1話
雪の降る季節がやってきた。
白い牡丹雪が地面を真っ白に染め上げる様子は、いつ見ても飽きないものだ。
生まれて何度、この景色を見てきたのだろうか。
魔女である私に、寿命はないに等しい。数えきれないほど視界に入れてきたためか、もうその回数を思い出すことは叶わないだろう。
雪に重さはないはずなのに、耳を澄ませるとシンシンと音を私に与えてくれる。
目を瞑っても聞こえるそれは、退屈な日を送っている私にとって年に数回の楽しみと言っても過言ではない。故に、私は今年もベンチに腰掛けその景色を耳で楽しむ。……真っ白なワンピースに、薄いカーディガンを羽織りながら。
「……ところで、マーティンよ。いつまで私を写生するつもりだ?」
「動かないで! あと少しだから」
「私は良いが……手が赤くなってるじゃないか。早く帰ってホットミルクでも」
「動かない! 左の肩を1cm下げて。……そう。腕をもう少し後ろに……はい、ストップ」
「はあ……、仕方ないなあ」
「しゃべらない!」
「……っ」
今年の冬は、この大好きな光景を人間と一緒に見ている。……と思う。
だって、その人間である彼の視線は先ほどからスケッチブックと私の間を行き来してるだけ。雪を見ているかと言われたら、確信はない。
しかし、しょうがないだろう。彼は、絵を描くのが大好きなのだから。
その人間の名前は、マーティン・レガーロ。
住んでいる街では、多少名の知れた画家だった。彼は絵を売ったお金で、小規模の孤児院を経営しながら暮らしている。私も……奴に言わせれば「孤児」らしい。1,000年を生きた魔女を子ども扱いとは、恐れ入ったよ。でも、嫌いじゃない。奴のそう言うところ。
出会った日も、こうやって雪が降っていた。あの時は風も強く、降り続く雪が舞い上がり吹雪に近い状態だったことを今でもよく覚えている。
そんな中、彼は私に断りもなく勝手に被写体にしてスケッチに勤しんでいた。もちろん、今日のように手を真っ赤に染めながら。
半世紀前に起きた魔女狩りによって同胞のほとんどを人間に奪われた私にとって、奴らは好かない存在だ。
でも、マーティンの真剣な表情には抗えなかった。魔女だと言っても「だから?」と返されたら、笑うしかないだろう。
だから、被写体としてその場に居続けて……気づいたら、彼と2度目の冬を迎えていたよ。何がどうしてこうなったのか、私にもわからない。
「よし、できた」
「美人に描いてくれたか?」
「もともと、君は美しいからね。意識しなくても美人に描けるさ」
「はは、お前は! どうせ、他の女にも同じこと言ってるんだろう」
「さあね。画家は、モデルのコンディションを最高潮にするのも仕事だから」
「ふん、わかってるさ。それより、早く帰ろう。アルたちが待ってる」
「そうだね。それに、今朝作ったボーロ・デ・メルが冷えてる頃だよ。君の大好物だろう?」
私は、この瞬間のために彼と一緒に居る。
この、スケッチから目を離した時の彼の優しい視線を脳裏に刻むため。その視線を見ただけで、人間への憎しみが驚くほど浄化されていくんだ。
それだけのために、人間へ私の時間を捧げてしまうなんて変だろう? でも、仕方ない。すでに、2年も経ってるのだから、そろそろ魔女だ人間だという感情をなくしていかなくては。
私たち同胞を殺したのは、目の前に居る彼ではない。もうとっくに命が尽きた、この世に居ない人間だ。そんな奴らに憎しみを抱いているほど、今の私は暇じゃない。
「そうだが……まだ、クリスマスには早いぞ。予行練習か?」
「イヴも早いよ。そうじゃなくて、今日は君が僕の被写体になって2年の記念日だ。僕からのプレゼントだよ」
「……そう、か」
「あれ、嬉しくないの?」
「そんなことない、嬉しいよ。……本当に、嬉しい。ありがたくいただくよ、マーティン」
「うん。だから、明日からも……」
ベンチから立ち上がった私は、マーティンに背を向けて大きく背伸びをした。
まだ、人間に泣き顔を晒したくないんだ。人間の行動で魔女が感動するなんて、恥ずかしすぎるだろう。そんな感情を知らなかった私にとって、どう納めたら良いのかわからない感情なんだ。だから、高揚が収まるまではこうして顔を隠すしかない。
私に、もう少し余裕があったら気づいていただろうな。
マーティンの表情が暗くなったこと、言葉が途中で途絶えてしまったこと。そして、私に向かって彼が手を伸ばそうとしていたこと。
自分の感情で精一杯だった私には、何一つ気づけなかったんだ。
***
雪が完全に溶けて、もうそろそろ春がやってくる。
なのに私は、いまだにマーティンの家で孤児たちの面倒を見ていた。
「こら、アル! 湯冷めするだろう、ちゃんと服を着ろ!」
「やだもーん!」
「なんだと!? マーティンが居ないからって勝手して!」
「へへーん。捕まえてみろ〜」
「この野郎〜〜! 絶対捕まえる!」
「がんばれ!」
「逃げ切れ!」
「どっちも負けるな〜」
こうやって、小さな家の中を駆け回る時間が好きだ。子どもたちが風邪を引いたら申し訳ない気持ちになるが、今は楽しい。
子どもは、純粋だ。大人のように、いろんな感情を持ち合わせていないことは既に理解している。だから、余計楽しいんだ。こうして、頭を空っぽにして走り回るなんて、ここに来なければ味わえなかったことだと思う。
私は、長袖の服を片手に、アルと呼ばれている男の子を追いかけ回す。側には、リリー、イリス、シーラの三姉妹が応援しているが……どっちの味方をしてるのだ? 「逃げ切れ」ってことは、私ではないのか……? でも、「どっちも負けるな」と言ってるし。よくわからん。
「……何がどうして、こうなったんだ?」
「あ、マーティンおかえり!」
「マーティン! あのね」
「聞いてよ、あのさー!」
すると、入り口の扉が開き、外出していたマーティンが帰ってきた。出掛けに持っていた大きなカンバスがなくなっているところを見るに、今日も絵が売れたのだろう。心なしか、とても良い表情をして……いや、私たちを見て怪訝そうな表情をしている。
開け放たれた扉から差し込む隙間風に寒さを感じたのか、半裸で走り回っていたアルが私から長袖の服をひったくった。文句を言おうとしたが、その前にマーティンの元に全員行ってしまうんだから! 全く、可愛い奴らめ。
私は、マーティンの苦笑に満ちた顔を見ながら、今の「かけっこ」によって散らかってしまった衣服やおもちゃの類を片付けに入る。昔は、自分の片付けも面倒でやったことないんだがな。今は、そうそう苦でもない。
「君も、お疲れ様。絵、売れたよ」
「おかえり、マーティン。よかったじゃないか。今日のは、誰に売れたんだ?」
「聞いて驚かないでくれよ?」
「勿体ぶるな。そんな大物なのか?」
「なんと、第二王子のサリエル様!」
「……おっと、今日はエイプリルフールか。危うく騙されるところだった」
「違う、エイプリルフールは来月! もっと先!」
「なら、夢か。ちょっと目覚めるのに一回寝てくる」
「もう、本当だって! 全く、君は!」
「はは、冗談だ。おめでとう、マーティン!」
マーティンは、4人の子どもたちの頭を撫でながら私に話しかけてくる。よほど嬉しかったらしい。いつもなら、子どもたちを抱っこして目が回りそうなほどグルグル回転させてから私にただいまの挨拶をするのに。
でも、それだけ嬉しいことだよ。第二王子の目に、彼の絵が止まったということは。人間社会の階級は、この2年で理解している。故に、王族に気に入ってもらえれば出世することもわかっている。だから、私も素直に嬉しい。多少いじめたのは、私からの祝福の言葉だと思ってくれ。
その日の夕飯は、いつも以上に賑やかだった。
質素な食事内容は変わらないが、話の内容に花が咲いた。アルは絵の出品場所に、三姉妹は第二王子の容姿に興味を持ちマーティンの話に耳を傾ける。無論、私も彼が楽しそうに話す様子を十分堪能したよ。
なんと言っても、彼の夢は王宮専属画家。その夢に、今日一歩近づいたんだろう? 私に出会った日なんかと比べ物にならないほどの記念日じゃないか。来年は、今日この日を私から祝ってやろう。忘れないぞ。