眠れぬ夜
アーディンの背中が見えなくなってからも、私は呆けたように、彼が立ち去った方向に目を向けたまま、しばらく立ち尽くしていた。
ランスが厩の窓から私の方に首を伸ばしたのに気付いて、私はようやくはっと我に返った。ランスの首元を一撫でしてから、私はふらふらとした足取りで屋敷に戻った。
***
玄関を潜ると、ジュリアン様がちょうど階段を下りてきたところに出くわした。彼は私を見ると、その整った顔を綻ばせた。
「こんな夜中に、外に出ていたの?」
「はい。ランスの様子を見に行っていたんです。それから、アーディンにも会いました。……ジュリアン様は、アーディンと知り合いだったんですね?」
「ああ、そうだよ。さっき僕のところに来たかと思ったら、彼はもう君に会いに行ったのか……」
苦笑を浮かべるジュリアン様に、私は尋ねた。
「アーディンには、私がここにいるとジュリアン様が伝えたのですか?」
「いや、アーディン王子には久し振りに会ったばかりだ。彼が君を探しにここに来たんだよ。……アーディン王子は言っていたよ。『ランスがここにいるだろう、それならローザもここにいるんだろう』ってね」
「……?」
訝し気な顔で首を傾げた私に、ジュリアン様は口を開いた。
「アーディン王子から聞いてはいなかった? 君が見付からないから、君が乗っていたあの黒いユニコーン、ランスを探したと」
「私が、見付からない……?」
戸惑う私に、ジュリアン様が頷いた。
「アーディン王子は、この前開かれた舞踏会の前からも、長いこと君を探していたらしい。彼は、魔術院を統べる立場にある第一王子のエリック様とも懇意にしている。無論、魔法を使える能力者も使って君を探し出そうとしたようだ。まあ、あまり大っぴらに君を探すと、君を危険に晒す可能性があるから、あくまで秘密裏にだろうけれどね。……どんな能力者を使ったのかは僕にはわからないけれど、なぜか君は見付からなかったそうだ。まるで魔法の網目をかい潜るようにね。アーディン王子は当時、見付からない君に相当焦ったようだよ」
「……」
よくわからないけれど、魔法でランスは見付かるのに、私が見付からないなんていうことはあるのだろうか。私には皆目見当がつかなかった。
解せずに目を瞬いていた私を、何かを考えるような表情で見つめていたジュリアン様は、私の顔を覗き込むようにすると、少し眉を下げた。
「どうしたの、ローザ。……顔が赤いようだよ。熱でもあるの?」
「い、いえ。何でもありません。熱もないですし、大丈夫です」
「……本当に?」
慌てた私になおも心配そうに近付いてきたジュリアン様は、私の後頭部にそっと手を添えると、彼の額をこつりと私の額に当てた。
「……!?」
彼の長い睫毛と、その奥に光る美しいアメジストの瞳のあまりに近さに固まった私に、彼はほっとしたように微笑んだ。
「よかった、熱はないみたいだね」
彼の額が私から離れる。そのとき、なぜか私は、遠い記憶の中で同じようなことがあったような気がした。やはりこのような至近距離で、美しく澄んだ紫色の瞳を見たような……。
まだ近い距離にある彼の顔を、私は不躾なほどにまじまじと見つめた。白く透き通った肌。艶のある流れるような黒髪に、大きなアメジストの瞳。彼のその色彩と、女性と見間違えてもおかしくないほどの中性的で繊細な美貌は、私の知っているある面影と重なった。
「まさか、ジュリアン様。あなたは……ジュリィ?」
「……ようやく気付いたみたいだね、ローザ」
幼い頃、私の隣人だった美少女、いや、ずっと少女だと思っていたのは……。当時は長い髪を緩く後ろで束ねていたし、声も高くて、女の子にしか見えなかったのだけれど。
一緒に傷付いた動物の治療を手伝ってくれたこともあったし、アーディンが私と同じ家に住んでいた時にはアーディンと三人で遊んだこともあった。
くすくすと笑う彼の両肩を、私は両手で揺さぶった。
「もう! どうして、今まで教えてくれなかったんですか? 私のこと、もちろん気付いていたんですよね、ジュリアン様?」
「ジュリアンでいいよ。……でも、君は、幼馴染みの顔さえ見ればすぐにわかるはずだと言っていなかったかい?」
「それは……」
図星だったのでぐっと言葉に詰まった私に、彼はなおも肩を震わせて笑いながら言った。
「僕のこと、やっぱりずっと女だと思ってたんだね。……でも、もう僕は君の幼馴染みには見えないでしょう? 僕は君に、幼馴染みとしての色眼鏡を通してではなくて、一人の男性として僕を見て欲しかったから、今まで言わずに黙っていたんだよ」
私は黙って頷いた。私が探していた幼馴染みが彼だとようやく気付いたとはいえ、もう私にとって、彼は一緒によく遊んだ隣人ではなく、一人の麗しい貴族の青年にしか見えなくなっていた。
彼は、急に真剣な顔になって私の瞳を見つめた。
「ローザ、僕も君を探していたんだ。君から手紙をもらったとき、君が無事に生きているとわかって心底嬉しかった。そして、僕を頼ってここに来てくれたときもね。……僕としては、アーディンにも、それにもちろんオリヴァーにも、君を渡したくはないんだ」
「えっ、ジュリアン……?」
思い掛けない言葉に、目の前がちかちかする。
ジュリアンは私の髪の毛を優しく撫でると、そのまま動けずにいる私の背中に両手を回して柔らかく抱き寄せた。呆然とする私の肩に彼はその顎をこてりと乗せると、耳元で囁いた。
「僕は、必ずこの家の跡取りとしての地位を勝ち取るから。そうしたら、改めて君に伝えたいことがあるんだ。……王妃になんてなるよりも、君はずっと自由になれるよ?」
彼の言わんとすることがわかって、胸の鼓動が速くなる。ジュリアンは最後に少し腕に力を込めてから、私を解放してくれた。
「それじゃあおやすみ、ローザ」
艶のある美しい笑みを私に向けてから、彼は自室へと戻っていった。
(いったい、今日はどうなっているの……)
心臓が飛び出してしまいそうな、慣れないことの連続に、頭の中が沸騰しそうだった。
よろよろと部屋にたどり着いた私は、ぼふりとベッドに倒れ込んだけれど、混乱にぐるぐると回る頭のせいでなかなか寝つくことが出来ずに、ベッドの中で頭を抱えることになった。




