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敵意ある視線

テラに向かって微笑むオリヴァー様に、私は唖然として呟いた。


「テラが、警戒してない……」


この傷付いた金色の鷲は、私の見る限り、かなり神経質で警戒心が強い。初めて見る人に容易く懐くようには見えなかったのに、オリヴァー様には気を許しているのか、はじめから触れられても嫌がる素振りがまったく見られなかった。


ジュリアン様も同じことを思ったようで、不思議そうに首を傾げてオリヴァー様に問い掛けた。


「オリヴァー、君って、こんなに動物に好かれる性質たちだった……?」


オリヴァー様はくすりと笑った。


「動物だって、人を見てるんだよ。僕が悪意ある人間じゃないってわかってくれたんじゃない? ……この子、賢いね」


まだどこか解せない様子のジュリアン様だったけれど、諦めたように首を横に振ると、またオリヴァー様を見つめた。


「で、君はどんな用事でここに来たんだい?」

「つれないな、君は。友人がどうしてるかと思って、ただ顔を見たくなったんだよ」

「……君はそういう人じゃないだろう。見え透いた嘘を吐かなくてもいい。本当の目的は何だい?」


オリヴァー様は軽く溜息を吐いた。


「まったく。僕が君に会いたかったのは本当さ。まあ、君の予想通り、実は君の父上に招ばれていてね……」


その時、まるで見計らったかのように、控えめに部屋のドアがノックされた。ジュリアン様がドアを開くと、先ほどドアの向こう側に見掛けたのと同じ、執事と思しき男性が丁寧に頭を下げている。


「ご歓談中、失礼いたします。お茶の準備が整いました。旦那様ももうすぐお見えになります、よろしければ席をお移しいただけませんでしょうか」


オリヴァー様が彼の言葉に頷いた。


「ああ、今伺うよ。……それじゃあ、またね。ジュリアン、ローザ」


私たちを振り返ったオリヴァー様が一旦言葉を切るのを待って、執事の男性は私たちに視線を向けた。


「旦那様は、ジュリアン様と、そちらにいらっしゃるローザ様もお呼びです。差し支えなければ、ご一緒にお越しいただけますか?」

「えっ、私も……ですか?」


ジュリアン様ならわかるけれど、なぜ私もなのだろうか。驚いた私に向かって、彼は穏やかに頷いた。


「ええ、左様でございます。さあ、こちらへ」


***


執事の男性の後について、ジュリアン様、オリヴァー様と一緒に応接間に入ると、間もなく一人の男性が、侍女にゆっくりと車椅子を押されながら入って来た。

落ち着いた雰囲気のその車椅子の男性は、ジュリアン様とよく似た澄んだ紫色の瞳に、穏やかな色を湛えている。ただ、少しやつれて見えるその顔色は青白く、焦茶色の髪には艶がなかった。


(ジュリアン様は、お父上は病に伏せっていると仰っていたけれど。やはりあまりお身体の具合は芳しくないようね)


ジュリアン様が少し眉を下げ、気遣うように口を開いた。


「父上、お身体の調子はよろしいのですか?あまり、ご無理をなさらないほうが……」

「いや、今日は大分調子が良いよ。そこの君かな、粉薬を調合してくれたのは。礼を言わなければと思っていたんだ。どうもありがとう」

「…いえ。心ばかりですが、少しでもお身体の具合が良くなられたのでしたら何よりです」


ジュリアン様のお父上に急に微笑みを向けられ、たどたどしく私は頭を下げた。もしよかったらお父上にと、粉末にしたリヴル草をジュリアン様には渡していたけれど、貴族様なら既に高価な薬も服用しているはずだった。どこの誰かもわからない私が調合した薬を、信頼して服用してくれていたという事実に、少し驚いてもいた。


そして彼はオリヴァー様の方を向くと、右手を差し出してにこりと笑った。


「久し振りだね、オリヴァー。君の父上……レイノルズは、元気にしているかい。随分と忙しいようだと聞いているが」


オリヴァー様は、柔らかい表情で彼の手を握り返した。


「ええ、父はお陰様で元気です、エドワード様。忙しいのは確かですが、近いうちにエドワード様にお会いしたいと申していました」

「ほう、そうか。それは楽しみだな。……それにしても、親友の倅がもうこんなに大きくなったとは、時間の経つのは早いものだな。君がまだ小さかった頃が、まるで昨日のことのように思い出せるよ」


彼は改めてオリヴァー様の姿を見つめて目を細めると、その場の全員に椅子を勧め、自らも車椅子のまま、広いテーブルを囲んだ。

執事の男性が、それぞれの前に熱い紅茶のカップを置いていく。湯気から漂う紅茶のよい香りがふわりと辺りを包んだ。


エドワード様は紅茶を一口飲んで口を潤すと、カチャリとカップを置いてオリヴァー様を見つめた。


「今日君を招んだのは、他でもない、親友の息子である君に、ジュリアンのことを頼みたかったからだ」

「……父上?」


エドワード様の言葉に驚いたように、思わずジュリアン様が声を上げた。そんなジュリアン様に優しい視線を投げてから、エドワード様は続けた。


「君のロイス家と我がオルレーヌ家は、長きに渡って良好な関係を築いてきた。……ジュリアンがこの家に来てからもう大分経つが、まだ反目する者もいない訳ではない。ロイス家を継ぐ君も、ジュリアンを支えてやってもらえないだろうか。

私もこんな身体だ、いつ何が起きてもおかしくはない。私の目が黒いうちに、ジュリアンの基盤を盤石にしておきたいのだよ」


オリヴァー様はふっと笑みを零した。


「エドワード様に言われなくとも、当然ですよ。僕たちは気のおけない友人ですし、僕もオルレーヌ家の跡取りとしてはジュリアンしかいないと思っています。……ただ、仰る通り、どうもそれにご不満な方もいるようですね」


オリヴァー様は、ドアの脇に立つ執事の男性に目で合図を送った。

彼がドアを開けると、さっき文句をつけに来たジュリアン様の叔父上が、慌てたように目を見開いている姿があった。きっと、ドアの外で聞き耳を立てていたのだろう。


エドワード様が鋭い目つきで彼を見る。


「そんなところで何をしている、マテオ」


彼は顔を真っ赤にすると、怒りに声を震わせながら、彼の兄であるエドワード様を、そしてジュリアン様を睨み付けた。


「なんで、こいつが跡取りなんだ!こんな、下賤な血が混ざった奴より、俺の方がよっぽど相応しいでしょう、兄上。……俺は、認めません」


エドワード様は溜息を吐いた。


「家の金を使い込んでいるお前が、どの口でそれを言うんだ。私が普段寝たきりだとは言え、お前が好き勝手にやっているのを知らないとでも思ったか。今までは、見て見ぬふりをしてきた部分もあるが……お前にこの家を継がせたら、お前の代できっとこの家は潰れるだろう。母上も、年の離れた末子だからと、お前を甘やかし過ぎたようだな」

「……!」


きっと図星だったのだろう、今度はマテオ様の顔が青ざめている。

エドワード様は、思案気に視線を宙に浮かせると、ゆっくりと口を開いた。


「ただ、お前の気持ちはわからない訳でもない。お前は曲がりなりにも魔術院を出ているし、父上と母上が存命の時には、お前にそれなりの期待もしていたのだからな。……後継ぎ争いに禍根を残すのも何だ。では、こうしないか」


エドワード様はおもむろにポケットに手を入れると、銀色の小さな笛を取り出し、それを窓の方向に向けて吹いた。

ピーッと言う高く澄んだ音が、窓の外に吸い込まれるように消えていく。その音に呼応するかのように、すぐに風を切るような羽音が窓の向こう側から聞こえて来た。


その羽音の持主は、窓からひらりと部屋に入ると、エドワード様が身に付けたグローブの上に舞い降りた。

それは、見事な金色の翼を持った鷲だった。大きく立派なその身体は輝かんばかりで、その瞳は茜色に光っている。


その場の皆が息を飲んで成り行きを見守る中、エドワード様は薄く笑った。


「オルレーヌ家の者が、この家の象徴であり、家紋にもなっている金色の鷲と心を通わせられるというのは、本当の話だ。この通り、な。……マテオ、お前は幼かったから知らないだろうが、私もこの鷲に選ばれたのが決め手となって、この家の家督を継いだのだよ。

そこで、だ。お前たちのうち、金色の鷲が心を許した方を後継と認めよう」

「そ、そんな決め方は、卑怯だ! 今この家にいる鷲は、俺には見向きもせず、なのにジュリアンからは餌を食べ出しているというじゃないか。そんな不公平な状況から始めるなんて……」


食い下がるマテオ様に、エドワード様は厳しい視線を向けた。


「そうだとすれば、それはお前がこの家の次期当主に相応しくないということだろう。それに、金色の鷲は、見てわかるように一羽だけではない。この家で保護されたという鷲以外に、金色の鷲を探しても構わないし、探す手段は問わない。……良いな?」


マテオ様は不満そうに舌打ちをしたけれど、言葉を飲み込んだようだった。


エドワード様はオリヴァー様に顔を向けた。


「君は、魔術院を首席で卒業したそうだね。ぜひ君にも、後継を判断するその場に立ち会ってもらえないだろうか」


(あの魔術院を、首席で……? 凄いわ)


オリヴァー様は、昔から頭が切れる印象だったけれど、まさか魔法の腕もそれほどだったとは。


オリヴァー様は目に楽しそうな光を宿して、両の口角を上げた。


「ええ、喜んで参加させてもらいますよ。……面白くなりそうですね」


マテオ様は、ジュリアン様をひと睨みしてから身を翻すと部屋を出て行った。ジュリアン様は緊張気味の面持ちだったけれど、エドワード様の言葉に頷く。


「父上がそう仰るのであれば、僕は従います」


エドワード様は、ジュリアン様を見つめて満足気な笑みを浮かべた。


***


その頃、速足で王宮内の廊下を歩いていたアーディンに、威厳ある佇まいの一人の男性が声を掛けた。


「アーディン、そんなに急いでどうしたんだ、お前らしくもない。……聞いたところによると、先日開かれた舞踏会は、なかなかに混乱したようだな」


込められた皮肉を意にも介さないように、アーディンは微笑んだ。


「ええ、そうですね、兄上。……目的は達したので、俺は満足していますが。では、俺は急ぎの用事がありますので、これで失礼します」


早々に話題を切り上げて去って行くアーディンの背を、彼は睨み付けた。


(まったく、可愛げのない奴だ)


その手は爪が食い込むほどに握り締められていた。


……末端の第八王子であるあいつが王位を継承できる可能性など、他の後継ぎが皆揃って身罷りでもしない限りは、ゼロに等しいはずだった。


それなのに、あいつの命を狙った日が、この王家の守護獣の誕生を知らせる「星降る宵」に重なってしまうとは。しかも、星が降ったのは、あろうことか、あいつが命を落とすはずだった迷いの森だった。

一つだけわかっていることと言えば、あの日に、迷いの森であいつに想定外の何かが起こったのだろうということだけだ。


(くそっ。こんなことになるなんて……。あれは、言うなれば事故だ)


奥歯を悔しそうに噛み締めた男性の目には、冷酷な光が浮かんでいた。

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