昔の約束
アーディンの言葉がうまく飲み込めず、私は思わず彼の言葉を繰り返した。
「えっ……。結婚相手って、今、言った……?」
「ああ、そうだ」
平然と返すアーディンに、私は慌ててしどろもどろになった。
「でも、どうして? 私は貴族でもなくて単なる平民だし、王子様の相手になんてまったく相応しくないよ。細かな礼儀作法もわからないし、私にあるのは薬の知識くらいだから……」
けれど、アーディンは表情を変えずに続けた。
「理由は、俺がローザ以外は考えられないからだ。……身分なんて関係ない。もしも礼儀作法が学びたいなら、指導する者を付けてもいいが、君は今のままの君でいい。ローザが俺の隣にいてくれるなら、俺はそれで構わない」
あまりに急な展開に頭が追い付かず、私は目の前がくらくらとしてきた。両手で頭を押さえながら、アーディンに問い掛ける。
「まだ飲み込めないわ。何でアーディンは私がいいの? ちょっと、唐突過ぎて……。私たち、久し振りに会ったばかりじゃない」
アーディンはすっと目を細めた。
「……ローザ、君にまた会うために、どれだけ国内を探したと思ってる。あんな舞踏会だって俺は御免蒙りたい代物だったが、国中の女性を招くという条件で承諾したんだ。
結婚相手に君がいい理由なんて、一つしかないだろう? ……俺が、ローザを好きだからだよ」
「……!!」
アーディンの口調は変わらなかったけれど、少し照れて頬を赤らめさせていた。その驚くほどに整った顔で。
今、私は彼が昔からの知り合いだと知って話しているから、まだ正気を保っていられるけれど、この美形の王子にいきなりこんな表情で、愛の言葉を真正面から投げ掛けられたら、普通なら卒倒ものだろう。
私が動けずに固まっていると、アーディンは隣に腰掛ける私の側に、その身体ごと少し近付いた。至近距離から、その輝きの強い瞳が私の目を覗き込む。
「昔、君に助けられてから、しばらく一緒に住んでいた時だって、俺はローザに何度も言ったよ。君が好きだって」
「そんな、幼い頃の話……」
そういえば、そんなこともあったような気がする。まだ今よりずっと線が細くて、背も私より低かった幼い彼を前にして、子供にはよくある、その場限りの可愛らしい言葉だと受け取っていたのだけれど。
アーディンはさらに私に近付くと、私の髪の毛を指先に絡めた。私は、どうしようもなく頬に熱が集まるのを感じた。
「俺の気持ちはあの頃から変わっていないよ。俺の側にいて欲しい女性は、君以外はどうしたって考えられないんだ。それに、君だって言っていたよ? 将来、俺が君よりも背が高くなって、……」
(あ……!!)
思い出した。確かに、そんなことを彼に言ったような気がする。
『ぼくが大きくなったら、ぼくのお嫁さんになって』
目をきらきらさせて纏わりついてくる可愛らしい彼に向かって、私は頷いて言ったのだった。
『じゃあ、アークが私よりも背が高くなって、格好良くなって、私のことを守れるくらい強くなったら、私のことを迎えに来てね?』
アーディンの言葉を途中で慌てて遮ると、私は口を開いた。
「……思い出した。よく、そんなこと覚えてたわね……!」
彼の目が、獲物を狙うように鋭く光った。
「ほう、思い出してくれたんだな。つまり、俺が条件を満たして君を迎えに来たら、俺との結婚を承諾してくれるということだったね?」
「ええっと……」
明らか過ぎるほどに昔の約束の条件を満たした彼を前にして、子供の冗談だとも言えず言葉に詰まる私の耳元に、彼は唇を寄せた。
「ずっと君が好きだったよ、ローザ」
そのまま私の耳にそっと彼の唇が触れて、まるで耳に火がついたように、かあっと熱くなった。
思わず後退ると、アーク、もといアーディンが楽しそうな目で私を見つめている。
「私、将来の王妃なんてさすがに無理よ。……考える時間を少し頂戴?」
「とりあえず結婚してから考えれば? それからでも、考える時間は幾らでもあるから」
口の端を持ち上げるアーディンを見て、呆然とする。……昔は、こんなに強引じゃなかった。とにかく愛らしくて、むしろ守ってあげたくなるような男の子だったのに。
私は家から逃げ出すよりも、もっと難しいところに捕まってしまったのかもしれない。
……私には、まだやりたいことがある。さて、どうやってここから逃げ出したものだろうか。