迷いの森へ
「ああ、ようやく待ちに待ったこの日が来ましたね! ……ローザ、今日は迷いの森の案内をよろしくお願いしますね」
「はい、こちらこそ」
頷いた私の正面で、エリック様が満面の笑みを浮かべている様子に、ルシファー様がややあきれたように、私の耳元でぼそりと呟いた。
「まるでスキップでも始めそうな浮かれ具合だな……」
「ん、今何か言いましたか? ルシファー」
「いや、別に……」
ルシファー様の言葉に、私が思わずくすりと笑ったのを見て、私たちの親しげな様子に驚いたのか、アーディンが目を瞬かせてルシファー様に尋ねた。
「ルシファー、お前、ローザといつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
ルシファー様の代わりに、私はアーディンに向かって口を開いた。
「アーディンが借りて来てくれた、薬草の図鑑があったでしょう?
早速読み始めたのだけれど、私の知らない薬草もたくさん載っていて。どういう場所でどのくらい採れるのかや、どうやって使うのかを、ルシファー様に教えていただいたのよ。
……ルシファー様、本当に薬草にお詳しくて、すごく勉強になったわ。ね、ルシファー様?」
実際、恐らく王宮の薬師たちよりも、ルシファー様の方が間違いなく薬の知識に長けているだろうと、彼の博識さに、私はここ数日、感嘆していたのだった。それに、ややぶっきらぼうな口調は相変わらずだけれど、表裏がなく教え方が丁寧で、私の疑問にとことん付き合ってくれるルシファー様は、とても面倒見が良かった。
「……いや、俺は、たいしたことはしていないが……」
まるで年の離れた妹のようにルシファー様を慕う私と、やや照れた様子で頭を掻くルシファー様に、アーディンとカイル様は目を見合わせると、ふっと笑った。
「ローザがルシファーの良さをわかってくれて、嬉しいよ。ルシファーは、堅苦しい王宮では時々居心地悪そうにしているが、ローザと話している時は柔らかい表情をしているな」
アーディンの言葉に、エリック様も微笑んで頷いた。
「ええ、何よりだと思います。それに、ルシファーから薬草の知識を学ぶことは、貴女にとっても今後非常に役立つと思いますよ、ローザ。……さて、では早速出発しましょうか」
エリック様は、体格のよい栗毛の愛馬にひらりと跨ると、数歩進んで私たちを振り返った。私もランスの首元を軽く撫でてから、久し振りに彼に跨った。アーディンとカイル様も慣れた様子でそれぞれの愛馬に跨り、ルシファー様はあっという間に美しい銀色の狼に姿を変えていた。
「そう言えば、エリック様」
私はランスの脚を速めてエリック様の愛馬の横に並びながら、エリック様に声を掛けた。
「エリック様が今日迷いの森に行くのは、確か何か稀少な動物を探すためだと、そう仰っていましたよね。それは、どのような動物なのでしょうか?」
「ローザは、王家の紋章に描かれている動物をご存知ですか?」
振り返りながら答えたエリック様の思いがけない言葉に、私は小首を傾げた。
「王家の紋章に……? あの、中央に描かれた、ペガサスとユニコーンが混ざったような動物と、紋章を縁取っている、双頭の金色の竜のことでしょうか。あれは、さすがに伝説上の動物ではないのですか?」
「いえ、あれはどちらも実在の動物と言われています。特に、紋章の中央を飾る動物は、この国の守護獣とされているのですよ。とは言っても、私も歴史書上の記載で見知っているだけで、実物を見たことはありませんが。……もしできることなら、いずれも見付けたいところなのですが、私がとりわけ探しているのは、ペガサスのようなユニコーンのような、白銀の馬体に、金色の羽と角を備えた動物です」
エリック様は、真剣な顔で私を見つめた。
「ローザ、貴女が昔アーディンを助けた夜、迷いの森に大量の流れ星が降り注いでいたのを覚えていますか? ……あれは『星降る宵』と呼ばれる、とても珍しい現象で、数百年に一度だけこの国で見られ、星が降った森には守護獣が現れると、そう言い伝えられています。ですが、今回はその守護獣の姿が、どれほど人を使って、手を尽くして探しても見つからないのです。それで、貴女のお力を借りたいという訳なのですよ、ローザ。私も、迷いの森に足を踏み入れるのは今回が初めてなので、胸躍る気持ちなのですが、今度こそはその動物に繋がる糸口を掴みたいのです」
「……もし見付からない場合、何か困ることでもあるのでしょうか?」
エリック様はやや苦笑すると目を伏せた。
「まあ、そんなところですね。その辺りの事情も、ローザにはおいおい話していきたいと思っています。ヤドリナ様にも、もしお会いできたなら、その動物に心当たりがないかを聞きたいと考えているのですよ」
「確かに、ヤドリナお婆ちゃんは、迷いの森のことには凄く詳しいので、もしかしたら知っているかもしれませんね」
(お婆ちゃん、元気にしているかしら……)
私が両親を亡くして、養父母の家に引き取られてからというもの、迷いの森まで足を伸ばすことがあっても、厳しい門限に間に合わせるために急いで帰ることが多かった。お婆ちゃんに運良く森で会えたとしても、少し立ち話をする程度だったし、最後に会ったのは半年ほど前だったから、どうしているのかと気になっていた。
しばらくランスの背に揺られていると、次第に深緑のこんもりとした森が見えて来た。私にとっては見慣れた森だけれど、ちらりとエリック様とアーディンの顔を見ると、エリック様は興奮と緊張の入り混じったような表情で、アーディンも少しだけ固い顔をしていた。
アーディンが、ランスの隣に自らの馬を寄せて来た。
「ローザ、俺が迷いの森に入るのは、君に助けられて、しばらく一緒に過ごしていたあの時以来だよ。最近、この森で何か変わったことはあったかい?」
「変わったこと? ……ううん、私の知る限りでは、特にないけれど。でも、そういえば、前にヤドリナお婆ちゃんに森で会った時、森への侵入者が増えているというようなことを言っていたわ。
もしかしたら、さっきエリック様が仰っていたように、人を使って、迷いの森でその守護獣を探させていたからなのかしら?」
「そうか、それは何とも言えないな。他にも迷いの森を調べている者がいないとも言い切れない。……まずは俺たち自身の目で、森の中の様子を確認するほかないだろうな」
「ええ、そうね。私も最近は、幼い頃と比べたら、迷いの森で長時間過ごしてはいなかったから、それほど詳しい訳でもないの。ヤドリナお婆ちゃんに会えたら、きっと一番いいのだろうけれど……」
アーディンと話しているうちに、迷いの森の入口の前まで辿り着いていた。生い茂る高い木々を見上げながら、エリック様は、全員が揃っていることを確認すると、皆の顔を見渡した。
「ここからは、ローザに先導してもらいましょう。皆、ローザから離れないように。ローザ、すみませんが、皆がはぐれることのないよう、ゆっくりと様子を見ながら進んでいただいても?」
「ええ、承知しています。では、参りましょうか」
ランスが勝手知ったる様子で迷いの森へと足を進めていき、エリック様をはじめ、他の面々がランスの後に続く。少し森の中に分け入ったところで、ランスが急にぴたりと足を止め、正面の黒々とした高い木の上を見上げた。
ランスの視線を追って、私も目の前に聳える木を見上げると、満月のような淡い金色に光る真ん丸な目がニつ、木の葉の陰に覗いていた。目を凝らすと、二つの目を囲むシルバーグレイのシルエットがぼんやりと見え、胸元には一筋の虹色が混ざっている。
「あれは多分、ヤドリナお婆ちゃんのフクロウ……」
「何ですって、ヤドリナ様の?」
「ええ、あの珍しい羽の色は、きっとそうだと思います」
私はエリック様の言葉に頷いた。あのくりっとした目の可愛らしい小柄な子は多分、ヤドリナお婆ちゃんに懐いて、お婆ちゃんの左肩に指定席のように乗っていたフクロウだろう。まるで私たちを迎えに来たかのように、私たちの存在を確かめてからふわりと飛び上がったフクロウの背を、ランスは自然に追い始めた。振り返った私に、皆はいっせいに頷くと、迷いのない様子で真っ直ぐに飛んで行くフクロウの後に続いて、揃って森の奥へと分け入って行った。




