アーディンの依頼
オリヴァー様と久し振りに再会した日の夜、私はランスの怪我の様子を見るために厩に来ていた。
首筋の傷はもう塞がってはいるけれど、くっきりとした傷痕が残ってしまっている。
「ごめんね、ランス……」
呟いた私の顔に、ランスはそっと鼻を寄せた。私を覗き込む澄んだ彼の瞳を見つめ返して、私は彼の鼻先を撫でた。
元気そうなランスの様子に、とりあえずはほっと胸を撫で下ろした。金色の鷲テラが回復して、ジュリアン様の跡目争いを見届けたら、私はランスとここを出て行くことになるだろう。
私は、飛び抜けて優秀なことがわかったオリヴァー様のことを思い返しながら、今度彼に会ったら、彼の力を借りられないかと考えを巡らせていた。もしかしたら、オリヴァー様なら、私が養父母の家に引き取られてから不審に思って調べていたことについて、何か知っているかもしれない。
……私が調べていたこと。それは、父と母が亡くなってから、私がなぜあの養父母の家に引き取られたのかということだった。遠縁といっても、父と母が事故で他界するまでは彼らに会ったことすらなかった。そして、父の兄弟の配偶者のさらに血縁者という、直接の血の繋がりすらない養父母が、私を引き取った時から、私のことを好ましく思っていなかったのは明らかだった。
私の両親は突発的な事故で他界した。だから、私のことを前もって誰かに依頼していたなどと、そういうことはあり得ないし、当然遺言状なども残されてはいない。調べたけれど、両親は生前、養父母との手紙などのやり取りすらも一切なかったようだ。
私の心の中でもやもやと揺蕩っていたその疑問がはっきりと形作られたのは、私が養父のある言葉を聞いてしまったからだった。
「ローザを引き取ったあの時、確かに金にはなったが……」
私は部屋の中から漏れ聞こえてきたその養父の声に、思わず息を飲んだ。私の両親にはほんの少ししか蓄えはなかったし、それはすべて私に遺されていた。つまり、私を養父母が引き取ることで、彼らに金を払った人物が何処かにいたということだ。
それは誰が、何のために。どんな理由が背景にあったのか。
両親の事故は不慮のものだと信じていたけれど、……今でも信じてはいるけれど、その理由によっては、恣意的な可能性も排除できない。背筋にすっと冷たいものが下りた。
養父母の家にいる間に調べてみたところ、私と養父母とを繋ぐもの、それは、遠縁に当たるということのほかは、薬に携わっているという共通点しかなかった。私が迷いの森の側に住んでいて、薬草の知識があるということを、養父母が元々知っていたのかどうかも、それが偶然のことなのかもわからなかったけれど、ほかには、調べても何も出て来なかった。血縁者とはかなりの距離を置き、迷いの森の側という辺境の地に落ち着いていた両親の元で育った私の境遇では、両親を亡くした時に孤児院にでも引き取られるのが、きっと自然な流れだっただろう。
その後養父に探りを入れたけれど、彼は決して口を割ってはくれなかった。
それ以上は調べても具体的なことはわからなかったし、私を引き取ったことに対価が支払われる理由もさっぱりわからず、手詰まりになっていたのだ。
……私に手を貸してくれそうで、しかも私の探す人物に心当たりのありそうな人は、今のところオリヴァー様しか思い当たらなかった。
元からの知り合いという意味では、アーディンにも可能性は考えられるけれど、彼は私の居場所がわからず探したと言っていた。実際に、彼が私を見付けたのも最近催された舞踏会でだったのだから、やはり彼は養父母に金銭を支払った人物ではあり得ないし、当然、そんな背景の事情を知っているはずもない。
私は溜息を吐いて、厩の窓から半身を乗り出して空を見上げた。
澄んだ夜空は明るい上弦の月が照らしていて、淡く光る星々は月明かりにうっすらと霞んで見えた。
(……アーディン、元気にしているかな)
アーディンを迷いの森で見付けたのは、今日のように月の明るい晩だった。ただ、違ったのは、月明かりに負けぬほど眩い星がたくさん流れていたことだろうか。
それまで、流れ星は空を駆けるものだと思っていたのだけれど、あの日はまるで森に直接降り注ぐかのように、流れ星がすぐ側でちかちかと光っているようだった。
あの日もランスの背に乗って宵闇の中を進んでいたら、迷いの森から出る直前に、木の根元に仕掛けられた罠の中、流星に仄白く照らし出されたのが、華奢で小柄で、まるで妖精のように見えたアーディンだった。
すっかり立派に成長した王子となって私の目の前に現れてから、好きだと言ってくれたアーディンの真剣な瞳が目に浮かび、私の頬はほんのりと熱を帯びた。
……私はあの時、彼から逃げ出してしまったけれど。でも、アーディンがずっと私を想い続けてくれていたという、その気持ちは素直に嬉しかった。真っ直ぐに私を見つめるあの眼差しは、昔一緒に過ごしていた幼い日の彼から、少しも変わってはいなかった。
自分の行動を悔いてはいないものの、残していった時の彼の顔を思い出すと、罪悪感で心がちくりと痛む。
その時、視界の端で庭の植木がかさりと動いた。思わずびくりと身を竦め、私は暗闇にじっと目を凝らした。
「ローザ」
ひらひらと手を振りながら近付いて来たのが、ちょうど今しがたまで思いを馳せていたその人だとわかり、私はひどく驚いた。
「えっ、アーディン……? どうして、ここに」
「君に会いに来たに決まってるだろう。そこにいるのは、ランスかな?」
ランスが、アーディンの声に私の横から顔を覗かせた。アーディンは、微笑みを浮かべてランスの鼻面を撫でた。
「久し振りだな。……俺のこと、覚えてるのか」
肯定を示すように、ランスはアーディンに鼻を鳴らした。昔、アーディンもよく私と一緒にランスの背に乗っていたことを思い出す。
「……お前が、ローザを俺から連れ去るとはな。してやられたよ」
「私が勝手にランスを呼んだのよ。ランスのせいじゃないわ」
「ああ、それはわかってる」
ランスに温かい目を向けて、その首筋を軽く叩いてから、アーディンが答えた。
「あの、アーディン。……ここに勝手に入って、大丈夫なの?」
「勝手にじゃない、ジュリアンの了承は取ってある」
「えっ……。ジュリアン様とアーディンって、知り合いだったの?」
アーディンは驚いたように私を見て数回目を瞬かせると、眉を下げて何かを呟いた。
「まさか、気付いていないのか。あいつも不憫だな……」
「……今、何か言った?」
私が首を傾げると、アーディンは首を振った。
「いや、こちらの話だ。何でもない。……ああ、ジュリアンと俺は古い知り合いだよ」
アーディンはそれからしばらく口を噤むと、私の目を真剣な表情で見つめた。
「この前は、すまなかった。俺も焦り過ぎていた。いきなり結婚なんて言われて、ローザも驚いただろう。君の気持ちも考えずに、悪かったと思っているよ。
……言い方を変えよう。君の力を借りたいんだ。君の気持ちが固まるまでは、結婚云々は置いておくと約束するから、王宮に来てもらえないだろうか。もちろん、ランスと一緒で構わない」




