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星空のティータイム

作者: ふるぼし

 いつも通りドアに鍵を差し込み、ゆっくりと扉を開ける。真っ暗な部屋に軽く溜息をついて、手探りで玄関の電気を点けた。

 12階建てのマンションの8階。賃貸の1LDKがこの街での私の居場所になっている。

「新入社員の割には豪華だよね?」

 入居直後に遊びに来た友人の意見。まあねと苦笑いしたあの日から、早いものでもう三年が経っていた。

 部屋探しの時に最低限の条件にしていたオートロックとバストイレ別。ここはそれにプラスして街の夜景と広いベランダが付いていた。その分家賃は高くなったけど、私にしては悪くない判断だったと思っている。


 私は仕事から帰宅した時のルーティーンに入った。

 電気ケトルに水を入れてお湯を沸かし、部屋着にしているTシャツとショートパンツに着替えて、スーツをハンガーにかける。洗面所で手早く化粧を落とすと、それがちょうどお湯が沸く時間だ。

 食器棚からお茶のセット一式を取り出して、いつもの手順でテーブルに並べる。そしてその真ん中に先月から愛用している藍色の天目茶碗を置いた。


 一か月前。

 仕事の昼休みに立ち寄ったデパートで、たまたま開催されていた茶碗の展示即売会。特段茶道に興味がある訳でもなく、時間潰しにと立ち寄ってみただけの筈だったが、私はそこに置かれていた天目茶碗に心を奪われてしまう。吸い込まれるような深い藍色の茶碗は、十五万円の値札が付けられていた。

 無理をすれば私にも買える値段。逆に言えば無理しないと買えない値段。そういう意味では絶妙の価格設定である。


 結局私はかなり無理をして、その茶碗を手に入れることにした。

 現金の持ち合わせはそれほど無いので決済はカード。来月の引き落としを考えると身震いするが仕方ない。支払い手続きが終わった後、私はたまたまその会場に来ていた作者を紹介された。

「思いを込めてつくりました。後はお願いします。是非使ってあげてください」

 私より少し年上くらいのまだ若い男性。結構イケメンでドキドキしながら、私は桐の箱に入った茶碗を受け取る。真剣な眼差しに、使い方を知らないとは言えなかった。


 それから私はインターネットを参考に、茶道をするのに最低限の道具を購入。何日かは動画の通り「お茶をたてる」という行為をしてみたが、ちょうど3日目で挫折して今のやり方になった。

 抹茶は茶杓ではなくスプーンで茶碗に入れる。お湯は柄杓ではなく電気ケトルから直接注ぐ。安物の茶筅でシャカシャカと適当にかき混ぜて泡立てる。お茶請けは和菓子ではなくチョコレート。飲むのは茶室ではなく、ベランダに置いた小さなテーブルと椅子だ。


 今日は天気が良いけど風が冷たい。ショートパンツに生足だと少し肌寒い感じがする。でも夜空には星が見えるし、眼下には夜景が広がっていた。それは仕事であったいくつかの嫌な事を、上書きするのに十分な魅力がある。

 星空と夜景の隙間に、私は茶碗を持ち上げて色を重ねた。茶碗を回す代わりに私が自分で考えた「独自の作法」がこれ。夜景に照らされた夜空の境目に、藍色が重なる風景が心地よい。

 私は少し茶碗を眺めてから抹茶を口に含んだ。やわらかな香りが心まで伝わっていく。


 今日も色々な事があった。どちらかと言うと嬉しい事よりも悲しい事が多かった気がする。でもこんな夜があるならそれも悪くない。

 私は今日の出来事を思い出しながら、残りの抹茶を一気に飲み干した。これできっと明日も大丈夫。空になった茶碗を見ていると元気が湧いてくる。


 ・・・今日はもう一杯。

 たまにはちょっと贅沢しても良いと思う。だって今日はいつも以上に元気が必要だ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 拝読しました。(読むの遅くなってすみません) 8年後のお話なので、主人公は社会人生活を謳歌(?)してますね。  陶芸家の方と何かあるのかなと少し思いました。  空というキーワード、良いと思…
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