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静かな夜

王の間を出た私は、少し先の廊下を歩いている背中に向かって駆け出していた。


「エリオット様!」


私の声に、エリオット様が足を止めると、ゆっくりと私を振り向いた。


「どうしたのです、ローザ様?」


静かな光を湛えた彼の目に何が映っているのかを、私はどうしても知りたかった。王子である彼に対する無礼を承知で、私は彼の行く手を遮った。


「お願いします、エリオット様。エリオット様には、今、何が見えていらっしゃるのですか? ほんの少しでも構いませんので、教えてはいただけませんか。……昨日、エリオット様から聞いたお言葉も、仰っていた通りでした」


両親に再会できたことを暗に示すと、エリオット様はその顔に微かな笑みを浮かべてから、しばらく無言で私の顔を見つめていた。


「……ローザ様のことに限って言えば、」


エリオット様はじっと私の瞳を覗き込んだ。


「回避できる未来と、回避できない未来があるようです。……常に冷静でいなさい。焦りは禁物です、あなたの瞳を曇らせますから。予想もしていなかったような出来事が起きても、自分を責めることなく、前を向きなさい。……それから、」


エリオット様は一度言葉を切ると、一歩下がって、私の全身を頭から順に眺めていった。エリオット様の視線が、私のスカートのポケットの辺りで止まる。それは、ヤドリナお婆ちゃんにもらった、あの笛のようなものを入れている場所だった。エリオット様の瞳がすうっと細められ、その口角が上がった。


「ローザ様、貴女は不思議な方だ。貴女が関わると、未来が目まぐるしく変わっていく。……貴女のところに、また、星が降ることがあるかもしれませんね。私も、叶うものならば、是非ともこの目で見てみたいものです」


最後にもう一度私に微笑み掛けると、エリオット様はすぐに私に背を向けて立ち去って行った。


(まるで、謎掛けみたいだったわ……)


私は、廊下に棒立ちになったまま、ぼんやりとエリオット様の後ろ姿を見送っていた。


「ローザ、どうした?」

「エリオットに、何か聞いていたのですか」


私の横に並んだアーディンとエリック様に、私は頷いた。


「ええ。エリオット様に、この先の未来がどうなるのかを伺ったのですが、……エリオット様の言葉の意味するところが、残念ながら、さっぱりわかりませんでした」

「はは、ローザ。先読みは、後から振り返ってみて初めて、あのことを指していたのだろうとわかる、そういうことも多いものです。エリオットが明確に見ることのできる未来は、かなりの確度で当たりますが、まだそこまで至っていない場合には、雲を掴むような話になっても、仕方ありませんからね」

「……あのエリオット兄上がローザの問い掛けに答えたということにも、驚いたな。神官長としての立場で先読みする時か、あるいはエリック兄上から聞かれた時以外は、ほとんど沈黙を貫くと言われている、あの兄上が。ローザ、君は多分、エリオット兄上からも気に入られているんだろうね」


アーディンの言葉に、私は首を捻っていた。


「そうなのかしら? 煙に巻かれてしまったような気もするし、よくわからないけれど。……ところで、アーディン、それにエリック様に、カイル様、ルシファー様も。少しだけ、お時間をいただけますか? できれば、五人だけでお話ししたいことがあるのです」


エリック様が、同意を示して頷いた。


「では、このまま私の部屋に向かう形でも良いですか?」

「はい。お願いします」


アーディン、カイル様とルシファー様も首を縦に振ったのを確認してから、私は彼らと一緒にエリック様の部屋へと向かって行った。


***


「ご両親から伝えられたメッセージ、ですって?」


エリック様が片眉を上げて私を見つめた。


「ええ。……私の父と母は、確かに私にこう伝えようとしていました。『まだだ、気を付けて』って」


エリック様は思案気に腕組みをした。


「私もローザたちのすぐ側にいましたし、ローザとご両親の会話は耳に入っていたはずですが、そのような言葉は聞こえなかったように思うのですが……?」

「本当かい? ローザ。俺の耳でも、そんな言葉は拾えなかったがな」


優れた犬の聴覚を持つルシファー様も怪訝な表情を浮かべていたけれど、私は続けた。


「エリック様が、拘束されたワイアット様のことを指して、これで王家の膿が出せるというように仰った後だったと思います。私の両親は、私に話し掛けた時、文節ごとに言葉を区切って、それぞれ最初の文字に僅かにアクセントを付けていました。強調されていた言葉を繋げると、父は『ま・だ・だ』、母は『きを・つ・け・て』と、そう言おうとしているようでした」

「……つまり、ローザのご両親は、誰かワイアットに関与している者か、あるいは何らか今回の騒動の裏側に関連している者が、まだあの場にいたということを伝えたかったのでしょうか? 私やアーディンのような者たちがいる場でも、目の前で糾弾することのできない理由のある、誰かが」

「私にも、はっきりとはわかりませんが、多分そういうことなのだろうと思います」


アーディンが、エリック様と視線を交わすと私を見つめた。


「ローザのご両親は、聡明な方たちだからな。あえて、そのように隠されたメッセージを君に伝えてきたということは、君の理解の通りなんだろうね」

「ふむ……。私たちも、その可能性は肝に命じておきましょう。まずは、ワイアットからの申し開きを聞いてからになるでしょうけれどね。彼の取り調べが終わったら、上がって来た報告をすぐに確認します。それから、ローザ」


エリック様が、申し訳なさそうに眉を下げた。


「明日は、貴女までベネディクトたちに時間を割いてもらうことになり、すみませんでしたね」

「ローザ、明日は俺とカイルも、君たちが話をする部屋の外で待機している。もし、万が一危険を感じるようなことがあれば、すぐに俺たちに知らせて欲しい」

「少しでも声を上げれば届くはずですから、ローザ様に何かあれば、遠慮なくお伝えくださいね」


私の不安を少しでも軽くしようとしてくれている様子のアーディンとカイル様に、私は感謝を込めて微笑んだ。


「わかったわ。大丈夫だとは思うけれど、ありがとう、アーディン、カイル様。……ところで、アーディン。聞きたいことがあるのだけれど」


私は、あの動物小屋を訪れた時から気になっていたことを、アーディンに尋ねた。


「今朝、あの薬草畑の隣の動物小屋を訪れた時、何かに気付いていたの?」

「ああ。俺というよりは、ルシファーが気付いたんだがな」


アーディンがルシファー様に視線を向けると、ルシファー様は、にっと口角を上げた。


「あの薬草畑には、一種類だけ、薬草以外の草が育てられているんだ。現国王の竜が王宮にいた時に好んでいた、匂いの強い草なんだがね。薬師たちも、その草だけは薬草と誤らないように認識している。どうして竜があの草を好むのかは知らないが、常に採ったばかりのその草を用意できるように、あの畑で栽培していたんだよ。……その匂いが、あの動物小屋の奥から強く漂っていたから、恐らくあの場に竜がいるんだろうと思ったと、そういう訳さ」

「ルシファー様って、耳が良いだけじゃなくて、さすが鼻も利くんですねえ……」

「まあ、伊達に獣人やってるわけじゃないからな」


私は、どことなく得意気なルシファー様の顔を見上げた。


「その、現国王の竜というのも、王宮内で今まで飼われていたのでしょうか?」

「飼っていたというよりは、国王の部屋から唯一出入り自由だった存在が、その竜だったんだよ。俺もほんの数回しか見掛けたことはないが、国王の部屋の窓から、時々外へと飛んで行くことはあったようだ」

「その竜は、また国王の元に戻って来ることはないのですか?」

「そうだなあ……」


ルシファー様が、言い辛そうに言葉を切ったところで、エリック様がその言葉を継いだ。


「もちろん、あの竜が国王の元に戻って来てくれるなら、それに越したことはないのですけれどね。ただ、今までの歴代の王たちも、力尽きるのとほぼ時を同じくして、守護獣とされる動物がその側を去ったとされます。望みは薄いのではないかというのが、正直な感覚です」

「そうなのですね……」


しばらくの間、重い沈黙が流れた後で、エリック様が口を開いた。


「ローザ、貴女も疲れていることでしょう。まだ、顔色もあまり良くないようです。明日のこともありますし、今夜は早めに、ゆっくり休んでくださいね」

「ありがとうございます、エリック様」

「では行こうか、ローザ」


アーディンが私の手を取ると、私は彼に手を引かれるままに、エリック様の部屋を後にした。


***


「ここが、君の新しい部屋だよ」


アーディンが扉を開けた先には、居心地が良さそうに設えられた、上品な空間が広がっていた。昨日まで滞在していた部屋よりも、さらに広い。


「ダリル兄上とデレル兄上に、昨日までの君の部屋はもう知られてしまったからな。またここが気付かれるのも時間の問題かもしれないが、まだ安全だろう」

「お気遣いありがとう、アーディン。前の部屋も十分に広かったけれど、ここはもっと広いみたいね……」

「ああ。俺も、君と一緒にここで過ごすから、広い方がいいかと思ってな」

「えっ!?」


昨夜のことを思い出し、急に頬に血が上るのを感じた。そんな私を見て、アーディンがくすりと微笑む。


「もう君とは婚約しているんだし、いいだろう? それに、この方が君を守りやすいからね」


アーディンの瞳の奥には、確かに私のことを心配しているとわかる、真剣な色が見えた。


「あの、でも……」


私の視線の先には、広々とした天蓋付きのベッドが見えていた。さすがに、今日もアーディンと同じベッドという訳にはと、言葉を濁している私に、アーディンがベッドの横にあるソファーを指差した。


「俺はそこのソファーで眠るから。ローザはベッドを使って」

「でも、それじゃアーディンの疲れが取れないわ」

「俺は大丈夫だから。……あ、でも、ローザが俺と一緒の方がよく眠れるっていうなら、止めないけどね」

「もう、アーディンってば」


とりあえずアーディンとの話を切り上げると、私は赤い顔を彼から背けるようにして、大きな窓に近付き、見晴らしの良い窓の外を眺めた。もう既に陽は落ちていて、見上げると、雲のない澄んだ群青色の夜空に、いくつもの星が瞬いていた。


しばらく窓の外に広がる夜空を見上げていると、アーディンが、そっと後ろから私のことを抱き締めてきた。彼の優しく逞しい腕と、服越しに感じる彼の体温に、どきりと胸が大きく跳ねる。


「……君のご両親が生きていてくれて、俺も本当に嬉しかった。王位を巡るいざこざに彼らを巻き込んでしまって、すまない。こんなことになっていなければ、君との婚約をすぐに報告したかったんだがな」

「今日は、それどころじゃなかったものね。……早く、またお父様とお母様に会いたいわ」

「絶対にすぐに叶うさ。そのために、俺もできる限りのことをするよ」

「うん、ありがとう」


アーディンに抱き締められたままでいる恥ずかしさを誤魔化すように、私はまた夜空に視線を向けた。頭上に広がる満天の星空は、私に、アーディンと出会った頃の夜空を思い起こさせた。


「ねえ、覚えてる? 私たちが出会った夜のこと。あの日も、天を埋め尽くすように、夜空中に星が輝いていたの。そして、星が、まるで地上に降り注ぐように流れてきたのよ」

「もちろん、覚えているよ。どちらかというと、流れ星に照らし出されていた、天使のような君の顔の方が、ずっと印象に残っているけどね」


振り返ると、アーディンは夜空ではなくて、じっと私の顔を見つめていた。またも、身体中がかあっと熱を持つような感覚を覚えながらも、私は、徐に口を開いた。


「ねえ、アーディン……」

「ん、何だい?」

「ううん、何でもないわ」


私には、小さな疑問があった。アーディンの魔法は、いったいどのような力なのだろう、と。エリック様やエリオット様、そしてワイアット様のように、その能力を公に表に出している訳ではないようだし、彼から口にしてもいなかったから、今まで私から尋ねてはいなかった。ただ、私にも明かされていない秘密が彼にあることが、ほんの、ほんのちょっぴりだけだったけれど、どこか寂しいような気もしていた。


(いつか、アーディンから私に教えてくれる日も来るのかしら)


明日は、ベネディクト様たちからの尋問も控えている。私がアーディンに魔法の力を尋ねて、もし彼がその力を教えてくれたとして、万一にも漏らすようなことがあったらと思うと、余計なリスクは増やしたくないと思った。それに、アーディン自身が、彼の魔法の力を私に言わない方が良いと判断しているのなら、その判断を尊重しなければならないということは、私にもわかっていた。


アーディンに回されている腕が私のポケットに触れて、私はふと思い出した。


「あっ、そうだ。……ヤドリナお婆ちゃんにもらった、これ」


少しアーディンの腕をよけると、私はポケットの中から、笛のような何かを取り出した。エリオット様が、私のポケットに入っていたこれに気付いたような気がしたのは、気のせいだったのだろうか。


「ねえ、アーディン。これ、何だと思う?」


掌の上に、白っぽくて軽い、何かの角のようなものでできている笛状のものを乗せて、アーディンに見せた。よくよく見ると、仄かに金色がかった輝きを帯びている。


「さあ。笛に見えるけど、どうなんだろうな?」

「ヤドリナお婆ちゃん、使う時が来ればわかるって言っていたけど、吹いてみてもいいかしら」

「ああ、ローザが吹きたいと思うなら、試してみたらいいんじゃないかな」


私は息を吸い込むと、そっと、その笛状のものに息を吹き入れた。特に、何も音はしなかった。


「……音は鳴らないようだな。それは、笛ではないのかな?」


アーディンが首を傾げている横で、私は手の中の白い塊にもう一度息を吹き込みながら、じっと耳をそばだてていた。


「何も、音はしないけれど。でも、少しだけ、空気が震えているみたい」


昔、ヤドリナお婆ちゃんに聞いた話が耳に甦った。迷いの森で見かけた小鳥が、歌うように嘴を開けているのに、何も囀りは聞こえなくて、私が首を傾げていた時だった。人間の耳には聞こえないけれど、鳥や動物には聞こえる音階があるのだと、お婆ちゃんはにっこりと笑うと、そう教えてくれた。この笛のようなものには、人間以外の存在に何かを訴えかける力があるのだろうか。


私は、唇をその笛のようなものから離すと、改めてしんとした夜空を見上げた。遠く広がる夜闇を彩る星々が、さらに瞬きと光を増したような気がして、私はアーディンの腕の中から、うっとりと美しい星空を眺めていた。


***


「おやまあ、ディム。お前さん、また随分と珍しい動物とも知り合いだったんだね」


目を丸くしたヤドリナが、ディミトリアスと、その横で揺蕩っている動物のことを、目を丸くして見つめていた。


『うん、この子も僕の友達だよ。……僕たちに、急いで来て欲しいって、そう言っているみたい』

「それなら、その頼みに頷かない訳にはいかんだろうね。行き先は?」


ふわりと舞い上がり、星明りを弾いたその動物が顔を向けた方角を見て、ヤドリナはほうと声を漏らした。


「王宮か、ローザたちのいる場所だね。……おや?」


ぱたぱたと、小さなシルバーグレイのフクロウがヤドリナの肩に飛んで来た。そわそわとしたフクロウをすいと撫でてから、ヤドリナは夜空を見上げると、すっとその瞳を細めた。


「……思ったよりも早かったが、もうそろそろ始まるのかもしれないね」


星が瞬きを増し、夜空を埋め尽くすように輝いていた。どこか興奮した様子の迷いの森の動物たちが、そこかしこで首を茂みから覗かせると、じっと満天の星空を見上げていた。

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