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王子の執念

ディムが、発光し始めた赤い瞳でベネディクト様を見つめた。


「な、何だ……?」


そう呟いたベネディクト様の頬が、急に萎れるようにこけ始めた。若々しく艶のある彼の白い肌に、醜い皺が少しずつ浮き上がっていく。驚きと恐怖に息を飲んでいる周囲に対して、彼はその身に起きていることを理解していないようだった。ベネディクト様は、逆に、次第に張りが戻って来ているディムの肌を、ただ不思議そうに眺めていた。


「ひっ……! やっぱり、お前の封印は解けていたんだな……」


ベネディクト様を見つめて小さく悲鳴を上げた公爵に、ディムは次に視線を向けた。ディムの赤い瞳が輝くと、公爵は膝からがくりと崩れ落ちた。その足元には、服越しに痛々しく血が滲んでいる。


『これは、昔、僕が父上から引き受けた傷だよ。結局、父上は権力にしか興味がないまま、今まで何も、どこも変わらなかったんだね。……もう、それはお返しするね』


(ディムは、人や動物から病や傷を引き受ける時、それに伴う記憶を得るだけじゃなくて、引き受けた傷や病といったものを、他者へと引き渡すこともできるのかしら……)


私は、信じられないような思いで目の前の光景を眺めていた。ベネディクト様が急に老いたように見えたのは、ディムが国王陛下から引き取った何かを、彼に転嫁したせいなのだろうか。ディムは、どこかもの悲しそうに目を伏せていた。いつも優しいディムにとって、きっとこのようなことは、たとえ相手が悪くとも、あまり望ましいことではないのだろう。


呆然としていたエリック様が、ぽつりと呟いた。


「キグナス家から、病まみれの少年が突然姿を消してしまったと、そんな話を耳に挟んではいましたが。それが彼だったとは……」


生まれた家には帰れないと、そう話していた辛そうなディムの顔が思い出され、心が痛くなった。私が彼に出会った時から、彼にはたくさんの病や傷の痕があったことからは、きっとディムは、その優しさにつけ込まれ、いいように治療に利用された挙句、その隠された力を知られた途端に、怯えられて魔法で力を封じられ、棄てられてしまったということなのだろう。


血塗れの足で床にへたり込んだ公爵の姿に青ざめたベネディクト様が、自らの皺の浮いた手に気付いて悲鳴を上げた。


「どういうことだ? 僕に何をした!?」


血走った目でディムを睨み付けたベネディクト様は、震えながら自らの手を眺め、そして恐る恐る自分の顔をそっと触った。わなわなと、その震えが大きくなる。彼は、それからディムの隣にいるヤドリナお婆ちゃんに視線を移した。


「ただの老婆か……いや、違う。貴女はあの、迷いの森の魔女?」


ベネディクト王子は、呆けたようにしばらくヤドリナお婆ちゃんを見つめていた。ヤドリナお婆ちゃんは不快そうに顔を顰めたけれど、ベネディクト王子は突然、その目を輝かせた。


「……そうか、そうだったのか」


彼は何やら小声で呟くと、堪え切れなくなったように、はじめはくつくつと、そして途中から大声を上げて笑い始めた。


「はは、これで僕の運が尽きたとでも思ったのかい。……天はまだ、僕のことを見放してはいなかったようだ。今のこの時ほど、僕は、自分の授かった力に感謝したことはないよ」


そう言った彼は、くるりと振り返ると、顔に笑みを浮かべたまま、なぜかゆっくりと私に向かって近付いて来た。彼の皺の刻まれた顔の中で、その二つの瞳だけが異様なほどに輝いていた。


「ローザ様。まさか、貴女だったとは。……貴女が、すべての狂いをもたらした原因だったんだね。この代の守り神となるはずの、一角のペガサスが見つからなかったのも、」


私の目の前までやって来たベネディクト様は、私を庇うアーディンの横から、首を伸ばすと私に向かって囁き掛けた。


「……そして、魔法が使えなかったはずのアーディンが、なぜか、魔法の力を凌駕するほど強力な加護を得て戻って来たのも」


(アーディンが、魔法を使えなかった?)


私は驚いてアーディンを見上げた。アーディンは、私に小さく微笑んでから、ベネディクト様に視線を戻した。


一種異様な雰囲気を纏ったベネディクト様は、私に向かって両腕を広げた。


「さあ、僕のところにおいで」


恐怖に身を竦めた私の前で、アーディンが私を庇ってすっと剣を抜いた。


「何を言っているんだ、兄上。これ以上ローザに何かしたら、俺は決して兄上を許しませんよ」


ベネディクト王子は、アーディンの言葉は無視して、私だけを見つめていた。


「……ローザ。貴女は、自分から僕の元に来るんだ。もし、元気な姿のご両親に、また会いたいと願うのならね……」


急に私を呼び捨てにしたベネディクト様は、従者に目で合図を送ると、さっき私が前の部屋で見たのと同じ、丸い鏡のような面を浮かび上がらせた。そこには、猿ぐつわを嵌められ、彼の手下と思しき人たちに囲まれた私の両親の姿があった。


「卑怯だわ!」


私が叫ぶと、彼は静かな声で私に告げた。


「彼らの命は、僕の手中にある。もしも彼らを助けたいのなら、僕の元に、今すぐにおいで。目的さえ達したならば、ちゃんと彼らも、貴女のことも解放してあげるから」


エリック様の怒りに満ちた声が、すぐ横から響いた。


「ベネディクト。こんなことをして、許されるとでも思っているのですか? ここにいる者たちも皆、貴方の行いを見ているのですよ。なぜ、自ら牢に入るようなことを?」


ベネディクト様が、エリック様の言葉をふっと鼻で笑った。


「兄上。賢明な兄上なら、わかってくださると思うのですが。……歴史は、常に勝者が作ります。最も高い地位を得て、国を支配した者が。仮にいくら正しかったとしても、敗者は墓の下に埋もれるだけで、その名前すら歴史には残せない。だから、僕は王となるのに相応しい、誰よりも強い力が欲しいんだ」


ベネディクト様は、私の顔をぎらぎらとした瞳で見つめながら、独り言のように呟いた。


「十分な力さえあれば、あとはどうにだって捩じ伏せられるんだから。僕が欲しいのは、次の王位を得るための力、それだけだ。もしもそれが手に入らないのならば、この命には塵ほどの価値もない」

「ベネディクト、貴方は一体、何を言って……」


もう、ベネディクト様はエリック様の言葉を聞いてすらいなかった。


「ほら、ローザ。早く」


彼の狂気をはらんだ瞳を見て、私は彼が本気であることを感じていた。私がここで彼を拒めば、私の両親の命は、いつ失われてもおかしくはなさそうだった。


私が、アーディンに目で合図をしてから一歩前に進み出ると、ベネディクト王子の手が、痛いほど私の手首を強く握り締めた。彼は、私を引き摺るようにして数歩中庭へと進み出てから、いつの間にか星が瞬き始めていた、仄暗い空をうっとりと見上げた。すうっと一つ、流れ星が煌めきながら、澄んだ空を地面近くまで流れていった。


「……さあ、始まりだ」


まるで私の足元を照らすかのように、ごく近く感じた流れ星に、私も視線を上げて空を見つめた。あの星降る宵の光景と、目の前の星空が重なる。輝きを増した、空に浮かぶ星々が、次々と空から零れ落ち始めた。

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