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癒しの手

部屋の奥にある、国王のいるベッドに向かって歩いて来るディミトリアスを見て、キグナス家公爵は顔を引き攣らせたまま一歩後退った。


「こ、こちらに近付くな!」


ディミトリアスは、公爵に視線をやることもなく、ただ国王を見つめて歩みを進めて行った。ディミトリアスとヤドリナ、そしてルシファーに続いて部屋に入って来た双頭の竜の姿に、部屋の中は一斉にどよめいた。


「国王の竜が、戻って来たぞ……!」


エリックとアーディンが視線を交わした時、新たに廊下から部屋に走り込んで来た数人の人影があった。そのうちの一人が大声で叫んだ。


「何をしている! その誰かもわからぬ者を父上に近付けるな!」

「ベネディクト王子……」


ベネディクトの名を呟いたキグナス家公爵の、血の気のない顔を見て、ベネディクトは計画通りに事が運んでいないことを悟っていた。公爵の視線の先に、国王に近付く青年のほか、彼の側を浮遊する双頭の竜の姿を認めて、ベネディクトも息を飲んだ。


(さっきの騎士からの報告、あれは本物だったのか……)


ベネディクトの従者が数名、剣を抜いてディミトリアスを止めようとしたけれど、振り返った双頭の竜に睨まれると、騎士の手に握られた剣は、音もなくぼろぼろと崩れ落ちた。空になった手の中を見て、呆然と立ち尽くす騎士たちを見ながらも、まだベネディクトは冷静さを保っていた。


(だが、あの竜、あまり余裕はなさそうだな)


ベネディクトは、動物の心の声までは聞くことはできなかったものの、竜の焦燥に駆られた様子は感じ取っていた。


(……父上のことを案ずるが故か。国王の守護竜だけあるな。だが、)


ベネディクトは、隣にいるオリヴァーに視線で合図を送った。オリヴァーが小さく頷く。


その時、部屋の中庭に面した側から馬の蹄の音が近付いて来た。


「何だ、一体?」


落ち着かない様子で、ガラスの扉から中庭の様子を窺っていた護衛の騎士たちの目に、黒光りする馬体が飛び込んで来た。部屋の外で警備をしていた騎士たちが、慌てて叫び声を上げている。


「待て、そこの娘! そこは国王陛下のおわす場所。みだりに立ち入ることは許されないぞ……」


ざわついた空気を突き破るように、よく通る大きな声が馬上から響いた。


「アーディン!!」

「ローザ……」


ふっと口元に笑みを浮かべたアーディンは、後ろ手に少し力を込めると、両手を縛っていた綱を易々と引きちぎった。ぶちりという綱の千切れる音と共に、カイルの腕を縛っていた綱もするりと解ける。馬上からひらりと飛び降りたローザを、アーディンが広げた両腕で抱き留めた。


***


「よかった、ローザ。君が無事で」


安堵の表情を浮かべたアーディンの腕の中で、私も全身の緊張が少し緩むのを感じていた。カイル様も、私の姿を見て微笑んでいる。


「アーディン、大丈夫なの!?」

「ああ。そこにいる公爵に、君が捕らわれていると聞いて、何も手出しできずにいたんだが、もう遠慮はいらなそうだな」


「……そういうことでしたか」


アーディンの言葉に、エリック様が鋭い視線で、公爵だという身なりの立派な男性を、射抜くように睨み付けていた。


「私、何がどうなっているのか、わからなくて……。あっ、」


部屋の中に視線を向けた私は、眠る国王陛下のすぐ側まで近付いている、ヤドリナお婆ちゃんとディムと目が合った。


「ヤドリナお婆ちゃんに、ディムもここに!?」


驚きに目を丸くした私に、お婆ちゃんは楽しげな笑みを浮かべていた。


「ほっほっ。随分と派手な登場だったね、ローザ。……まあ、この舞台には、それくらいの方が似つかわしいかもしれんね」


改めて室内を見回すと、お婆ちゃんたち二人の側にはルシファー様がいて、さらにワイアット様を除く王子全員に加え、オリヴァー様の姿も見えた。ヤドリナお婆ちゃんとディムの後ろにいたオリヴァー様が、私の姿を認めて顔を歪めたのがわかって、私は思わず彼から目を逸らした。金色に輝く、少し前に私が見た個体よりも立派な体躯をした双頭の竜が、天井の高いその部屋でゆらゆらと浮遊している様子は、緊迫した空気の中でもどこか幻想的だった。エリオット様は、大人数が集まった部屋を一瞥すると、私に軽く微笑み掛けてから、部屋の外に歩み出て来て、急に暗くなった空を私の隣で見上げていた。


状況が掴めないまま、エリオット様につられるように群青色に沈んだ空を見上げた私に、彼は笑みを深めた。


「ローザ、私の今までの人生の中でも、最も神秘的な瞬間をもたらしてくれるであろう貴女に、まずは感謝を。……ただ、この舞台の一人目の主役は彼ですよ。ほら、ご覧なさい……」


私は、今回もエリオット様の言葉の意味するところはよくわからなかったけれど、彼が指差したディムに視線を戻した。ディムは、国王陛下の顔の前に手を翳そうとしていた。


「国王陛下に何をする。早く、ディミトリアスを止めろ……!」


顔面蒼白になった、あの公爵と呼ばれた男性がそう叫んだけれど、部屋にいる者たちは誰も動くことのできないまま、ディムの様子を固唾を飲んで見つめていた。


ディムの手が、国王陛下の顔を照らすように、ふわりと発光したように見えた。国王陛下の土気色だった顔に、少しずつ血の気がもどり、肌艶も増して行く。驚きと感嘆の声が漏れ聞こえる中で、国王陛下の回復と反比例するように、ディミトリアスの顔色は次第に悪くなり、まだ若いはずの彼の肌には皺が刻まれていった。ヤドリナお婆ちゃんが、やや眉を下げてディムに告げていた。


「気を付けるんじゃよ、ディム。やり過ぎたら、お前さんの力を一気に失ってしまうよ」

『うん、わかってる』


苦しげに息を吐き、足元をふらつかせたディムの身体を、ルシファー様が後ろから抱き留めた。


「大丈夫か、ディム?」

『うん、僕は大丈夫。それに、ほら、見て……』


ディムの視線の先で、国王陛下の瞼が微かに動いた。

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