王子の噂
私のクローゼットには、一目で見渡せる程度の服しか入っていない。
仕事で使っている上下三着ずつの普段着と、簡素なワンピースが二着。うち一着の青いワンピースは、何とか舞踏会でも見れなくはないもののように思われた。
そのワンピースを取り出して、虫食いやほつれがないことだけを確認し、クローゼットに戻す。
「……これで、明日の夜の準備は完了っと」
図らずも、家を出るまでに時間ができた。せっかくなので、今後身を立てるため必要な薬草を、迷いの森に調達しに行くことにする。
梯子を降りて養父の娘、アリエッタの部屋の前を通ると、アリエッタの金切り声が聞こえて来た。
「ああ、王子様に見初められるチャンスだわ! 明日のドレスは、どれにしようかしら。ネックレスの宝石は、ドレスの色に合わせないと……。こんなに急な御触れだなんて、時間がないわ!」
養母の声も漏れ聞こえて来た。
「アリエッタなら、王子様の目に留まるのも夢ではなくってよ!
このレースがたっぷりあしらわれた絹のドレスはどう? これに合うネックレスは……」
普段は私のことにやけに細かな指摘をしてくる養母と義妹だけれど、これほど興奮していれば、私の家出の準備にも気付くまい。
私は一人頷くと、玄関の扉を開けて迷いの森の方角に向かった。
と、家を出てすぐに、
「ローザ!」
と聞き慣れた高めの可愛らしい声が聞こえた。ニ軒隣に住む友人のエレナだ。エレナは頬を上気させて私に近寄った。
「ねぇ、ローザも聞いているわよね! アーディン王子の結婚相手を探す舞踏会のこと。ローザもこれから準備をするために、買い物にでも行くところ?」
私は首を横に振った。
「私は薬草を取りに、迷いの森に行くところよ」
私の返事を聞いたエレナは、呆れたように口を開いた。
「相変わらずねぇ、ローザは。……今、国中がこの話題で持ちきりよ。それに、考えてもみてよ。この国の未婚の女性、全員に舞踏会に参加しろってことの意味、わかる? ……普通は、高位貴族のお嬢様にしか、王子様のお相手になるチャンスはないじゃない。けど、これは逆に、身分が高くて既に王子様のお知り合いの女性以外から結婚相手が選ばれる、そういう可能性もあるんじゃないかって。
……王子様は誰かを探してるって噂もあるわ。あのアーディン様を間近で見れるだけでも、凄く貴重よ! それはそれは整った美しいお顔立ちをしていらっしゃるのよ。舞踏会でお城に入る機会だって滅多にないし、楽しみね!」
私はエレナの顔を見つめ、曖昧に微笑んだ。
「そういう話に詳しいのね、エレナは。……そうね、お城に入る機会なんて、なかなかないわよね」
どちらかというと、着飾った女性たちの中で、質素なワンピースで行くほかない自分には憂鬱でしかないのだけれど、きっと妙齢の女性たちは、明日の夜の舞踏会に浮き足立っているのだろう。
そして、街に行くというエレナと手を振って別れ、私は迷いの森へと出掛けた。迷いの森では希少種の薬草の群生地を見つけ、私はほくほくしながら家に帰った。