訪問者
ジュリアン様の叔父だという男性を見送った直後、彼の出て行ったドアが今度は遠慮がちにノックされた。
「……今日は何だか慌ただしいね」
ジュリアン様は少し苦笑すると、ドアに向かって歩いて行った。ドアを開いた先には、髪に白いものが混ざった壮年の執事と思しき姿がある。
彼は上品な仕草でジュリアン様に頭を下げると、口を開いた。
「ジュリアン様、ロイス家の坊ちゃんがお見えです。お通ししてもよろしいで……」
執事の男性が言い終わらないうちに、ドアの影からひょっこりと長身の男性が顔を覗かせた。その男性は、ジュリアン様に向かってくすりと笑い掛けた。
「やあ、ジュリアン。何だか面白いことになってるみたいだね。盗み聞きするつもりはなかったんだけど、漏れ聞こえてきてさ……。あの人も相変わらずだよなあ」
ジュリアン様の叔父が立ち去った方向をちらりと振り向いた彼に、ジュリアン様が溜息を吐く。
「君も相変わらずだよ。いつも遠慮のかけらもないんだから……」
彼はジュリアン様の言葉を意に介さずに明るく笑った。
「ま、君と僕の仲じゃないか。へえ、さっき話していた金色の鷲っていうのは、あそこにいる……」
そこまで話した彼は、テラをちらりと見てから、その横にいた私の姿を認めて、驚いたように目を見開いた。なぜかいきなり破顔した彼は私のところに駆け寄って来て、そのまま私の両手を握り締めた。
「えっ……!?」
思わず目を白黒させる私に、彼は一度私の両手を離すと、今度は私の両肩を彼の両手で捕まえ、彼の顔を私の顔に近付けて、私の瞳を見つめた。栗色の少しウェーブした艶のある髪に、明るい空色の瞳をした、甘い顔立ちの爽やかな彼に、私は状況が掴めないまま、おずおずと口を開いた。
「あの。どちら様でしょうか……」
「……残念だな。ローザは僕のこと、忘れちゃった?」
「えっ? どうして、私の名前を……?」
私は彼のことをじっと見つめた。記憶の底を探ると、それほど知り合いの多い方ではない私の頭の中に、目の前の彼と同じ髪と瞳の色をした人物で、一人だけ思い当たる人物がいた。
「もしかして、オリヴァー様……?」
目の前の彼がにこりと嬉しそうに微笑む。
「正解。よくできました」
オリヴァー様は、大きな薬の商会を営む貴族の長男で、私は昔、両親に連れられて時折彼の屋敷を訪れることがあった。私の両親が営んでいたような、吹けば飛ぶような小さな薬屋が相手にしてもらえるような相手では本来はないのだろうけれど、迷いの森でしか入手困難な珍しい薬を扱う両親は、彼のところの商会の依頼を受けて、時々薬を卸していたようだ。
両親について行った彼のお屋敷は、それはそれは大きくて、両親が仕事の話をしている時に、ついふらふらと屋敷内に入り込んでしまい迷子になった私を見つけ、手を差し伸べてくれたのがオリヴァー様だった。
どこを走っても曲がっても、ずっと続く広くて長い廊下と、見分けのつかない豪華な装飾に、いったいどこから来たのかと半べそをかいていた幼い私に、オリヴァー様は優しく声を掛け、両親の元へと連れて行ってくれた。
それ以来、彼のお屋敷に行くと、彼が私の相手をしてくれるようになった。いつの日からか、彼の姿が屋敷に見えなくなって淋しく思ったものだけれど、彼と会うのはそれ以来だ。
……そして、幼い頃は優しいお兄さんという記憶しかなかったけれど。目の前のオリヴァー様は、すっきりと整った顔立ちをしていた。色白で涼しげな端正な顔に、空色の瞳は聡明な光を灯して輝いている。甘い微笑みが様になる美男子だ。
オリヴァー様は微笑みを浮かべたまま、懐かしむように私を見つめて口を開いた。
「本当に久し振り。僕が魔術院に行って以来、会っていなかったものね」
「……! 魔術院に行っていらしたのですか。だから、いつからかお屋敷に伺っても、オリヴァー様のお姿が見えなくなってしまったのですね」
魔術院とは、この国で魔法が使える者だけが通える教育機関である。魔法の能力者は全国民の百人にニ、三人程度と言われ、そのほとんどが貴族に集中している。ごく稀に平民にも能力者が生まれることがあるようだけれど、それは例外中の例外だ。結果として、魔術院は一部の選ばれし貴族のためのエリート養成校のような様相を呈している。魔術院で学ぶ内容は公にはされていないけれど、一握りの者だけが通えるそこを卒業することは、貴族にとって名誉なことであるという。
私の肩に乗せられたにこやかなオリヴァー様の両手が、なぜか私の肩から背中に回されたと思った時、ジュリアン様が私からオリヴァー様の手を引き剥がした。ジュリアン様は軽くオリヴァー様を睨んだ。
「ローザにあんまり勝手なことをしないでくれる? 彼女は大切な客人なんだ」
オリヴァー様はジュリアン様と私の顔を見比べた。
「ふうん、客人、ねえ。……もしかしてジュリアン、まだ……」
ジュリアン様の目がすっと細められ、視線が鋭くなると、オリヴァー様はふっと笑った。
「そうか。まあ、いいや。……ここにくればそのうちローザに会えるだろうと思ったら、やっぱり会えた訳だしね」
「……?」
オリヴァー様の言葉の意味が飲み込めずに、私が首を傾げると、彼は私の瞳を覗き込んだ。
「……僕の求婚を蹴って、急に姿を消したと聞いた時にはどうしようかと思ったけれど」
「……き、求婚ですか!?」
私だけでなく、ジュリアン様も驚いたように彼の言葉に目を瞠っている。
「ああ、そうだよ。君の養父から聞いてない?」
「……養父がろくな縁談を持ってくる筈がないと思って、右から左に聞き流していたもので、まさかオリヴァー様からのようなまともな縁談だったとは……」
ぼそりと呟いた私に、オリヴァー様は吹き出した。
「ははは、まあ、君の感覚は正しいよ。君の養父は、僕の父の後添いにという話かと勘違いしていたらしいから。
……君のところに、金持ちの爺さんが君を金で買うような縁談がいくつか来ているという話を小耳に挟んでね。僕も早く婚約者を決めろだの、周囲が煩くて。次々舞い込む縁談を断るのも面倒だし、それなら、妹みたいに可愛がっていた君ならちょうどいいんじゃないかと思ってね」
そんな経緯があったのかと、オリヴァー様を改めて見上げた私に、彼は続けた。
「君も自由になるし、僕も浮足立った貴族のご令嬢に熱い目で見つめられるのも面倒だ。お互い、利になる話じゃないかと思ってさ。……君の養父は、誰が一番金を積むかを値踏みしていた。一番の金額を提示したら、簡単に首を縦に振ってくれたよ」
少し憐れむような目を向けるオリヴァー様に、私は思わず安堵の溜息を漏らした。
「そのような事情があったのですね」
オリヴァー様が私を助けるつもりで縁談を申し入れてくれたのだと知り、ほっとしてしまった。……そのような理由がなければ、彼が私を選ぶはずがない。そんな私にオリヴァー様がふっと頬を緩めた。
「……君さえ良ければ、今でも、僕を助けると思って結婚してくれると、嬉しいんだけどね」
私は軽く笑って首を横に振った。
「ご冗談を。……私を助けてくださろうとしたことは本当にありがたいのですけれど、家格も天と地ほど違いますし、まったくオリヴァー様とは釣り合いませんわ。オリヴァー様なら、探せば幾らでも素敵なご令嬢と出会う機会もありますでしょう」
軽い口調とは裏腹に、急にオリヴァー様の眼差しが鋭くなった。
「……王子から求婚されているほどの君が、僕とは釣り合わないなんて言うのかい?」
私は驚きに目を瞠った。
(……どうして、それを知っているの……?)
私の心を見透かしたように、オリヴァー様は続けた。
「情報なんて広がるのはあっという間だよ。……アーディン王子に求婚されたのに、こんな所にいるってことは彼からも逃げ出して来たのかな? 王妃の座を狙う者は多い。君の存在をよく思わない者だって多いだろう。王妃の後ろ盾となる家ごと、権力争いでは優位に立つのだから。魔法が使える者も駆り出されていると耳にしている。身の危険には注意した方がいい」
唖然としている私に、横からジュリアン様が気遣わしげに口を開いた。
「ローザは、ここに来る途中で既に狙われていた。ここに滞在している限りは、それほど危険ではないだろうけれど……このオルレーヌ家を敵に回すことになるからね。けれど、安易に外に出るのは避けた方がいいだろうね」
私は、アーディンに求婚されたというだけで、命を狙われるのだろうか。考えていなかった可能性に、ふるりと身体が震えた。
オリヴァー様がジュリアン様に同意を示して頷く。
「そうだな。まあ、あとはあの王子も、遅かれ早かれ君を迎えに来るんじゃない? ……それまでに、ジュリアンの面倒ごとも解決するといいね」
つかつかとオリヴァー様はテラに歩み寄ると、金色の鷲の顔の横を、その細く長い指ですいと撫でた。テラはなされるがままに、大人しくしている。
テラをにこりと見つめたオリヴァー様を見て、ジュリアン様と私は驚いて目を見交わした。




