双頭の竜
金色に輝く双頭の竜は、その二つの頭をどちらも私の方に向けると、じっと私の顔を覗き込んだ。その青紫色に澄んだ四つの瞳は、心なしか輝きを増しているように見える。
(……今、何が起きたのかしら?)
竜のその姿自体は、私に触れてもどこも変わってはいなかったけれど、竜が私に触れた時、確かに何かが起こったような感覚があった。
一拍置いて、ざわりと王の間の空気が波立つのを感じた。周囲の人々の視線が一斉に、私の腕に乗った竜と私に向いたのに気付いて、私の身体は固く強張った。
「どうなっているんだ? 竜を腕に乗せたあの娘は、一体誰なんだ?」
「……王族ですらないようだな」
「双頭の竜は、いずれかの王子を選ぶはずではなかったのか?」
耳が拾う観衆たちの囁き声に戸惑っている私の目に、さらに、竜の頭越しに、私を射殺さんばかりの目つきで睨み付けているワイアット様の姿が映り、私はびくりと震え上がった。
助けを求めるように隣を見ると、ジュリアンは驚いたように大きく目を見開いていて、カイル様とルシファー様も、どうやら事の次第に困惑しているようだった。オリヴァー様だけは、静かに私の腕の上の竜のことを見つめていた。
(……あっ)
竜は、ぐるりと周囲に首を巡らせると、再度私に視線を戻して、もう一度私のことを見つめてから、私の腕からふわりと舞い上がった。
王の間に集まっている全員の瞳が、王の間の一番大きな窓に向かって翼を羽ばたく金色の竜に集まる。
ワイアット様の殺気立った低い声が、私の耳に届いた。
「……この期に及んで、逃してたまるか」
ワイアット様にとって、想定外の事態が起きているようだということはわかったけれど、ワイアット様が纏っている怒気は尋常ではなかった。ワイアット様が竜に向かって向けた掌から、たちまち激しい炎が迸る。
(これが、ワイアット様の魔法……!)
ワイアット様は、手から立ち上った炎を、まるで生きているかのように易々と操っていた。真っ赤な炎はすぐに、勢いよく、竜が向かっていた先にある窓の前を覆った。行手を炎に遮られた竜が、ワイアット様に向かって、ゆっくりと両の頭を振り返らせた。
エリック様の鋭い声が、王の間に響く。
「何をしているのです、ワイアット! すぐにその炎を止めなさい!!」
「……別に、俺はこの竜に危害を加えようとしているのではない。ただ、この場に留まらせたいだけだ。きっと、この竜は混乱しているんだ。落ち着けば、俺のことを選ぶはずなのだから。……なあ、そうだろう?」
血走った目で竜を見つめたワイアット様に、竜が凍るような瞳を向けたように見えた。竜が纏う雰囲気が変わり、私はその場の温度が数度下がったような気がした。
竜は、その翼を一度、ふっと羽ばたかせた。そのほんの軽い羽ばたきによって起こされた風が、王の間に流れる。
「……嘘だろう」
ワイアット様が、呆然と呟いた。窓の前で燃え盛っていた炎は、まるで嘘のように一瞬のうちに消え失せていた。そして、王の間で起きていた変化は、それだけではなかった。
「……!!」
私の瞳が捉えた、竜のいた檻の側にそっと佇んでいた人影に、私は信じられないような思いで目を瞠った。堪え切れず、私の視界がたちまち涙で滲む。昨日エリオット様から聞いた言葉が、突然私の耳に甦った。
『貴女がずっと探していた方は、確かにこの王宮にいますよ』
(あの、エリオット様の言葉が意味していたのは、きっと……)
さっきまで檻の後ろに控えていた男女の姿がなくなっている代わりに、その場所から私のことを見つめていたのは、私にとってかけがえのない、懐かしい、大切な人の姿だった。
「お父様、お母様……」
私は、頭で考えるよりも先に身体が動いて、二人の元に向かって夢中で走り出していた。二人が身に付けていたのは、さっきまでその場にいた、あの男性と女性の服と同じだった。
(本当に、あの二人がお父様とお母様だったなんて。仕草が似ているとは思ったけれど、もしかしたら、姿を変える魔法でも掛けられていたのかしら)
私を見つめるお父様とお母様の瞳にも、涙が浮かんでいるのが見えた。二人とも、私が覚えている姿よりも少し疲れてやつれた様子で、皺が増えてはいたけれど、纏っているその優しい空気は、昔のまま変わってはいなかった。
私の背中側から、ワイアット様のくぐもった声がした。はっとして私が振り返ると、ワイアット様は、姿の変わった私の両親を悔しそうに睨み付けていた。
「侵入者だ。捕らえろ」
「……!」
私と、そして私の両親を庇うように、ひらりとアーディンが私たちとワイアット様の間に素早く身体を滑り込ませると、ワイアット様に向かって剣を構えた。ワイアット様は、従者たちに向かっても視線で合図をしていた。
今度は私たちに掌を向けたワイアット様が、何度かその掌に力を込めてから、呆けたように呟いた。
「な、何故だ。どうして、俺の魔法が使えない……?」
彼の従者たちも、ワイアット様に対して、揃って青い顔で首を横に振っていた。
双頭の竜は、私たちの前まで滑るように飛んで来ると、まるで私たちに挨拶をするかのようにふわりと一回転してから、するりと王の間の大きな窓をくぐり抜けて、まだ陽の高い外の世界へと羽ばたいて行った。




