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懐かしい記憶

身支度を終えて、アーディンと一緒に王宮の階段を上りながら、私は不思議に思って首を傾げた。


「アーディン。カイル様はさっき、薬草を育てている場所は中庭にあるって言ってなかった? 動物を保護している小屋もその側だって。どうして、階段を上っているの?」

「先に済ませたいことがあったからね。まあ、ついて来て」


アーディンが、一緒に辿り着いた部屋のドアをノックして部屋の中に呼び掛けた。中から聞こえて来たのは、すっかり耳馴染みになった声だった。


「どうぞ、入ってください」


部屋の中にいたのは、コーヒーを片手に、何やら難しい顔をして分厚い本を読んでいたエリック様だった。


「おはようございます、エリック様」

「おはようございます。ローザもアーディンと一緒だったのですね」


本から顔を上げたエリック様は、私たちを見て微笑みを浮かべた。


「兄上、改めてご報告したいことがあって来たのですが」

「アーディン、何ですか?」


アーディンはにっこりと笑うと、私の肩を抱き寄せた。


「俺、ローザと結婚します」

「……!!?」


飲みかけのコーヒーでごほごほとむせ込んだエリック様と、そしてアーディンの隣にいた私は、一緒になって絶句した。目を見開いてアーディンを見上げた私を見て、エリック様が遠慮がちに尋ねた。


「ええと、ローザは了承しているのですよね?」

「了承……と言えば、そうなのですが」


頬に熱が集まるのを感じながらエリック様に答えると、私は再度アーディンを見上げた。


「でも、こういうのって、もっと順番が、その……まずは近しい方にご挨拶をして、認めていただいた上で婚約をしてとか、そういうものが段階的にあるのかなって思っていたんだけど?」


アーディンは飄々として悪戯っぽく笑った。


「ローザが言うのも一理あるんだけどさ。君のことを逃さないように、エリック兄上には早々に伝えておこうと思って」

「それに、アーディン、私にプロポーズなんてしてくれていたかしら?」

「ああ、ごめん。昔から、もう何度も君に結婚を申し込んだ記憶があったから、ようやく君が俺の気持ちに応えてくれたのが嬉しくて、つい。改めて、今ここで君の足元に跪いて、永遠の愛を誓おうか?」

「う、ううん、大丈夫だから……!」


エリック様は、真っ赤になった私のことを見つめて、静かに口を開いた。


「……ローザ、貴女も知っている通り、次期王位を巡って、ちょうど兄弟間で争いが再燃しているところです。アーディンは、次期王になれない可能性もあります。このような状況でアーディンを選んで、本当に良いのですか?」

「はい。次の国王が誰になるかは、私にとっては問題ではありませんから。私はただ、アーディンの側にいられるなら、それだけで構いません」


そう言いながら恥ずかしくなってきた私のことを、アーディンは嬉しそうに抱き締めると、ふっと真剣な表情を浮かべた。


「兄上。俺は、一番近くでローザを守りたいんだ。もう、ローザのことを俺たちに巻き込んでしまっているし、これから何が起きるかは、正直なところ俺にも予測がついていない。父上がこのような状態になったばかりで、こんな話をすべきではないのかもしれないが、先が見えない状況だからこそ、ローザを守るための正当な理由が欲しい」


真っ直ぐにエリック様を見つめたアーディンに、エリック様は頷いた。


「……今までも、歴代の王が亡くなる間際に、その王の代の守護獣は姿を消したと言われていますから、残念ですが、意識の戻らない父上の状況から察するに、父上もあまり長くはないでしょう。正式に結婚となると、本来なら父上に報告すべきところでしょうし、手続も色々と必要になりますが、二人の意思を確認した上での婚約ということなら、私も証人になれると思います」

「ありがとう、兄上」

「アーディンもローザも、おめでとうございます。この先、何も懸念することなく、あなたたち二人の結婚を落ち着いて祝福できる時が早く来ることを、私も心から願っていますよ。……ああ、それから、ローザ。そのペンダントは、まだ持っていてくださって構いません。アーディンの婚約者かつ私の客人である分には、メリットこそあれ、デメリットは特にないでしょうから」

「はい。ありがとうございます、エリック様」


エリック様の温かく澄んだ瞳を見て、私も感謝を込めて頷いた。エリック様は、手元の本にちらりと目を落としてから、アーディンに尋ねた。


「ところで、話は変わりますが、アーディン。ワイアットからの招集、あれは何だと思いますか?」

「さあ。俺にもわかりませんが、恐らくは、王位継承権絡みの話なのでしょうね」

「ええ、まあ、そうなのでしょうね。ただ、昨日父上が倒れたばかりで、どのような内容なのだろうと気になっていましてね。タイミングが良過ぎるような気もしますが、それだけ、前もって何かを準備していたのでしょうか。まあ、午後になればわかる話でしょうけれどね」


エリック様は、私たちを見つめて目を細めた。


「話が逸れてしまって、すみませんでしたね。こんな状況下ではありますが、嬉しい知らせをありがとうございました。アーディン、ローザをちゃんと大切にするのですよ」

「ああ、もちろんわかっているよ」


エリック様の部屋をアーディンと出てから、私はアーディンに尋ねた。


「……アーディン。国王様って、アーディンにとってどんなお父上だったの?」


さっき、倒れた国王様のことをアーディンが口にした時、アーディンは少し辛そうに顔を歪めたように見えた。王位継承権争いが、さらに先を急ぐ混沌とした状況になったとはいえ、お父上である国王様が倒れたことに対して、心優しいアーディンが何も思っていないはずはなかった。アーディンは、どこか遠い目をした。


「父上は、いつもこの国のことを一番に考えていたから、俺にとっては、いわゆる親としての父というよりは、生まれた時から王だったという記憶の方が強いかな。いつも、どこか距離は感じていたよ。それに、父は施政者として、人格的にも立派な方だが、あまり周囲の者たちを信用していなかった。信用できなくなってしまった、という言い方のほうが正しいかもしれないが」

「信用できなくなった、というのは?」

「信じていた腹心に裏切られたり、思いがけないところで反旗を翻されたり、まあ、裏側では色々と事件があったからな。有能な人材を上手く使って政を行えれば負担も減らせたのだろうが、父上が近くに置いていたのはほんの限られた者だけで、かなりの部分を一人で抱え込んでしまっていた印象が強い。子供たちにさえ、手の内を見せないようなところがあった。息子である俺がこんなことを言うのも何だが、エリック兄上も同じことを言っていたよ。まあ、極めて優秀な頭脳の持ち主だっただけに、その傾向が強くなったのかもしれないけれどね。だから、父上と触れ合う機会はほとんどなかったんだ」

「そうだったのね……」


国王と王子であれば、当然普通の親子関係とは違うだろうとは思っていたけれど、それほどまでだとは思っていなかった私は、返す言葉が上手く思い浮かばなかった。アーディンは、少しだけ口角を上げると続けた。


「ただ、それでも、第七王子であるベネディクト兄上と俺は、父上に目を掛けてもらっていた方みたいだ。俺には自覚はなかったんだが、贔屓されている、なんて、他の兄弟たちにやっかまれたこともある」

「アーディンとベネディクト様が?」


私の言葉に、アーディンは頷いた。


「父上には数人の妃がいたが、ほとんどが政略結婚だった。でも、ベネディクト兄上の母上は、初めて父が愛して側妃に迎え入れた女性なんだ。ただ、身体が弱かったようで、ベネディクト兄上を生んですぐに亡くなってしまった。その後しばらく経ってから、父上は、ベネディクト兄上の母上の出身と同じ地方の貴族から、彼女によく似た女性を次の側妃として迎え入れた。それが、俺の母上だ」


私は、ベネディクト様に会った時、少しだけ瞳がアーディンと似ていると思ったことを思い出した。


「アーディンの琥珀色の瞳と、ベネディクト様の瞳の色が似ているような気がしたのは、そのせいなのかしら。二人の雰囲気は、全く違っているのだけれど」

「多分、そうだろう。俺も、ベネディクト兄上の母上の姿絵を見たことがあるが、俺の母上と、髪や目の色までそっくりだったからな。兄上と俺は、髪色は違うがね。……余程、父上は彼女のことが忘れられなかったのだろうね。俺の母上も、残念ながら俺が幼いうちに亡くなってしまったが、父上の膝に抱かれながら、母上と三人で、天気の良い日に中庭のベンチに座っていた日のことだけは、なぜだかよく覚えているよ。父上も母上も、穏やかな笑顔を浮かべていた。……両親との幸せな記憶というと、それくらいかもしれないが、今でもはっきりと思い出せるよ」


アーディンは懐かしそうに目を細めてから、私を見つめた。


「君のご両親は、温かくて素敵な方たちだったね。怪我を負った、身元さえ明かしていない俺に対しても親身になってくれて、優しかったな。君と一緒に、君のご両親と過ごしたあの時間の方が、俺が父と一緒に過ごした時間よりもずっと長いくらいだ。俺にとって、大切な思い出だよ」

「私も、お父様とお母様のことが懐かしいわ。昔と同じように、昨夜あなたと一緒に眠ったせいか、お父様とお母様とあの家で過ごしていた時のことを、久し振りに浅い夢で見たの」


私は、少しだけ鼻の奥がつんとするのを感じて、俯きながら続けた。


「お父様とお母様が天に召されてから随分と経った今でも、どこからかお父様とお母様がふと顔を出してくれるような、ドアの陰から、何事もなかったかのように笑顔で姿を現してくれるような、そんな気がする時があるの。今では、だんだんと減ってはきたけれど、どこかお父様とお母様に似た人を見掛けると、面影を追って、つい目で追い掛けてしまうこともあったわ。……もう、会うことは叶わないって、頭の中では十分に理解しているはずなのに」


アーディンは、私の頭を優しく彼の肩に抱き寄せてくれた。


「辛かったな。君は、ご両親をいっぺんに亡くしてしまったんだし、ショックを受けるのも当然だよ」


私の脳裏には、見慣れた馬車がぐちゃぐちゃに潰れている姿と、座席であったはずの場所に滲んでいた血の跡が浮かび上がって、小さく震えた。


「……私、お父様とお母様の最期の姿すら、見ることができなかった。損傷が激しかったと聞いて、棺を開ける勇気もなかったの。お父様とお母様を思い出す時に浮かぶ顔が、優しい笑顔から、冷たくなった顔に塗り替えられてしまうのが怖くて。酷い娘よね」

「そんなことはない。あんなことが起こったら、現実を受け入れることだけでも精一杯だったはずだ。君は、よく耐えたよ。俺は、君があの状況を乗り越えて、今こうして俺の腕の中にいてくれることに、感謝しているよ」

「……ありがとう、アーディン」


アーディンは、私の頬に優しいキスを落としてから、私の手を取った。私たちは、手を繋いで、中庭へと向かう階段を下りて行った。

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