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エリックの動揺

長く続いている広い廊下を何度か折れてから、第一王子のエリック様は、私を振り返ると声を掛けた。


「貴女のことは、アーディンではなく、私の客人として王宮に招いた扱いにしています。貴女が首にかけているそのペンダントは、私の客人であることを示す、王宮内の通行証のようなものだと考えてください」

「は、はい」


私に軽く微笑んだエリック様を見て、私はまだ状況が掴めずに戸惑っていた。


(この前アーディンに会った時、私に頼みたいことがあると言っていたけれど。どうして、アーディンではなく、エリック様が私をここに招いてくださったことに……?)


考えてもよくわからないままに廊下を歩いていると、エリック様がある古めかしい扉の前でようやく足を止め、その扉をノックした。


「……兄上ですか?」


聞き慣れた声が部屋の中から聞こえ、私は思わずほっと胸を撫で下ろす。


「ええ。ローザ様も一緒ですよ」


エリック様が扉を開くと、アーディンがソファーから立ち上がり、こちらに向かって歩いて来るところだった。


アーディンは、扉の先にいた私たちを見て一瞬表情を固くすると、エリック様に若干冷たい視線を向けた。


「……兄上。ローザの出迎えは、確かに兄上に譲りましたが。いくら兄上でも、もしローザに手を出したら、俺は黙ってはいませんよ?」


私は、アーディンの視線の先を辿ると、まだエリック様と右手を繋いだままになっていたことにようやく気付き、慌ててその手を解いた。エリック様は、何事もなかったかのように、アーディンに穏やかな笑みを浮かべた。


「そんなに怖い顔をしないでくださいよ。アーディンからローザ様のことを聞いて、早く会いたいとはやる気持ちを抑えられなくてね。……それに、アーディン、ローザ様は貴方から聞いた通りの方のようですね。彼女に触れると、それがよくわかります。いや、実に興味深いですね」


エリック様の瞳が興奮気味に輝いているのを見て、アーディンは苦笑した。


「まあ、そんなところは兄上らしいと言えば、らしいですけどね」


それから、アーディンは、さっきまで私がエリック様と繋いでいた右手を、その両手で包み込むように握った。彼はようやく私に向かって、柔らかな笑みを向けた。


「……ローザ、君が無事にここに到着してよかったよ。まずはそこに掛けてくれ」


私は頷くと、アーディンが目で指し示した、エリック様の向かいのソファーに腰を下ろした。私の横に、一緒にアーディンも腰掛ける。


ソファーの横に控えていた男性が、私に一礼してから、ソファーの前にあるテーブルに、紅茶の準備をしてくれた。紅茶の芳しい香りがふわりと部屋に満ちると、私は、高ぶっていた神経が少しずつ落ち着いてくるのを感じた。

アーディンは、紅茶を淹れ終わった男性を手招きした。


「彼は、俺の側近兼護衛のカイルだ」


カイルと呼ばれた男性は、私の前まで歩み出ると、恭しく頭を下げた。


「私はカイルと申します。以後、お見知りおきを」


私は慌ててソファーから立ち上がると、彼に頭を下げた。


「初めまして、私はローザと申します。こちらこそ、よろしくお願いします」


彼は、私を真っ直ぐに見ると、穏やかに微笑んだ。さらりと流れる黒髪に、同色の黒曜石のような瞳が落ち着いた雰囲気を醸し出していた。誠実そうな彼からは、どことなく物静かな印象を受ける。


「先日の舞踏会で、ローザ様のことをお見掛けしてはおりましたが、お話しするのは初めてですね。アーディン様から、貴女様のお話は伺っております」


アーディンが、カイル様を見ながらその言葉を継いだ。


「君のことを俺から話しているのは、ここにいるエリック兄上とカイル、そして、俺のもう一人の側近だけだ。もう一人の側近は、また改めて君に紹介するよ。……こんなことはあまり言いたくはないが、この王宮で完全に信頼できるのは、彼らと俺だけだと思っていてくれ」

「それは、どういうこと……?」


王宮は、さすがに安全な場所なのではないかと思っていた私が首を傾げると、今度はエリック様が口を開いた。


「残念ですが、言葉通りの意味です。ローザ様は、この国には八人の王子がいることは知っていますね?」

「はい、もちろん存じております。……あの、私のことはローザと呼んでいただければ結構です」


エリック様は頷くと、言葉を続けた。


「では、これからは貴女をローザと呼ばせていただきますね。貴女の横にいるアーディンがこの国の後継に選ばれたことも、当然知っていますよね? けれど、末子の彼が王位を継ぐことを、未だに快く思っていない者がいることも確かです。表面的には笑顔を装っていても、肚の中では何を考えているかわからない。だから、王宮内で出会った者を安易に信用するのは危険なのですよ。

もちろん、全員が全員、悪意のある者という訳ではありませんが、そのような者がどこにいるかはわかりません。ですから、基本的に、ローザには皆を疑ってかかるくらいの気持ちでいて欲しいのです」


すうっと、背筋が冷たくなるような心地がした。表情を固くした私を慮るように、アーディンが気遣わしげな視線を向ける。


「今回、ローザを兄上の客人という形にしたのも、君の身の安全を守るためだ。兄上は、魔術院を束ねる立場にある。背後に魔術院がついていて、しかも第一王子である兄上には、他の者たちもなかなか手が出し辛い。……まあ、あくまで相対的にはという話で、さっき話した通り、それでも注意は必要だがな。

それに君は、まだ俺と婚約している訳でもないし、今の俺の立場では、悔しいが、君をここに招いて守るための正当性に欠けてしまう」

「そういうことだったのね……」


ようやく状況を理解した私のことを、エリック様が真正面から見つめた。


「ただ。ローザ、貴女が私の客人というのは確かですが、それは名目上だけではありません。実際、貴女には、魔術院を統括する立場にある者として、私から頼みたいことがあります。……この依頼は、私の為だけではなく、アーディンの為にもなるものです。ひいては、この国の為にも、ね」


アーディンも、エリック様の言葉に頷いている。アーディンが私に頼みたいことがあると言っていたのは、エリック様が今話しているこのことを指すのだろう。深刻そうな話の気配に、私は胸の中で不安が首をもたげるのを感じながら口を開いた。


「はい、私にできることであれば。あの、どのようなことをお手伝いすればよろしいのでしょうか?」


エリック様の視線が鋭くなる。


「迷いの森を案内して欲しいのです。貴女なら、何の問題もなく、迷いの森の中を自由に動き回ることができるでしょう。私の理解は合っていますか?」


私はやや拍子抜けして、こくりと首を縦に振った。


「はい。そんなことであれば、お安い御用です。一応、念のための確認なのですが。エリック様とアーディンであれば、迷いの森の動物たちに手を出すことはありませんよね?」

「それは保証します。迷いの森で、とある稀少な動物を探しているのですが、傷付ける目的ではまったくありませんから、そこは安心してください。……魔法を使える者を何人も使ったのですが、探索にはかなり難儀していましてね。まだ迷いの森で目的の動物を見付けることができてはいないのです。それがどのような動物なのかや、探している理由は、また追って説明します」

「わかりました。それから、あのう。……もう一つ、伺っても?」

「ええ、もちろん」


私は、内心で抱いていた疑問をそのまま口にした。


「迷いの森には、一度足を踏み入れると迷ったり、なかなか出られなくなってしまったりという話は、確かに一般にはよく聞くのですが。……魔術院を束ねる立場にあるエリック様のような方でも、そのように仰られるほど、迷いの森に入るのは難しいことなのでしょうか? 私も、単に幼い頃からの慣れで、迷いの森の中を動けているような気もしますし。それに、私の知り合いには、迷いの森に住んでいる人もいるので……」

「何だって!?」


思わずといった様子で大声を上げたエリック様は、アーディンと驚いた表情で目を見合わせていた。

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