


「ねえ、マーティンが呼んでる」

「私をか?」

「うん。キッチンでホットミルク飲んでた」

「そうか、と言うことはシーラも飲んだな? ちゃんと、歯を磨くんだぞ。あいつの作るホットミルクは、蜂蜜が多すぎる」

「あ、バレちゃった! はあい、わかりました」


 ボーッとしながら穴の空いた子どもたちの服を縫っていると、シーラが私を呼びに来た。

 これでも、裁縫は結構得意なんだ。マーティンに教えてもらいながら見様見真似でやって、今では一回も指を刺さずに縫えるようになった! これは、すごいことだろう? あいつも褒めてくれたし。

 いや、そうじゃない。呼ばれているんだろう? マーティンの貴重な時間を削るのはダメだ。私は、子どもたちに針をいたずらされないよう棚の上に置き、席を立つ。



***



 キッチン……と言っても、そんな大それたものではない。

 大人1人が入れば、かなり狭苦しいと感じる場所だ。コンロと水道があるから、かろうじてキッチンと呼べるような場所なだけ。そんなところで、マーティンはコップを片手に鼻歌を唄っていた。


「呼んでると聞いたが、なんだ?」

「ああ、相談したいことがあってね」

「金の心配ならするな。ちゃんと、言われたように切り詰めて使っている」

「そうじゃないよ。そこは、別に心配してない」

「じゃあ、なんだ? 肩が凝ったか? それとも、腰か? 揉んでやろう」

「はは、君は相変わらず心配性だなあ。そんな君だから、子どもたちを預けてこうやって絵に集中できるんだけどさ」

「なんだよ、話を逸らすな。次の試験まで時間がないじゃないか。もう作品はできてるのか?」

「うん、できてる。あとは、君の許可をもらうだけだ」

「……許可?」


 そう言った彼は、コップを流し台に入れて私の手を引いてきた。どうやら、作業部屋に案内してくれるらしい。

 相談に許可って、何を言ってるんだ? 聞きたいが、聞ける雰囲気ではない。なぜなら、握られた手からは、尋常でない手汗が出ているんだ。私は魔女だから、汗はかかない。ってことは、マーティンのものだ。何を、そんなに緊張しているのだろうか。


 その答えは、作業部屋の扉を開けたらすぐに理解した。


「……これ、は?」

「最初に君を描いた時のスケッチを、作品にしてみたんだ。……えっと、どうかな。その……」


 真っ白なワンピースを身にまとい、雪の中で退屈そうに足を投げ出す女性が居た。ベンチに腰を下ろし、降り注ぐ雪を眺めているその様子は、まるで生きているような。すぐにでも、動きそうな勢いを感じさせてくる。

 一瞬、息をするのも忘れた。なんなら、ここがどこで、私が誰なのかも綺麗さっぱり。……これが、私? 確かに、白い髪に黄金の瞳の女性だ。でも、こんな人間らしい私を、私は知らない。


 私は、魔女だ。

 1,000年を生きる、魔女だ。


 でも、この絵を見て、人間になりたいと思ってしまった。

 人間になって、マーティンと一緒に生死を共にしたいと。叶わぬ夢を、願ってしまった。


「……これが私か?」

「うん。……ごめんね、勝手に描いて。これを、次の試験会場に持っていきたくて……泣くほど、嫌だった?」

「え?」


 気づけば、頬に冷たいものが伝っていた。

 マーティンが、それをハンカチで拭ってくれる。でも、私は動けない。


 それよりも、目の前でワンピースを雪に晒す私を見るので精一杯。

 カンバスの端から端まで、脳裏に焼き付けたかった。この絵を、私の命が尽きるまで持っていくことはできないだろう。だから、できるだけ覚えていたかった。


「違うんだ。よくわからないが、嬉しいんだと思う。マーティンが、私を選んでくれて……こんな、何も持ってない私を……」

「……君は、たくさんのものを僕にくれた。何も持ってないなんて言わないでほしい」

「しかし……」

「僕が今一番怖いことは、試験に落ちることじゃない。君が突然どこかに消えることなんだ。だから、早くこの絵を完成させて、君に伝えたかったんだ」

「……伝える? 何をだ?」


 薄暗い部屋の中、手を握っていた彼は私の身体を包み込んできた。

 その温かさは、やはり魔女の私にはないもの。どこまでも、人間と魔女の違いを感じさせてくるものだ。でも、不思議と嫌な気持ちにはならない。

 カンバスから目を離すと、絵の具の飛び散ったエプロンから油の匂いがする。最初は慣れなかったが、今では好きな匂いですらあるな。私は、この2年で何を得たのだろうか。

 その得たものを、彼が口にしてきた。


「……君が好きだ。魔女でもなんでも良い。ずっと一緒に居てくれとは言わないから、もう少しだけここに居て欲しい。僕を見てて欲しい」


 その声は、王宮専属画家の試験通達をもらった時より震えている。

 だから、いつもの茶化しではないとすぐにわかった。


「私で良いのか?」

「君じゃなきゃ、嫌だ」

「はは、変なやつ」

「変な奴で良い。ずっと、ずっと怖くて言えなかったんだ」

「……魔女が、人間を好きになっても良いのか?」

「ダメなんて、言わせない」

「なら、その気持ちを受け取ろう。試験に、その絵を持って行くが良い。ただし、条件をつけたい」

「……条件?」


 奇遇だな、マーティン。

 私も、ずっと怖くて言えなかったことがある。


 いつも、真っ白いカンバスが羨ましかったんだ。楽しそうに筆を握る彼を、ずっと間近で見られるカンバスが。

 でも、それはおかしい気持ちだと思って我慢してた。今なら、その気持ちを言える気がする。


「……私も身体に、作品を入れてほしい。マーティンが死んでも、私がお前の生きていた証を背負いたい」


 マーティンは、一瞬だけ驚いたような顔をした。

 その顔は、アルが初めて目玉焼きを焼いて焦がした時と同じ表情だ。ちょっとだけ面白い。


 でも、それは一瞬で。

 彼は、すぐにホッとしたような表情をしながら、小さな声で「良いよ」と呟いた。



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