赤い瞳の少年
生い茂る木々の葉の重なりが次第に厚さを増し、薄暗くなって行く中、森の奥へと分け入って行く私たちの様子を、フクロウは時折見守るように振り返っている。ランス以外の馬が、太い木の根が地表に飛び出て絡まり合う悪い道に苦戦していると、私たちがフクロウに追い付くまで、速度を落として空中でぱたぱたと羽ばたきながら待ってくれていた。
エリック様が馬を操りながら、フクロウを見つめて呟いた。
「あのフクロウは、私たちのことを案内してくれているようですね。もう、大分この森の奥深くまで来たように思いますが、どこまで行くのでしょうか。……聞いていた通り、この森は進むほどに方向感覚がおかしくなるようですね。もしここで置いて行かれたら、とてもここから出られるような気がしませんよ」
溜息混じりのエリック様の言葉に、アーディンが頷いた。
「これが、迷いの森です。俺も久し振りにここに来ましたが、ローザがいなければ、ここから出られるという確信は持てませんね。……おや、フクロウが下降を始めたようだ。何か見えて来ましたよ」
少し木々がまばらになったかと思うと、その奥にはぽっかりと開けた空間があり、簡素な木造りの小さな小屋が建っていた。小屋の中からは温かな灯りが漏れている。
アーディンが私を振り返った。
「ローザ、あれはヤドリナ様の住んでいる家かい?」
私は小さく首を振った。
「わからないわ。ヤドリナお婆ちゃんは、ひと所にずっと留まっているという訳ではなくて、時々移動して住む場所を変えているみたいだったから。でも、フクロウがあの家を目指しているなら、お婆ちゃんがあそこにいる可能性は高いと思うわ」
その時、迷いなくその小屋の前に羽ばたいて来たフクロウを迎えるように、一つの人影が小屋の中から姿を現した。
明らかに老婆とは異なる、すっと背筋の伸びた姿を目にして、私たちには一様に緊張が走った。空気がぴりぴりと張り詰めたのを感じながら、ランスの歩調を緩めた私は、フクロウに向かって腕を差し出しているその人影に目を凝らした。
そこに立っていたのは、細身の少年だった。肩口まである深い藍色の髪は、彼の目元までほとんど覆い隠している。フクロウが警戒する様子なく彼の腕に止まったところを見ると、きっとお婆ちゃんとも近しい人物なのではないかと思えたけれど、彼が誰なのかは、私にはまだ判別がつかなかった。
エリック様が彼に向かって口を開いた。
「私たちは、ヤドリナ様を探してここまでやって来ました。ヤドリナ様は、そちらの家にいらっしゃるのでしょうか。……差し支えなければ、貴方様のお名前を伺っても?」
はっきりとした口調で尋ねたエリック様に対して、彼はまったく反応を示さなかった。彼はただ、腕にとまったフクロウの背を優しく撫でているだけだ。戸惑ったように、エリック様はアーディンたちと顔を見合わせている。
フクロウを撫で終わった彼が、エリック様に返答する代わりに視線を向けたのは、なぜか私だった。彼の長い前髪の間からは、明るい赤に輝く二つの瞳が覗いている。
(もしかして、彼は……)
彼が私に微笑み掛けたように見えて、私はランスの背から降りて彼に近付いた。彼の口元が動いたのがわかる。
「ローザ、待て。不用意に近付くな」
焦ったようなアーディンの声が私の背後から飛び、私が振り返ると、アーディンだけでなくルシファー様もカイル様も、私の目の前にいる少年を見据えて身構えていた。
「……エリック様の言葉に返答する様子もまったくないなんて、彼に敵意がないとも限りません」
既に腰の剣に手を添えているカイル様を見て、私は慌てて首を横に振った。
「ま、待ってください! 彼は、多分、耳が聞こえないんです。……ねえ、あなた、ディムでしょう?」
私は、既に頭上に輝いていた月の光に私の顔が照らされているのを確認してから、彼の視線を意識してゆっくりと唇を大きく動かした。私の口元を見た途端に、彼の顔がぱっと明るく輝き、大きく頷く。彼の唇が、『久し振り、ローザ』という形に動いたのがわかった。
私はほっと息を吐いてから、皆を再度振り返った。
「彼、ディム……ディミトリアスとは、昔この森で、彼がもっと幼い頃に会ったことがあるんです。彼はヤドリナお婆ちゃんのことも知っているし、彼なら信頼できます。彼は耳は聞こえないけれど、唇は読めるので、ゆっくりと彼に唇の動きが読めるように話せば、ちゃんと伝わりますよ」
視線をディムに戻した私は、またゆっくりと唇を動かした。
「ディム、背が伸びたのね。すぐにはあなただとわからなかったわ。私たち、ヤドリナお婆ちゃんに会いに来たの。お婆ちゃんは、その家の中にいるのかしら?」
ディムは私の言葉にこくりと頷くと、私たちに向かって手招きをした。
私たちは再度目を見交わすと、次々に馬を降りて、手綱を引きながら、彼の後について小屋の入口に向かって行った。
アーディンが私に早足で近付くと、私の耳元で囁いた。
「君は、思いのほか迷いの森に知り合いが多いんだな。驚いたよ」
私はアーディンの言葉に微笑んだ。
「私も、彼が迷いの森に留まっていたとは知らなかったから、驚いているの。大分前に、彼がこの森で怪我をして動けなくなっていたところに出会して、父のところに連れ帰って手当てをしたのだけれど、その後は住んでいた街に帰ったのだろうと、そう思い込んでいたわ。ヤドリナお婆ちゃんに会った時にも、特にディムの話は聞いていなかったし」
「そうか。……彼も、俺と同じように君に助けられたんだな」
「私は、たいしたことはしていないけれど。それよりも、怪我をした彼を先に見付けて、守るように彼の側についていたのは、この森の動物たちだったのよ。この森の特殊な動物たちにこれほど好かれる人は、今までにヤドリナお婆ちゃんとディムしか見たことがないわ。彼は優しくて穏やかだし、この森の動物たちに信頼されるということは、人柄については折り紙付きよ」
「この森の動物に好かれているという意味では、君も負けてはいないと思うがな」
ふっと口元に笑みを浮かべたアーディンの横では、エリック様が興味深そうに私たちの会話に耳を傾けていた。
「ふむ、ディミトリアスという名前、そして赤い瞳。彼のことは、どこかで……?」
ぶつぶつと何か呟いているエリック様を、私が不思議そうに見つめると、エリック様ははっとしたようににこりと笑った。
「私もアーディンと同感ですね。ここまでの道のりで、時折動物の気配を感じましたが、きっとローザがいるお陰でしょう、敵意は一度も向けられませんでしたね。迷いの森の動物に襲われる可能性も、正直なところ懸念していましたが、私の杞憂だったようです。
……それに、ついにヤドリナ様に会えますね! ローザ、本当にありがとうございます」
エリック様のすぐ後ろにいた、カイル様とルシファー様の表情も和らいだことに、私は胸を撫で下ろした。ディムがさっき潜った小屋の入口に、いつの間にか小柄な人影が現れていることに気が付いた私は、その懐かしいシルエットに向かって大きく手を振った。




