優しい腕の中
「アーディン……」
彼の腕の中でがたがたと震える私を、アーディンはぎゅっと抱き締めてくれた。
「大丈夫か? いったい何が起きたんだ、ローザ?」
「今、ダリル様とデレル様がこの部屋に来て……」
「何だって?」
アーディンは驚きに目を見開いてから、悔しそうに顔を顰めた。
「兄上たちは君に何をした? 怪我はないか?」
私が無言のまま首を横に振ると、アーディンは、私の身体に回した腕に力を込めながら続けた。
「ルシファーもカイルも、この部屋の側で待機させていた。だが、君の悲鳴を聞いてこの部屋に入ったはずの彼らがいたのは、このちょうど上階の部屋だった」
「……えっ?」
「ダリル兄上とデレル兄上のどちらかの魔法は、この状況から察するに、恐らく空間を歪ませる魔法だ。きっと、この部屋の扉の辺りに掛けられていたんだろう。だから、ルシファーとカイルは、すぐに君の元に辿り着くことができなかった。カイルから連絡を受けた俺がここに入れたのは、彼らが去って魔法が解けていたからだろう」
「ダリル様とデレル様、私の目の前で、まるで手品のように、この部屋の中から姿を消したわ。魔法で場所を移動したと、そういうことだったのかしら」
「ああ、そうなんだろうと思う。……こんなに身体を震わせて。怖い思いをさせてしまって、悪かったな」
ダリル様とデレル様が姿を消して、張り詰めていた緊張は解けたものの、まだ歯の根ががちがちと鳴るほど震えている私を、アーディンはふわりと抱き上げると、ベッドのところまで連れて行ってくれた。
「……」
まだ恐怖感が抜けずに青ざめている私のことを、薄闇の中、アーディンが無言で見つめた。
「今夜は、このまま君の側についているよ」
アーディンは、なぜか、私の身体をベッドに下ろすだけでなく、私をベッドに横たえながら、彼ごとベッドの中へと潜り込んだ。
「あの、アーディン……?」
戸惑う私を宥めるように、アーディンは私の髪を柔らかく撫でてから、くすりと笑みを零した。
「そんなにローザが俺に強くしがみついていたら、俺だって離れがたいからな」
「あっ……」
ぎゅっとアーディンの胸元の服を握っていた両手を、私は慌てて離すと、頬が熱くなるのを感じながら、ベッドの中で彼と少し距離を取った。アーディンは、そんな私のことを、悪戯っぽい色を浮かべた瞳で見つめると、彼の目の前の敷布をぽんぽんと叩いた。
「ほら、そんなに離れていないで、こっちにおいで? ローザ。昔だって、こうして一緒に眠っただろう」
「でも、それは昔のことで……」
「まだ、震えだって収まっていないじゃないか。昔、俺が眠れない時には、君がこうして側についていてくれただろう」
「確かに、そうだけど……」
ほんの少し、ベッドの端から、じりとアーディンの方に近寄った私の身体を、アーディンが伸ばした腕が強引に包み込んだ。
(……!)
懐かしい匂いにふわりと包まれ、アーディンの体温と心臓の音を間近で感じた。ちらりとアーディンを見上げると、記憶の中にある、同じベッドで眠った時の昔のアーディンとは違う、立派な美しい王子の顔をしていた。近い距離にある、彼の信じられないくらいに綺麗な顔と、その愛しげな眼差しに、私の胸はどうしようもなく跳ねてしまったけれど、同時に彼の存在に安堵している自分もいることを、私は認めざるを得なかった。不安と恐怖で強張っていた身体から、力がすうっと抜けていく。彼に抱き締められるままに、私は彼の優しい腕に身体を預けた。
「ねえ、ローザ。……こんな時にこんなことを君に聞くのは、狡いかもしれないけど。君の俺に対する気持ち、少しは変わった?」
「……うん」
私は、アーディンの言葉に素直にこくりと頷いた。ついさっき、この場所でダリル様とデレル様を目の前にした時。彼らに触れられかけて、私は、アーディン以外の人にああして触れられるのは絶対に嫌だと、あんな状況に追い込まれてから、唐突に自分の気持ちを自覚したのだった。
私は、ゆっくりと口を開いた。
「ねえ、アーディン。……私、あなたのような、王子と結婚することで生じる責任とか、自分がその立場に相応しいのかどうかとか、そういうことは、まだ全然わからないの。……でも、あなたの側にいられたら、私も嬉しいわ」
アーディンの瞳が、驚いたように、みるみるうちに見開かれた。
「本当に、ローザ?」
「ええ。でも、もう一つあって」
私は、少し躊躇いながらもアーディンの瞳を見上げた。
「王子であるあなたに、こんなことを言っていいのかわからないけれど。私、結婚するなら、自分のことだけを見てくれる人がいいの。あなたのお父上のように、あなたが何人もの妻を娶ることになるのなら、あなたとの結婚は考えられないわ」
「お安い御用だ。……言われなくたって、俺はローザ以外には、絶対に誰も考えられないからな」
嬉しそうに瞳を煌めかせたアーディンの腕が、きつく私を抱き寄せた。珍しく、アーディンが頬を染めている様子に、私の顔にも自然と笑みが浮かぶ。
「ローザは、今のままの君でいい。責任や立場がどうとか、そんなことは考えず、俺に任せておけばいいんだ。俺は、ただ君が側にいてくれさえすれば、それで十分なんだから。まだしばらくは、君にとっても落ち着かない状況が続いてしまうかもしれないが。君が隣にいてくれると思うだけで、俺は力が湧いてくるよ」
アーディンの顔が、私に近付いた。彼の唇が、優しく私の唇に重なる。ついばむような軽い口付けを何度か繰り返してから、アーディンは長いキスを私の唇に落とした。息が止まりそうなほど、私の胸の鼓動も速くなる。
アーディンは、私に触れていた唇をそっと離すと、恥ずかしそうに彼の顔を私の髪に埋めた。
「もう、今日はこのくらいでやめておくよ。このままだと、消耗している君を襲ってしまいそうだから。……おやすみ、ローザ」
照れているアーディンというのも、普段のアーディンの姿からはなかなか想像できず、どこか可愛らしかった。昔の幼かった頃の彼の面影が重なる。
「……おやすみなさい、アーディン」
私は、胸の中に愛しさが込み上げてくるのを感じながら、アーディンに腕枕をされたまま、そっと瞳を閉じた。




