思いがけぬ人影
ベネディクトは、顔から血の気が引いたローザを見て、湧き上がってくる笑みを堪え切れずにいた。
(聞いていた通り、彼女には僕の魔法も効かなくて、驚いたけれど。……僕が耳を澄ませば、何を考えているのか、普通なら心の声が聞こえてくるのに)
ベネディクトは、いくら集中して注意を向けても、しんと何も聞こえてこないローザを見ながら、はじめは多少の苛立ちを感じていた。けれど、ローザの表情の変化に、自然と両の口角が微かに上がっていた。
(……こんなに青ざめた顔をして。これなら、何も聞こえて来なかったとしても、何を考えているかは一目瞭然だな)
今まで、ベネディクトは多くの者たちの心を読む中で、どのような考えをしている者がどういった表情を浮かべるのか、また、喜びや信頼といった正の感情に加え、焦り、不安や恐れといった負の感情についても、それぞれの感情と対になった表情を見て来た。そのような経験を通じて、大抵の場合であれば、心の内を読もうとしなくても、表情を見るだけで、目の前の人間の考えていることや感じていることを、ほぼ正確に把握することができるようになっていた。
(もう、あとほんの一押しだな)
そう思いながら、ベネディクトは部屋に続く扉を振り返った。
***
私は、どうしたら良いのだろうと必死に考えを巡らせながら、すぐ前にいるベネディクト様を見つめていた。
(声を上げて、アーディンとカイル様に助けを求めるべき? ……でも、ベネディクト様は凄く用意周到な方みたい。きっと、私が何かを言っても、一笑に付されてしまって、逆にアーディンたちの立場を悪くするだけだわ。ここにいる、ライアン様、ダリル様とデレル様にも、私の言葉を信じてもらうのは難しいような気がするし。一体、どうしたら……)
すると、ベネディクト様がふと部屋の扉を振り返った。何だろうと思っていると、彼は私に視線を戻した。
「急にこんな話を聞かせて、ローザ様を動揺させてしまったことは謝るよ、ごめんね。……それから、もう一つ伝えておくと、アーディンには、父上に何かの魔法を掛けたんじゃないかっていう嫌疑も掛かっていてね」
「……嘘よ」
息を飲んだ私に、ベネディクト様は溜息混じりに首を振った。
「いや、本当だよ。はじめは、ワイアット兄上が絡んでいるんじゃないかと思っていたけれど、ワイアット兄上は取り調べの中で、父上の件に関しては頑なに否定していたんだ。そのうちに、アーディンの線が浮上してね」
「でも、アーディンに、そんなことをして何のメリットが? 元々、王位継承者として決まっていたのですよね?」
「多分、父上に早く王位を譲らせたかったんじゃないかな。自分には疑いが掛からないような方法でね。父上も弱っていたようだったから、何らかの手を使って騙したんだろう。……という訳だから、アーディンは今、この部屋の外ではなくて、別の場所にいるよ」
「そんな……!」
慌てて部屋から出ようと駆け出した私を、ちょうど扉の外から部屋に入って来た人影が止めた。
「ローザ、落ち着いて」
私の両肩に手を添えて、私を宥めるように微笑んだ、昔から知っている彼の姿を見て、私はふっと緊張が緩むのを感じた。
「オリヴァー様。まだ、こちらに残っていらしたのですね……」
瞳が潤むのを感じながら、私は彼の顔を見上げた。オリヴァー様の友人でもあるジュリアンは、アーディンのこともよく知っている。どういう経緯でここに居合わせたのかはわからないけれど、何か救いの手を差し伸べに来てくれたのではないかと、知らず知らずのうちに、私は彼に期待してしまっていた。
私は、少し背伸びをして、オリヴァー様の耳元に小声で囁いた。
「アーディンがどこにいるのかをご存知ですか? ジュリアンも、まだここに?」
「ああ。どちらも答えはイエスだ」
「では、アーディンのところに連れて行ってもらえませんか?」
「……それは、できない」
首を横に振ったオリヴァー様に、私は震える声で尋ねた。
「どうしてですか?」
「これ以上、君はアーディン王子に巻き込まれるべきじゃない」
「でも……」
「……もう、彼のことは忘れた方がいい。あまり彼に関わると、今度は君にまで疑いが掛かる可能性がある」
その時、私の背中越しに、ベネディクト様の声が聞こえた。彼は、私に同情するように眉を寄せつつも、その口元にはまだあの笑みが張り付いていた。
「僕もそう思うよ、ローザ様。……とにかく、落ち着くまではアーディンからは離れた方が、貴女のためでもあると思うよ。じきに、何があったのか明らかにされるだろうから、それまでは静かに過ごした方がいいんじゃないかな」
(これは、アーディンに仕掛けられた罠だわ。放っておいたら、本当に彼に罪をなすりつけられてしまう)
身体の震えが大きくなった私に、ベネディクト様が労わるように言った。
「ローザ様、身を寄せる先がないんでしょう? まあ、またオルレーヌ家に頼んでも首を縦に振ってくれるのかもしれないけど、そこにいるオリヴァーが、君をしばらく匿いたいって、そう申し出てくれたんだ」
「えっ……」
ベネディクト様は、オルレーヌ家のことまで把握しているのかと思いつつ、私はオリヴァー様を振り返ろうとしながらも、まるで身体が鉛のように重くなったように感じていた。
(……ベネディクト様とオリヴァー様は、以前から手を組んでいたということ?)
ベネディクト様は、真っ青になっているであろう私に向かって続けた。
「オリヴァーのことは、僕も信頼しているし、貴女も昔から知っているらしいしね。悪い提案じゃないと思うんだけど、どう?」
オリヴァー様のことを、ようやく恐る恐る振り返った私のことを、彼は輝きの強い空色の瞳で見つめていた。昔は大好きだった、彼の明るく優しかった瞳が、今は私には理解のできない熱を帯びている様子に、私はどうしてよいのかわからなくなった。
「ローザ、遠慮せずに僕の家においで。……昔、君も来たことがあるから、馴染みだってあるだろうし、しばらく心を落ち着けるには良い場所だと思うよ。皆、君を歓迎するよ」
さっきベネディクト様に見せられた映像で、もしアーディンのことを信じられなくなっていたとしたら。痛む胸を抱えながら、オリヴァー様の優しさに感謝して、もしかしたら彼の言葉に甘えていたのかもしれないと思いながら、私は彼に尋ねた。
「どうして? オリヴァー様は、なぜ私にそこまでしてくださるのですか?」
「……前にも、君に言ったような気がするけど」
オリヴァー様は軽く苦笑すると、膝を曲げて私に視線を合わせた。
「僕が君に結婚を申し入れたこと、覚えてる? 僕は本気だからね、ローザ」
「それは……」
そこまで話してから、ベネディクト様以外の三人の王子も、私たちを見つめていることに気付いた。ライアン様は驚いた様子で目を瞬いていたけれど、ダリル様とデレル様は、不機嫌そうに顔を顰めていた。
「君が、あのオリヴァーか。……君の名前はよく知っているけど、ローザに手を出さないでくれる?」
「そうだよ、ローザはこの王宮で、僕らのところに留まったっていいんだからさ……」
オリヴァー様がすっと視線を上げて、ダリル様とデレル様を眺めた。
「ダリル様、デレル様。ローザは、今はすぐに王宮を離れることが最善だと思います。下手をして、彼女まで罪状に問われるようなことにでもなれば困るでしょう?」
ダリル様とデレル様は、顔を見合わせてから、ゆっくりと頷いた。
「まあ、言われてみれば、それもそうかもしれないね」
「ローザのこと、ちゃんと労ってあげてよ?」
(……?)
突然、掌を返したようなダリル様とデレル様の態度に、私は得体の知れない気持ち悪さを感じた。よく見ると、彼らの瞳には、熱に浮かされたような、酔ったような、不思議な色が浮かんでいるように見えた。
(これは、オリヴァー様の魔法なのかしら……?)
満足気に頷いたオリヴァー様を再度見上げた私に、にっこりと笑い掛けた彼を見て、私は言葉にできない悲しみと、そして恐怖の入り混じった気持ちが胸を覆うのを感じた。小さく息を吸い込んでから、私は口を開いた。
「オリヴァー様。少し、二人だけでお話しできませんか? ……例えば、あのバルコニーではいかがでしょうか」
私が部屋から続くバルコニーを指し示すと、オリヴァー様は微笑みを浮かべたまま頷いた。
「ああ、構わないよ。ローザと二人で話すことすら、本当に久し振りだしね。……少しローザをお借りしますね、王子」
私は、ベネディクト様が小さく頷いたのを確認すると、オリヴァー様と並んで、明るい陽射しの差すバルコニーに向かって歩いて行った。




