舞踏会
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舞踏会が開催される夜、見事に着飾ったアリエッタは、養父と養母に付き添われて、美しい白馬の引く大きな馬車に乗り込んでいた。幸運にも養父とはあまり似ていないアリエッタは、可愛らしい顔を赤く染めて、意気揚々としている。
養母は馬車から私をちらりと見ると、ふんと鼻を鳴らした。
「まあ、そんな貧相な格好をして……。あなたがアリエッタと一緒に行ったらアリエッタの足を引っ張るわ、あなたは別に来てちょうだい」
だいたい言われることの予想はついていたので、私は黙って軽く頭を下げた。
アリエッタが乗った馬車を見送り、てくてくと道を歩いていると、後ろから声が掛けられた。
「ちょっと、ローザ!? ……もしかして、王宮まで歩いて行く気?」
馬車の窓から声を掛けてくれたのは、エレナだった。
「ええ、そうよ」
私が頷くと、エレナはその目を驚きに見開いた。
「嘘でしょう、ローザ……? さあ、乗って! 一緒に行きましょう」
エレナのお言葉に甘えて馬車に乗り込んだ私を、エレナは上から下までじっと眺めた。
「ねぇ、ローザ。あなた、舞踏会に参加するって感じの格好じゃないわね。予備のショールを持ってきているの、よかったらこれを使って」
「ありがとう、エレナ」
私は微笑んで、エレナの好意をありがたく受け取った。世話好きなところのある優しいエレナは、こういう時にも変わらない。憂鬱な気分が少しだけ和らぐのを感じた。
「……持っている服の中で一番ましなのが、このワンピースだったの。これでお城に行くことを考えるだけで、気が重かったのだけれど……エレナのお陰で、助かったわ。エレナのそのドレス、とても似合っていて素敵ね」
薄桃色のふんわりとしたドレスは、エレナの華奢なウエストを引き立て、裾のドレープが優雅に波打っていた。
エレナが嬉しそうに微笑む。
「ありがとう、ローザ。……あなたは元が綺麗なんだから、自信を持って胸を張っていればいいのよ。それに、そのショールで大分それらしくなったわ」
馬車が王宮に着くと、王宮は大勢の人々でごった返していた。
王宮は壮大で、夜闇の中、窓から煌々とシャンデリアの灯りが漏れていた。外壁には見事な彫刻が施され、内部にはそこかしこに贅沢な調度品があしらわれている。
そして、王宮の入口を潜り広々とした廊下を抜けると、未婚の女性だけが大広間に案内されていた。
私はエレナと大広間に入ると、そこには、今まで見たこともないほど豪華に着飾った沢山の美しい令嬢たちが、燦然と輝くシャンデリアの灯りに照らされていた。
色とりどりの贅沢なドレスに身を包んだ彼女たちは、大きな宝石を身に纏い、期待に胸を弾ませながら、顔を上気させてそわそわとしている。
彼女たちと、ドレスとも言えない簡素なワンピースで、宝石の一つすら身につけていない自分を見比べると、思わず尻込みしてしまいそうになったけれど、自分を奮い立たせて、せめて背筋だけはとしゃんと伸ばした。
ひそひそ声で囁き合う令嬢たちは、みなアーディン王子の噂話でもちきりだ。
「アーディン様は、いったいどなたとダンスを踊られるのかしら」
「……どなたかお探しという噂もあるけれど、本当かしらね?」
「あのお美しいお姿を見ることができるだけでも、楽しみだわ」
大広間の脇の大理石のテーブルの上には、目にも鮮やかな、見たこともないほど美味しそうな料理もふんだんに並べられていたけれど、誰もそこには見向きもしていなかった。
私は、できることならそこへと行きたかったのだけれど、エレナに動く気配がないので、ぐっと思い留まった。
令嬢たちが皆見つめていたのは、ただ一点だけ……王子が入場して来るはずの扉である。
扉が内側から重々しくゆっくりと開くと、細波のように、令嬢たちから感嘆の声が上がった。エレナも、私の耳元に口を寄せた。
「とうとういらっしゃったわね! ……あの真ん中にいらっしゃる方が、アーディン様よ」
私も王子の方をじっと見つめた。両側の護衛に挟まれた、すらりとした長身の王子は、ゆっくりと大広間の中に進み出て来た。
エメラルドのような艶のある緑色の髪に、琥珀色に輝く意志の強そうな瞳。陶器のような白く滑らかな肌に、この上なく整った目鼻立ちは、令嬢たちを魅了するのに十分だった。
この国ではあまり見掛けない、珍しい彼のエメラルド色の髪を見て、迷いの森で昔出会った少年のことを、私はふと思い出した。
(……まったく立場は違うでしょうけれど、あの髪の毛の色はそっくりね)
まだ私の本当の父母が生きていた頃、迷いの森で仕掛けられた罠に、なぜか幼い少年が掛かっていたことがあった。
迷いの森には、ほかの森では滅多に出会うことのできない、珍しい動物たちがいる。それを捕獲して転売しようと、森の中に罠を仕掛ける者が時々存在した。
……森の守り神とも言われ、地元の住民からは恐れられながら、崇拝もされるこれらの希少種たちには特別な力があるとされ、その捕獲には、特殊な魔法のかかった罠が使用されることがある。この国は、貴族の中でも限られた人々しか使えない、魔法の力に支えられていると言われているけれど、そんな魔法の力に通ずるとされ、一部の貴族に珍重される希少種を狙うための罠に、その少年が掛かっていたのだった。
ちょうど、明るく輝く星々が空を流れていた夜だった。まるで流れ星に照らし出されるかのように、闇の中で浮き上がって見えた、ぼろぼろの服を着て虫の息だった少年を、私は慌てて罠から外し、抱きかかえて家に連れ帰った。それからしばらく介抱しつつ、彼の回復を待って一緒に住んでいたのだけれど、ある日突然彼は姿を消してしまった。
身体の線は細かったものの、笑顔の明るい、輝きの強い瞳をした可愛らしい子で、私よりも少し年下だっただろうか。私によく懐いてくれていて、私も彼をとても可愛がっていたから、彼が急にいなくなった時には、それは寂しかったものだ。
(アークって言っていたっけ……。元気にしているかな)
そんなことを考えながら、王子のことを目で追い掛ける。興奮して彼に群がる周囲の女性たちとは異なり、場違いな所にいることを自覚している私は、専ら客観的に彼を観察していた。……とにかく、この場に来たことで義務は果たしたのだから、後はしばらく彼を遠巻きに見てから、家に帰るだけだ。できることなら、少しでも、あのテーブルの上の美味しそうな料理を口にしたいところだったけれど。
どうやら、アーディン王子は、あまり女性に囲まれるのが好きではないように見えた。この舞踏会は王子自身が希望したものなのか、定かではない。けれど、微笑みは浮かべているものの、それは無理矢理に貼り付けたような笑みだった。
勢い込んで王子に突進し、全力の笑顔を見せる女性たちと、それに一歩引き気味に何とか顔に笑みを貼り付けている王子。
何とも言えないその様子を観察しているうちに、ふと王子がこちらを向き、彼と目が合ったような気がした。
しかし、王子は私を見た途端に、貼り付けていた笑顔さえ忘れたように、驚いた様子で、凍りついたような表情のまま固まってしまったのだった。