投影された光景
ディムの背中を追って、私は小屋から外へと抜け出した。月の輝く、雲一つない夜空の下、しんと冷えた空気の中で、ディムは小屋のすぐ脇にあった倒木に腰を下ろした。私も、ディムの隣に腰掛ける。
「さっきはあまり話せなかったけれど。あなたも元気そうでよかったわ、ディム」
私が微笑み掛けると、ディムもにこりと笑って頷いた。彼の唇が動く。
『ありがとう、ローザ。ローザも、元気そうで安心したよ』
「怪我が治ってから、住んでいた家に戻った訳ではなかったの? ……私、あなたが森で迷子になったのだろうと思っていたから、あなたが、丁寧にお礼をしたためた置き手紙を残して姿を消した時には、てっきり家に帰ったのかと思っていたわ」
ディムは少し表情を翳らせると、首を横に振った。
『僕には、帰る家はないから。……むしろ、この森全体が、僕の家と言ってもいいかもしれない。病気や怪我にいつも蝕まれていた僕は、周囲から疎まれていたんだ』
「そんな……」
確かに、幼い彼の身体には、年齢に見合わないほど、なぜか多くの傷跡があったし、当時は肺の病も抱えていて、苦しそうに呼吸をしていたことが印象に残っている。けれど、それが疎まれる理由になど、なってしまうのだろうか。
『それに、僕は怪物だって怖がられていた。だから、僕の力の一部は魔法で封印されていたんだ。それを、僕を助けてくれたあの時、ローザが解いてくれた。だから、僕はどうしたって、生まれた家に帰る訳にはいかなかった』
「……どういうこと?」
ディムの言っていることがさっぱりわからず、私は首を傾げた。ディムは私の瞳を見つめると、微かに口角を上げた。
『ローザに触れられて、僕の封印が解けてわかったのだけれど。ローザには、魔法は使えなくても、魔法が解けるのでしょう? ……すごく、特別な能力だよね。僕にも、魔法は使えないけれど、ちょっと変わった力があるんだ』
「変わった力?」
『うん。僕は、生命あるものの怪我や病を、僕の身体に引き受けることができるんだよ』
「じゃあ、あの時怪我をしていたのも……」
『そう、ローザが想像している通りだよ。この両耳みたいに、完全に機能を失ってしまうと、自分の治癒力では治らないこともあるけれど。そうでなければ、僕はいくらか、他の人よりも回復が早いから』
「でも、辛かったでしょう。あんな小さな時から、そんなことを……」
彼の言葉が事実だとするならば、怪我や病の痛みや苦しみも含めて、彼が引き受けていたのは明らかに見えた。途中で言葉を失った私の顔を、彼は覗き込んだ。
『でもね、それで喜んでもらえるのは、嬉しかったから。この森の動物たちは、とても温かいよ。……僕がしたことを、いつまでも覚えていて、感謝してくれるんだ。だから、僕を見ると嬉しそうに近寄って来てくれるし、いつだって僕のことを助けてくれる』
彼の言葉には、嘘は感じられなかった。でも、どこまでも優しいそんな彼が、なぜ周りから疎まれ、恐れられていたのかは、私にはまったくわからなかった。
『ただ、僕が、怪我や病を引き受ける時にはね。望むと望まざるとに関わらず、それを負った時の彼らの記憶まで、僕が引き受けることになるんだ。まるで、僕自身がそれを経験したかのように。彼らにも記憶は残るから、いわば僕にも記憶を分けてもらうような感じかな』
「その時の記憶も、引き受ける……?」
ディムが特別な能力を持っているということはわかったけれど、まだそれを具体的に理解できるほど、頭がついていってはいなかった。
戸惑い気味の私の手を、ディムは少し辛そうに顔を歪めて、ぎゅっと握った。
『ねえ、ローザ。ローザのご両親が馬車の事故で亡くなった時のこと、覚えてる?』
「ええ、それはもちろん。ディム、あなたは何か、あの時のことを知っているの? ……大雨の後で、緩くなっていた崖の斜面が崩れて、土砂崩れに馬車が巻き込まれたのだと、そう聞いていたのだけれど」
自分の身体が小さく震えるのを感じながら、私はディムの手を握り返した。
『……うん。その時怪我をした野犬を助けた時に、引き受けた記憶があるんだ。そこで見えた馬車に、見覚えがあったから。あれは、ローザとローザのお父さんに助けてもらった時、ローザのお家に止められていた馬車に、間違いないと思う。
ローザには、どうしても辛く感じられてしまうと思うけど、でも知っておくべきことだと思うから。共有させてもらってもいいかな?』
「それが出来るのなら、お願い。私、あの時本当は何が起こっていたのか、ずっと真実を探していたの」
『わかった。じゃあ、いくよ?』
握られたディムの手から、私の中に何かが流れ込んで来たのがわかった。まるで脳内のスクリーンに再生されるかのように、野犬の低い視点から見た景色が、まるで私自身がそれを経験しているかのように、私の目の前に浮かぶ。
崖が崩れて、轟音と共に砂が舞い、いくつかの大きな石が飛んで来たようだ。視点が下に向く。避け切れなかった石が、野犬の右前脚に刺さって血が滲んでいるのが見える。
視点が戻り、崖から雪崩のように次々と崩れ落ちていく土砂が、崖下を走っていた馬車を飲み込んでいく様子が見えた。忘れるはずもない見慣れた馬車が、為す術なく大量の土砂の下敷きになっていく場面に、私は悲鳴を上げそうになるのをぐっとこらえた。
投影されている映像を食い入るように見つめながら、私はあるものに視線が釘付けになり、瞳に滲みかけた涙を拭った。
もしも、これが単なる事故であったなら、そこに絶対に存在するはずのないもの。……そこには、土砂の下に姿を消す馬車を眺めている人物の姿があったのだ。そこから走り去ろうとしていたであろう野犬が、崖下の少し離れた場所から振り返って眺めたその場所には、崖崩れが起きることを前もって知っていたかのように、私の両親が乗っていた馬車の事故を眺める男性の姿と、そのすぐ脇には一台の馬車が見えた。
その人物の斜め後ろからの視点で、男性の顔は見えなかったけれど、獅子の鬣のような濃い金髪をした彼が、土砂の下に姿を消した馬車を見て、隠し切れず薄く口角を上げた様子が見て取れた。少し唇を歪めた独特なその笑みから、私は目を離すことができなかった。
(やっぱり、あれは単なる事故なんかじゃなかった! ……誰かに仕組まれた事件だったんだわ)
ディムと握ったままの手に、さらに力を込めた私を、ディムは心配そうに見つめていたけれど、私は歯を食いしばった。犯人を辿るヒントがそこにあるのなら、何一つ見落としたくはなかった。
さらに遠ざかっていく景色の中で、私の目にはあるものが止まった。薄笑いを浮かべた男性の脇に止まっていた馬車には、見間違うこともない、王家の紋章が輝いていたのだ。
私の全身から、すうっと血の気が引いていくのがわかった。王族専用の馬車に、あの男性。私の両親の仇であるあの人は、きっと。
(……アーディンとエリック様を除く、この国の王子の、誰かだわ)
喉の奥がからからに乾いていくのを感じながら、私は、この場にいた野犬が男性と馬車から視線を逸らして走り去るまで、その場面をただ信じられない思いで見つめていた。
私の両目からは、堪え切れなくなって涙が溢れ落ちる。ディムはそっと私の手を離すと、優しく私の涙を拭ってくれた。
「気を……付けてね」
心から私のことを慮っていることが感じられる、彼の澄んだ紅玉のような瞳を、私ははっと驚いて見つめた。たどたどしく発せられたディムの言葉を、その時私は初めて耳にしたのだった。
私は、ただ彼に向かって頷くことしかできなかった。




