忘れ得ぬ記憶
アーディンの肩の後ろに浮かび上がっている不思議な模様を、私はじっと見つめた。
「これは……何?」
今までに、こんな印が人間の身体に現れているのを見たことはなかった。人工的に皮膚に手を加えたものではないのだろう、ということはわかる。鳥に羽根が生えていることがごく当然であるのと同じように、その翼の模様も、アーディンの身体と一体になって、自然な姿でそこに浮き上がっていた。
「俺自身も、これが何なのかをはっきりとわかっている訳ではないが。昔、君に助けてもらったのと時を同じくして、俺の身体に現れたものだ。それまでは、こんな模様は俺の身体にはなかった。君の家に滞在している時、君の父上が見付けてくれたものだから、この印は、確かにあの時に俺の身体に刻まれたのだろうと思う」
アーディンは服を肩まで引き上げながら、ふっとどこか遠い目をした。
「あの魔法を帯びた罠に俺が掛かってしまい、君が助けてくれた時。あの時は、もう俺の力も尽き掛けていたんだ。でも、」
アーディンは、私の顔を見つめて微笑んだ。
「ランスの背から飛び降りて、俺の足に食い込んでいた罠を必死に外してくれた君を見て、地上に舞い降りて来た天使かと思ったよ。または、あの世に行く前に、最後に神が天使を俺のところに遣わしてくれたんだろうか、ってね」
「そんな、大袈裟な……」
私は、かあっと頬に血が上るのを感じた。アーディンはくすりと笑うと、私の髪を優しく撫でた。
「あの時の、俺を助けようと手を尽くしてくれた君の表情は、決して忘れられない。君の元を離れてからも、心が重くなる時には幾度も、あの時の君のことを思い出していた。いつか、また絶対に君に会うんだって、君のことを迎えに行くんだって、そう自分に言い聞かせることで、長い間、自分を奮い立たせていたよ」
アーディンがそんな風に私のことを想ってくれていたなんて、私は少しも知らなかった。私がアーディンを見上げると、アーディンは私の瞳を見つめたまま続けた。
「それに、君が俺に手を差し伸べてくれたのと同じ時に、俺は聞いたんだ。どこからか聞こえてきた声を」
「……声?」
「ああ。あれは君の声ではなかったし、正確に言うと、それが声だったのかすらもよくわからない。ただ、俺の頭の中に響いて来たんだ。『統治者となる者よ。汝に、私の力を貸そう』とね。あの時聞こえた声が、きっとこの翼を与えてくれたのだろうと、俺は思っているよ」
「もしかして。あなたが昔、アークって名乗ったのは……」
「ああ。追われている立場で、本名を名乗る訳にはいかなかったあの時、君に名前を聞かれて、咄嗟にそう答えてしまったんだ。まあ、本当の名前とも重なるところがあったしね」
「そうだったのね」
アーディンの眼差しには、強い輝きが宿っていた。
「俺の力が周囲に認められるほどに強くなったのは、あの時、あの声を聞いて、この印が身体に現れてからだ。あれから、不思議な力が身体に漲るようになった。俺は、あの声の主との約束に応えなければならない。あの声の主がいなければ、俺には、君を探して迎えに行くことすら叶わなかっただろう。だから、次の王位も他の兄たちに譲る訳にはいかないんだ。……それから、これは俺の感覚だが」
アーディンは、一度言葉を切ってから、再度私を見つめた。
「あの声の主が、王家の紋章の中央を彩る、守護獣と伝えられる一角のペガサスだったように思うんだ。何がどうなっているのかはわからないが、あの時、守護獣が俺に力を貸してくれたことが原因で、王家の紋章に見られる、伝えられている通りの姿ではまだ見付かってはいないような、そんな気がしているんだ」
私は、瞬く流れ星が、手を伸ばせば届きそうに近く零れ落ちていた、星降る宵のことを思い出していた。あの夜、流星に照らされていた、儚げだったアーディンの美しい姿のことも。あの夜ならば、アーディンの言うような奇跡が起きていたとしても、不思議ではないように思えた。
「そうね。そうなのかもしれないわね」
アーディンに向かって微笑んだ私のことを、彼は、吸い込まれそうな琥珀色の瞳で覗き込んだ。その瞳に確かに宿っている熱を感じて、私の鼓動も次第に速くなる。
「ローザに、君の隣に俺がいることを受け入れて欲しいと、心から願っているよ。ようやくまた出会えた君を、みすみす逃すつもりはないが。だが、再会したばかりの時には、焦り過ぎて失敗したからな。君の気持ちが俺に向くのを、待ちたいと思っている」
「アーディン……」
アーディンの強い瞳に、心の中までも見透かされて、射貫かれてしまいそうな気がした。アーディンと再会して、私の記憶に残る幼い彼とは違う面を、たくさん目にして。それでも、私のことを想って大切にしてくれるところは、変わらないままだ。私自身も、アーディンがいると、無意識のうちに、つい彼の姿を目で追ってしまうことに気付き始めていた。
ただ、そんな自分の気持ちだけで答えを出してしまってよいのか、まだ私にはわからなかった。
返す言葉を探しあぐねていると、アーディンは私の髪を手でするりと梳きながら、その驚くほどに整った顔を私に近付けた。
「……ただ、俺は、君を直接守れないことが、もどかしくて仕方ないんだ。できることなら、君の側を片時も離れずに、婚約者として君を守れたら、どれほどいいかと思う」
アーディンは、小さく息を吐くと、私の額にそっとキスを落とした。
「今日は色々なことがあって疲れているだろう、ローザ。ゆっくり休んでくれ」
「ありがとう、アーディン」
ようやく私が一言だけ言葉を絞り出すと、アーディンは静かに微笑みを浮かべてから、部屋を出て行った。




