王の間にて
「皆、揃ったようだな」
ワイアット様が、王の間に集う面々を見渡して、満足そうに両の口角を上げていた。第一王子のエリック様から第八王子のアーディンまで、王子全員がずらりと一同に会している。カイル様やルシファー様のような従者に加えて、服装から察するに高位貴族であろうと思われる人々も、その場には幾人も混ざっていた。私は、彼らと一緒にこの場にいることに多少気後れしながらも、気配を殺すようにして、王の間の壁際に、カイル様、ルシファー様と並んで立っていた。観衆に囲まれた、広々とした大理石張りの王の間の中央奥には、国王が倒れたばかりで、今は空席となっている玉座が見える。玉座に一番近い位置に立っているワイアット様と、彼を囲むように立っている王子たちを眺めていると、横から私を呼ぶ声が聞こえた。
「ローザ」
懐かしい声の主の笑顔に、私も自然に笑みが零れた。
「ジュリアン! よかった、元気そうで。アーディンから、あなたたちが無事だとは聞いていたけれど、心配していたのよ」
「ありがとう、ローザ。あの後、程なく片付いたんだ。王宮での毎日はどうかな?」
「そうね、色々とあったのだけれど、私も元気にしているわ。……こちら、アーディンの従者のカイル様とルシファー様よ。カイル様、ルシファー様、こちらはオルレーヌ家の……」
カイル様もルシファー様も、穏やかな笑みを浮かべていた。
「存じ上げております、ジュリアン様ですね」
彼らが挨拶と握手を交わし終えると、私はジュリアンに尋ねた。
「ジュリアンも、ここに招かれて来たの?」
「ああ、そうだよ。重要な報告があるということだったから、車椅子での移動が難しい父に代わって、僕がここに来たんだ。王家からは内容が伏せられていたから、内密のものだと理解している。貴族の中でも、声を掛けられているのはごく一部なんじゃないかな――見る限り、五大公爵家の当主と、ほんの一握りの貴族だけのようだよ。あ、でも、彼は来ているけれどね……」
ジュリアンの言葉が終わらないうちに、私の肩がトントンと叩かれた。
「ローザ、元気にしてる?」
楽しげな空色の瞳が、私のことを覗き込んでいた。
「あっ、オリヴァー様もいらしていたんですね!」
「うん、まあね」
王の間の張り詰めた空気に緊張していた私だったけれど、ジュリアンとオリヴァー様に会ったことで、緊張がほっと少し緩んだ。カイル様とルシファー様に、オリヴァー様のことも紹介し終えたところで、オリヴァー様が私の耳元に囁いた。
「……どうやら、そろそろ始まるみたいだよ」
一歩前に歩み出たワイアット様の姿に、水を打ったようにしんと静まり返った王の間に、彼の声が響いた。
「突然の出来事だったが、父上が昨日倒れた。今も辛うじて呼吸は続けているが、既に意識はない。父上の側にいた双頭の竜も、父上の死期を悟ったかのように、もうこの王宮から姿を消してしまっている」
声を殺したような静かなどよめきが、王の間を覆った。既にその事実を知っていた王子たちや一部の者たちを除き、集まっていた貴族たちは、目の色を変えて、思い思いに視線を交わしていた。エリック様は、厳しい表情で一歩ワイアット様に近寄った。低く抑えた小声でワイアット様に話し掛けていた様子のエリック様の言葉は、直接は私の耳には届かなかった。けれど、彼の口元を見る限りは、
「それは、今ここで伝えるべき内容なのですか。余計な混乱を招くだけではありませんか?」
と、ワイアット様に詰め寄って非難しているようだった。ワイアット様は、エリック様の言葉に不敵な笑みを浮かべていた。
「兄上にも、すぐにわかりますよ。まあ、見ていてください」
ワイアット様はエリック様にそう言葉を返すと、改めて、その場に集う一同を見渡した。
「父上は、昏睡状態に陥る前に、次期王位継承者を白紙にすることを意図したと思われる言葉を残した。父上が最後に残したのは、今まで後継とされていたアーディンに限定することなく、次の守り神から認められた者が、この国の民を守り、その発展に尽くすようにというメッセージだった」
国王が倒れたという知らせに加えて、次期後継者の椅子までも覆すような言葉に、今度は隠し切れない動揺を示すざわめきが王の間に広がる。エリック様は、眉間に皺を寄せてこめかみを押さえると、溜息を吐いていた。
観衆の様子に、ワイアット様は微かに笑みを浮かべると、一段と声を張り上げた。
「ちょうど昨夕、父上が倒れた直後のことだ。俺の元に、金色の双頭の竜が現れた。そう、まるで、次の王位継承者になるべき者を理解していたかのようにな。……さあ、それをここへ」
ワイアット様が指を鳴らすと、大人の身長の倍くらいはありそうな銀色の檻が、車輪付きの台に乗せられて、王の間の中央に運び込まれた。檻を運んで来た男女一人ずつが、そのまま檻の後ろにそっと控えている。
美しい金色の肢体をゆっくりとくねらせている、檻の中に浮かんだ、二つの頭に四つの青紫色の瞳を輝かせた竜を見て、観衆のそこかしこから感嘆の声が上がった。
「あれは、まさに双頭の竜だ……!」
「先代の王の竜にも勝るとも劣らない、立派な竜だな」
「ワイアット様の先程の話に、どうなることかと思ったが、これで次の代も問題はないだろう」
ワイアット様の周囲を取り囲んでいる人々は、皆、檻の中の竜に目を奪われていたようだったけれど、私は、まったく別のところから目が離せずにいた。
(あの、二人の人たち……)
竜が入った檻を運んで来た二人は、ワイアット様の前まで歩いて来る途中、なぜかはっとしたように私を見つめた。それも、食い入るように。私は、確かに彼らと目が合ったのを感じた。それは、ほんの僅かな時間だったのかもしれない。でも、その瞬間、彼らがまるで泣き出しそうに顔を歪め、目を見交わしたことが、私の見間違いだとは思えなかった。
中肉中背で浅黒い肌をした、白髪交じりで深い皺が刻まれた高齢の男性と、彼と同じくらいの背丈で、ほっそりとした色白の、紺色の髪をした年若い女性。私は、彼らのことを知らないはずだった。彼らのような外観をした人たちを見たのは、初めてだった。そう、顔立ちだって、髪や瞳の色だって、年齢でさえも、私が知っている誰とも違う。けれど、少しだけ左足を引き摺った男性の外股の歩き方や、緊張すると瞬きが多くなり、右目の下が震える女性の癖、檻の中の竜に向けられた優しく穏やかな視線や、何より、私を見つめた時の彼らの眼差しに、私は胸の鼓動が速くなるのを感じずにはいられなかった。
(嘘、でしょう……?)
私は息を飲んで、ただじっと彼らのことを見つめていた。瞬きをするのも惜しいくらいに感じられた。
けれど、ワイアット様の声が、この集まりの目的に私を引き戻した。彼は、双頭の竜を眺めていた兄弟の王子たちに、笑みを浮かべながら口を開いた。
「確かに、この双頭の竜は俺の元に来た。だが、この竜が誰を選ぶのかは、平等に判定する必要があるだろう。この檻から少し離れた場所に、俺たち八人それぞれが立つ。檻の扉を開けた時、この竜が選んだ者がいれば、その者が次の王位継承者だ。……金色の角と翼を持つと言われる一角のペガサスが、現にまだ姿を現していない以上、これが最善の方法だと思うのだが、文句のある者はいるか?」
「……あまりにも突然過ぎて、同意も否定も難しいような気がしますけれどね。この竜は、本当にワイアットの元に、昨夕になってから姿を現したのですか?」
苦虫を嚙み潰したような顔をしたエリック様の言葉に、ワイアット様は鷹揚に頷いた。
「ええ、その通りですよ、兄上。これからあの竜を王の間に放てば、竜が意志を持って俺の元に来たのだと、そう理解していただけるでしょう」
双子のダリル様とデレル様は、それぞれ腕組みをして、目を眇めながらワイアット様を見ていたし、アーディンは、無言で金色の竜のことを眺めていた。ライアン様は困ったように頭を掻いていて、エリオット様は、なぜかその口元に微笑を浮かべている。ベネディクト様が、とうとうその後の沈黙を破った。
「いいんじゃないですか? ワイアット兄上。兄上がそう仰るのなら、試してみる価値はあるのではないでしょうか」
ワイアット様の顔中に、大きな笑みが広がった。ワイアット様が頷くと、八人の王子たちはそれぞれ、檻から距離を取って、王の間に横一列に並んだ。観衆たちは数歩下がると、王子たちと竜の入った檻を取り囲むようにして、事の次第を見守っていた。私はちょうど王の間の端にいて、ワイアット様の真後ろの壁際に当たる、居並ぶ彼らの背中が見える位置に立っていた。
私は、エリック様の言う通りだと思いながら彼らの会話を聞いていた。これで次代の国を担う王が決まるなど、俄には信じ難い気がするし、この竜にはそれほど特別な力があるものなのだろうか。もし本当にそうなのだとしても、アーディンの元に竜が飛んで来て欲しいと願えばよいのかすら、実感も湧かずによくわからなかった。
ワイアット様が振り返って声を掛けると、檻の後ろに控えていたあの男性が、ゆっくりと檻の扉を開けた。心なしか、若い女性が少し竜に顔を近付けて、何かを囁きかけたように見えた。
ふわふわと浮いていた竜が、開かれた檻の扉をするりと潜って王の間に滑り出て来た。檻の中にいた竜は、私の身体よりも少し小さく見えたけれど、伸び伸びと羽を広げた竜は、私よりもずっと大きく、雄々しく見えた。周囲の貴族たちからも、竜の姿に歓声が上がっている。
はじめ、双頭の竜は金色の鱗で眩いシャンデリアの光を弾きながら、数回檻の上を旋回していたけれど、その後、すうっと王子たちの方に向かって飛び始めた。竜から向かって一番右、私から見て正面に当たる、一番左がワイアット様だった。竜が向かっているのは、真っ直ぐワイアット様の方向のようだったけれど、私は、何かを祈るように竜を見つめている檻の側の二人に、飛んで来る竜と同じくらいに気を取られていた。
ワイアット様の前にふわりと飛んで来た竜を見て、観客たちの歓声が大きくなる。
「これで、決まりだな」
満足気なワイアット様の声が、更なるどよめきに搔き消された。双頭の竜は、ワイアット様の頭上を飛び越え、気付けば私のすぐ目の前までやって来ていた。
(……えっ?)
どこか既視感のあるこの状況は、そういえばオルレーヌ家で経験したあの時と似ているなとぼんやりと思いつつ、私はどこか現実味が感じられないままに、タンザナイトのような澄んだ瞳で私を見つめている竜に向かって、そっと腕を差し伸べた。そうする以外に、どうしてよいかわからなかったからだった。大きな身体をしているというのに、まるで羽のような軽やかさで、竜はふわりと私の腕に降り立った。
オルレーヌ家で金色の鷲が私の腕に降りて来た時と違っていたのは、私に触れてもなお、双頭の竜は、そのまま金色の神々しい姿を保っていたことだった。




