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ヤドリナの言葉

左足をやや引き摺るようにしている、少し腰の曲がった、けれど、鮮やかな赤色を保った艶やかな髪をなびかせた彼女の姿を目にして、私は嬉しくなって小走りに彼女の元に駆け寄った。


「ヤドリナお婆ちゃん!」


右手でディムの肩を借りて小屋から出て来たヤドリナお婆ちゃんの、空いていた左手が、私に向かってひらひらと振られている。


お婆ちゃんは、目の前に来た私を見て嬉しそうに相好を崩すと、目を輝かせて私の手をぎゅっと握った。


「ローザ、元気にしておったかい? ランスも、元気にしとるようだね。……今日は、また随分とたくさんの人間を連れて来たねえ」


ヤドリナお婆ちゃんの顔に鼻面を擦り寄せるようにしたランスの首筋を優しく撫でながら、お婆ちゃんの視線は鋭くアーディンたちを捉えている。


「お婆ちゃん、皆、信頼できる人達だから、安心して。紹介するわね。……あちらが第一王子のエリック様、そのすぐ右が、第八王子で私の昔馴染みのアーディン。そして、その後ろに、アーディンの護衛のカイル様とルシファー様」


次々とヤドリナお婆ちゃんに頭を下げていく面々を、ヤドリナお婆ちゃんは淡々とした表情で見ていた。


「あのね、今日お婆ちゃんに会いに来たのは……」

「わしに、聞きたいことがあるのじゃろう?」


お婆ちゃんの視線がエリック様に飛ぶ。エリック様は真剣な表情で頷いた。


「まあ、大体想像はつくがな。……こんな所で立ち話もなんだ。皆さん、狭い所じゃが、よければこちらへ。馬は、その辺りに繋いでおくといい」


お婆ちゃんの言葉に従って、私たちは、お婆ちゃんの小屋の中へと続いて入って行った。


小さく見えた小屋だったけれど、入ってみると意外と奥行きがあり、居心地のよい空間が広がっていた。所々に明るいランプの火が灯っている。


「昔、お婆ちゃんにお茶をご馳走してもらったのとは、ここはまた別の家よね?……お婆ちゃんがディムと知り合いだったなんて知らなくて、驚いたわ」


お婆ちゃんはほっほっと笑うと、ディムと目を見交わした。


「この前、山の斜面でうっかり足を滑らせてしまっての。そこで助けてくれたのが、彼だったんじゃよ。昔、ローザに助けられたことを思い出しながら、お前さんの話を彼にしたら、彼はお前さんに助けられたことがあるというじゃないか。ふふ、世間は狭いものじゃの。今は、彼にここに留まってもらって、そのまま世話になっておるんじゃよ」

「そうだったのね。……今、ディムの肩に乗っているフクロウは、昔からお婆ちゃんに懐いているフクロウよね。今日は、私たちを案内してくれたのかしら?」

「ああ。お前さんたちがこの森に入ったと知って、この子にここまでの案内を頼んだのじゃ。思ったよりもお前さんたちの到着が早くて、よかったわい。……申し訳ないが、こんなに大人数分の椅子はないんでな。茶を淹れて来るまで、その辺りのラグにでも、適当に腰を下ろして待っていておくれ」

「ありがとう、お婆ちゃん」


部屋に入って来た面々が、部屋の中をきょろきょろと見回しながらそれぞれ床に腰を下ろす。香ばしい茶葉の香りが部屋の中に漂い、ディムが盆にお茶の入ったカップを乗せて、私たちの前に運んでくれた。


皆が喉を潤して一息吐いたところで、お婆ちゃんが部屋に一つだけある肘掛け椅子にゆっくりと腰掛けながら、私たちの顔を見回すと口を開いた。


「すまないが、足が悪いもんで、わしは椅子に座らせてもらうよ。

……さて、こんな森の奥にまで、わざわざわしに何を尋ねに来た?」


エリック様が、やや緊張した面持ちで口を開いた。


「はい。単刀直入に伺いますが、ヤドリナ様は、王家の紋章の中央部分に描かれている動物をご存知でしょうか?」

「念のための確認じゃが。それは、紋章に描かれている動物を文字通り知っているかを問うているのではなく、その動物が、迷いの森にいるかどうかを知っているかという意味だと、そう捉えてよいのじゃな?」

「ええ、仰る通りです。ご理解が早くて、助かります」


エリック様が、こくり、と唾を飲み込んだのがわかった。その場にいる全員が、息を飲むようにしてお婆ちゃんのことを見つめている。お婆ちゃんはすっと目を細めた。


「まず、はじめに一つ言わせてもらう。わしは、王族の特定の誰かに肩入れするつもりはない。『星降る宵』の後で、お前さん方がその動物を探している理由が、王位継承権争いに関わっていることは明らかじゃろうて。……古の時より、繁栄をもたらす王家の守護獣として崇められてきた神聖な動物を探す理由が、他にあるとも思えんからな。

ただ、ローザはわしの恩人じゃし、大切な友人でも、また孫のような可愛い存在でもある。だから、ローザの友人であるお前さんたちには敬意を払って、こうやって話をしているが、そのことは忘れんで欲しい」


いったん息を吐いてから、お婆ちゃんは続けた。


「……改めて聞くが。お前さんたちが探しているのは、何じゃ?

王家の紋章に描かれている、白銀に輝く馬体に金色の角と翼を持つペガサス。そのような動物が見付かれば満足だと、そういうことかい?」


お婆ちゃんの言葉を受けて、エリック様に困惑の表情が浮かぶ。


「はい、その通りなのですが……」

「ならば、そのような外観をした動物はしばらくは見付からんかもしれんな。まあ、そのうち目にすることができるかもしれんが……それがいつになるのかは、わしにもわからん」

「そう、ですか」


落胆の色を隠し切れないエリック様を中心に、辺りに重い沈黙が落ちる。けれど、私には、お婆ちゃんの言葉が少し引っ掛かっていた。


「ねえ、お婆ちゃん。私からも聞いてもいいかしら? 私たちが探しているのが、この国の守護獣とも、この森で守り神とも言われる動物だというのは確かだわ。今お婆ちゃんが口にしたような、神々しく目立つ姿をした動物は、星降る宵の後、まだ誰も見ていないのかもしれないけれど。……それでも、その守護獣がこの迷いの森にいるという可能性は、信じてもいいのかしら」


ヤドリナお婆ちゃんの瞳が、きらりと光った。


「ほう、ローザ、面白いことを聞くね。どうしてそう思う?」

「何て言えばいいか、私にもよくはわからないのだけれど。……この迷いの森に入ったり、この森の動物に触れたりする度に、いつも私は不思議な力を感じるの。何か神聖な存在がこの森の全体を守っている、という感覚がしっくり来るわ。私の父も、まだ昔、私がこの森に足を踏み入れるようになった頃くらいに、口にしていたのだけれど。……善き森の力がだんだん強くなってきていると、嬉しそうに微笑みながら私の頭を撫でてくれた。私も、そんな力がまだ確かにこの森にはあるような、そんな気がするの。

さっきのお婆ちゃんの言葉も、私には、あまり目に見えるものだけにこだわるべきじゃないと、そう言っているように聞こえたわ」

「さすがは、ローザじゃな。この森に受け入れられているだけあるのう」


お婆ちゃんが楽しそうにほっほっと笑い、次に、はっとしたように顔を見合わせたエリック様とアーディンに視線を移した。


「きっと、お前さん方は、昔からの言い伝えとか、集めたデータとか、そういうようなものを元に、色々と考えたり悩んだりしとるのだろうが。そうしたものを頭からいったん取り払って、単純に考えた方が良い結果をもたらす場合もあるのじゃよ。

答えは、思わぬ所で見付かるかもしれんよ。特に、そこの緑の髪の、お前さん……アーディンと言ったかな。お前さんも、少し変わったものを持っとるようじゃな。自分の感覚に、素直に耳を傾けるといい」


アーディンは、お婆ちゃんの言葉にしばらく思案気に俯いてから、お婆ちゃんの顔を見上げて口を開いた。


「俺たちがまだ気付いていないだけで、既に、俺たちが探している守護獣に近い場所にいる可能性もあると、そういうことでしょうか」


お婆ちゃんはまた楽しそうに肩を揺らして笑うと、アーディンを真っ直ぐに見つめた。


「それは、これからお前さんたちが答えを見付けることじゃな。

わしに話せるのは、このくらいじゃ。ただ、……わしは、王族の誰かの肩を持ちはしないとは言ったが、この森の平和を守りたいという願いは、誰よりも強く持っておる。その方向性が重なる限りにおいては、協力できることもあるかもしれん」

「大変ありがたいお言葉、感謝します」


エリック様がお婆ちゃんに深く頭を下げた。軽く頷いたお婆ちゃんが、徐にお茶の入ったカップを口に運んでいた時、どこかうずうずしていた様子のルシファー様が、横からお婆ちゃんに問い掛けた。


「なあ、この、さっき俺たちに出してもらった茶だが。これは、体力回復の薬草を混ぜて淹れてくれたんじゃないかい?」


ルシファー様の言葉に、お婆ちゃんが柔らかい顔になって目を細めた。


「おや、よく気付いたねぇ」

「いや、何だかんだ言ってたけど、婆さんやっぱりいい人だなと思ってさ。これを飲んで、俺も随分と疲れが取れたし。できれば、この茶葉の配合を教えて欲しいんだが……」

「おい、ルシファー!! ヤドリナ様に向かって、その言葉遣いは……」


慌ててカイル様がルシファー様を止めようとしたけれど、お婆ちゃんは、ルシファー様の言葉に破顔していた。


「ああ、いいとも。薬草茶には、わしはちょっとうるさくてな。秘蔵のレシピがいくつか……」


今度はルシファー様の顔が輝く。


「おお、是非教えてくれ! この茶も、この効果でこの味は格別だ。できれば王宮に持ち帰りたいくらいだ」

「そうじゃろう、そうじゃろう! これはわしのレシピの中でも自信作じゃからな。ちょっと、こっちに来てみなさい……」


(急に空気が和やかになったわね)


あっという間に、場の緊張した空気を解いた自然体のルシファー様に感心しつつ、お婆ちゃんを囲んでいる皆の様子を後ろから覗き込んでいた私の肩が、トン、と叩かれた。振り返ると、ディムの赤く澄んだ瞳がこちらを見つめている。


『ローザ、ちょっと抜け出せるかな。こっちに来てもらえる?』


ディムの唇がそう動いたのを見て、私はこくりと頷いた。

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