金色の鷲
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厩に入り落ち着いた様子のランスをひと撫でしてから、私はジュリアン様に連れられるままに屋敷に入った。そこは今までに見たこともないような豪邸だった。
……王宮以外に、こんなに贅沢な造りってあるのね。
上品に輝くいくつものシャンデリアが廊下を照らし、廊下の中央に敷かれた絨毯には細かな模様が美しい色合いで織り込まれ、壁にはいくつもの姿絵や風景画が立派な額縁に入って掛けられている。飾られた調度品も、どれも美しくて高価そうな物ばかり。
廊下をただ通っているだけで、義父母のところで私の住んでいた部屋がいったいいくつ入るのだろうと頭がクラクラした。廊下の幅の方が、屋根裏にあった私の元の部屋の幅よりもよほど広そうだ。
一つ廊下の角を折れたところで、手前側の部屋に入った。
十分な広さはあるけれど、きっとこの豪邸の中では小さい方なのであろうこの部屋の戸棚から、ジュリアン様は薬箱を取り出して、私に椅子を勧めてくれた。……彼が、私の傷の手当てをしてくれるつもりなのだろうか。
私はその椅子の前まで来たものの、戸惑って立ち止まったまま、ジュリアン様に話し掛けた。
「あのう……。さっき、私が馬の傷に貼り付けたリヴル草、ご存知かも知れませんが、人間の傷にも効くんです。まだ、あの薬草は残っていますので、ジュリアン様のお手を煩わせなくても、私一人でも顔の傷は手当てできますので、大丈夫ですよ」
彼はどこか楽しそうに私の顔を見た。
「うん、リヴル草は確かに人の傷にも効くよね。それで治るのは確かだけど、女の子の顔だもの、傷が残らないように、早めにちゃんと消毒と止血をしておいた方がいいと思うよ? それに、草を顔に貼り付けておく訳にもいかないでしょう。……さ、いいから座って」
確かにそれは彼の言う通りだった。大人しく彼の言葉に甘えることにする。
「わざわざすみません。……ありがとうございます」
彼は、おずおずと椅子に腰掛けた私の前の椅子を引いて座ると、意外にも慣れた手付きで消毒薬をガーゼに付け、私の頬に滲んでいた血をそっと拭った。思わず、私の肩がびくりと跳ねる。
「……!」
「あれ、大丈夫、滲みたかい?」
「い、いえ! 何でもありませんから……」
私の治療をする彼の顔があまりに近くて、動揺してしまったとは言えなかった。
改めて近くで見れば見るほど、驚く程に整った綺麗な顔だった。長い睫毛に縁取られた、大きな形のよい澄んだ紫色の瞳が、すっと通った鼻筋と上品な口元とともに、透き通るような白い肌を彩っている。どちらかと言うと中性的で繊細さを感じさせるその容姿は、艶やかな黒髪を伸ばしでもすれば、私などより余程美少女然としそうな雰囲気だ。
止血に使うクリーム状の薬を最後にさっと彼は人差し指で塗ると、薬箱の蓋を閉じた。
「さ、これでおしまい。……ん? 僕の顔に何かついてる?」
私の視線に気付いたのか、私の目を覗き込んだ彼に慌てて答える。
「いえ、何も。……ところで、ジュリアン様こそ治療に慣れていらっしゃるのですか? 手際よく手当てしてくださって、ありがとうございます」
彼は柔らかく私に微笑んだ。
「これくらいはどうってことないよ、早く治るといいね。昔、こういうことの手伝いを少ししていたことがあるから、そのせいで慣れてるのかもしれないね」
「そうだったのですね。……こちらの跡取りともあろう方が、ご立派ですね」
思わず感心していると、彼は大したことではないというように首を横に振った。
「いや、最近は離れていたから、僕も久し振りだったよ。……それから。君の部屋はすぐに用意させるけれど、まずは休んだ方がいいかな? きっと疲れているでしょう」
「いえ。もしよかったら、先ほど伺った、こちらのお屋敷にいるという、傷付いた動物を先に見せていただいても?」
「ああ、もちろん構わないよ。では、これから案内するよ」
彼は私を連れて階段を上り、廊下を奥まで進んで、突き当たりの部屋のドアを開いた。
ドアを開けると、窓が開いているのだろう、涼やかな風がふわりと吹き込んできた。建物の奥の方に位置する部屋ではあるけれど、窓が二方向にあり、意外にも陽当たりのよい部屋だった。
その部屋の中央にいた動物の、こちらを向いた両の目と私の目が合った。
(わ、綺麗……)
部屋の中央に据えられた止まり木に、眼光鋭く佇んでいたのは、一羽の大きな鷲だった。金色に輝くその羽は、普通の鷲のそれではない。きっと、迷いの森の動物だろう。ルビーのような澄んだ赤い瞳は、鋭いながらもとても美しい。
その姿を見る限り、どうやら羽が折れているようだった。そして、威厳のある美しさは保ちつつも、金色に輝く鷲はどこかやつれ、覇気がなかった。
ジュリアン様は、鷲を前にして、私に状況を説明してくれた。
「この屋敷の近くで保護された鷲だよ。金色の羽を持つ鷲は、この家の家紋にもなっているように、我が家としては縁の深い鳥なんだ。とはいえ、ほとんど姿を見せたことはなかったらしい。……今回、怪我をしているところを見つかった彼を、是非とも助けたいんだけどね。……近付くと威嚇するし、誰からも餌を食べないんだ。餌を置いて彼から離れても、ね。
高名な獣医や専門家にも数多く来てもらったのに、どれも上手く行かなかった。このままでは弱る一方で、手を拱いていたところなんだ」
「……彼の治療が済んだら、自然に返してもらうという理解で良いのでしょうか?」
私が尋ねると、ジュリアン様はすぐに頷いた。
「ああ。僕としては、ただこの鷲を治したいだけなんだ。治れば、もちろん自然に返すつもりだ」
「では、私にお任せいただいてもいいですか? ……手始めに、彼の足に繋がれている鎖を切っても?」
私は、鷲の足元に絡められた鎖を指差した。さして太くはないけれど、魔法を帯びた特殊なものであるとわかるそれを、彼はひどく嫌がっているようだったのだ。
ジュリアン様は、少し驚いたように目を見開いた。
「彼も野生だからね、それなりに獰猛な獣だ。鎖を外すと、君が襲われるかもしれないよ? それに、彼が逃げようと無理をして羽ばたきでもすれば、さらに羽が悪くなるかもしれない」
「彼は、賢い子だと思います。そんなことはきっとしませんわ。……ね?」
私は鞄の中からごそごそと大きなハサミを取り出した。何事かとハサミを見つめる大きな鷲に、努めて穏やかな口調で話し掛ける。
「怖くないからね。……あなたの足に絡んでいる、その鎖を切るだけだから」
そして、目の前の鷲の足元に絡み付いている、結ばれたような形状になっている鎖をぱちんと切った。
足の拘束が外れたことに、少し驚いたような表情を見せた鷲は、私をじっと見つめた。
……ああ、この目の表情には、見覚えがある。昔、多くの傷付いた動物の治療をしたときも、同じような目の色を見てきた。
動物の方だって、こちらが信頼に足る者かを確かめている。その第一関門を潜って信頼を得たと感じる時。それが、動物たちがこの目をするのを見る時だった。
急に目の前の金色の鷲が大きくこちらに跳躍した。ジュリアン様が慌てたように声を上げる。
「……ローザ! 危ない、避けて!」
私はジュリアン様の言葉に対して首を横に振ると、目の前の金色の鷲の目を見つめたまま、彼に腕を差し伸べた。彼は上手に私の腕に乗り移ると、そのまま私を見つめている。
私は腕を自分の顔の前に近付けて、彼と目線の高さを合わせた。
「私が、あなたの治療を担当することになったわ。治ったら、森に帰れるわよ。……これからしばらく、よろしくね」
私が彼に微笑む姿を、ジュリアン様はただ黙って見つめていた。
***
(……凄いな。どれほど優れていると言われた動物の専門家を呼んでも、誰も相手にすらしなかったあの鷲が、もう心を開いているようだ)
ジュリアンは目の前の光景に息を飲んでいた。ローザはここに着いてまだ数分足らずだというのに、金色に輝く鷲の信頼を勝ち取ったようだった。
(そして、ローザは気付いていないのかもしれないけれど……)
ジュリアンは、切られて見る影もなくなった魔法の込められた鎖に、視線を注いでいた。




