正体
目の前で私の手を握り微笑む美形の王子に、私の頭の中は更なる大混乱に陥った。
「……はっ? え、えっ? あの、どうして私の名前を……。いや、人違いではないでしょうか」
あなたに会ったことなんてありません、お見掛けしたのは昨日が初めてです。……そう言いたかったけれど、王子の言葉を否定してそう言うことが失礼に当たるかと思うと、出掛かった言葉は喉の奥で消えてしまった。
朝陽に照らされ、透き通るような白い肌には輝く緑の髪がさらさらとかかっている。琥珀色の瞳が光の下で金色に煌くその姿は眩しいほどに美しく、直視してよいものか、目を逸らすべきかもわからないほどだった。
こんなに凛々しい美形は私の知り合いにはいないはずだ。私が知る美しい知り合いといえば、私の幼馴染みだった隣家の女の子くらいだ。あの子もそれはそれは綺麗だった。
けれど、男性となると? とても可愛い男の子だったら知ってはいるけれど……。
目の前の王子は楽しそうに、悪戯めいた色をその瞳に浮かべた。
「……本当に俺のこと、覚えてない? 一緒のベッドで寝たこともある仲じゃないか」
私は、頬にかあっと血が上るのを感じた。
「お、覚えてなんかいません!! 本当に、覚えがないです」
「……じゃあ、これは覚えてる?」
王子は徐に、仕立てのよい服の裾をすっと捲った。
「……!」
王子の足には、大きな傷痕が残っていた。時間が経っているであろう古傷だけれど、ギザギザとしたその痕は、今でも痛々しくくっきりと刻まれている。
(嘘……)
私は改めて目の前の青年を見つめた。王子を見る目ではなく、知人の面影を探す目で。
「アーク? ……あなた、アークなの?」
あの傷は、忘れるはずもない。迷いの森で、魔法の掛かった獣用の罠に挟まれていたのを私が外して連れ帰った後で、私の父が縫ってくれた傷痕だ。
「ああ。……ようやく思い出してくれたみたいだな」
にっこりと笑う王子には、言われてみると確かに昔の面影がある。
私が出会った時は、まるで妖精のような儚げな愛らしさはあったけれど、痩せっぽちで、服もぼろぼろで、背も私より少し低かった。まさか、こんな眩いばかりの立派な王子になるとは想像もつかないほどに。
けれど、その琥珀色の目に宿した強い光と、まるで周りを照らすような明るい笑顔は、今も変わっていない。あの鮮やかなエメラルド色の髪も。
(そう。あの時は、アークが夜が怖くて眠れないと言って、寝付くまでベッドで彼の背中をさすっていたっけ。私も一緒に寝落ちたこともあったけれど……)
家に連れ帰ってアークの治療をしていた時、家族のことを聞いても頑として答えてくれない彼に、私の父母も匙を投げ、しばらく家で幼い彼と一緒に過ごしていたことを思い出す。
「あなた、この国の王子様だったのね? まったく、知らなかったわ」
「ああ。……まあ、言っていなかったからな。ローザこそ、あの家から突然姿を消していたから、探すのに骨が折れたよ。……養子に入って名が変わっていたんだな」
「ええ……」
私は彼の言葉に両親のことを思い出し、一瞬目を伏せた。けれど、はっと我に返ると、目の前の王子に言った。
「大変……! 私、こうしている場合じゃないわ。これから逃げるところだったの!」
「ほう? 誰から、どこに?」
「どこへかはわからないけど、少なくとも、この家から。どこかの貴族に嫁がされることに決まって……」
王子の目が怖いくらいに鋭く光った。
「聞き捨てならないな。君の養父に直接話を聞こうか」
「えっ、ちょっと待って……」
私は腕を彼にがっちりと掴まれた。
その時、アリエッタの狂喜の叫び声が聞こえた。目を覚まし、きっと窓からこの馬車を見付けたのだろう。王子はアリエッタを迎えに来たのだと思っているはずだ。
急に家の中が騒がしくなり、次々と窓が開けられる。
(……逃走、失敗みたいね)
私はがっくりと肩を落とした。