それぞれの思惑
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私の口笛に応えて足音の主が近付いてくる。しなやかに大地を蹴る艶やかな黒い姿が見えたかと思うと、私の前で脚を止め、その鼻面を私の顔に近付けてきた。
「ランス、来てくれてありがとう。……元気そうでよかったわ」
ランスは、まだ仔馬の時に脚を痛めて、群れから逸れていたところを、家に連れ帰って治療したことがある。馬の大きな体躯を支える細い脚は、一度悪化させてしまえば命取りになりかねないけれど、ランスはどうにか回復した。それ以来懐かれたようで、私が迷いの森に来る度に顔を見せてくれる、とびきり仲のよい動物のうちの一頭だ。頭にユニコーンのような角があるので、普通の馬とは違う稀少種なのだろうけれど、まあ迷いの森の動物にはよくあることだ。
鬣を撫でると、ランスはその理知的な濃茶の瞳で私を見つめた。
「ちょっと背中に乗せてもらいたいのだけど、いいかしら?」
背中に手を当てた私に、了承を告げるように小さく嘶いたランスに跨る。踵で合図をすると、すぐに意図した方向に走り出してくれた。
まずはリヴル草の群生地に立ち寄り、数束を抜いて追加で鞄に入れる。もちろん、全部採るなんて以ての外。あくまで、生態系を乱さない程度、再生可能な範囲で採るのが大切だ。……人間も動物も植物も、ここでは共存しているのだから。
その作業が終わってから、アーディンに馬車から下ろしてもらった辺りの、迷いの森の入口に戻った。
「アーディン!」
ランスの背に乗ったまま、少し離れた馬車に向かってお腹の底から声を出すように叫んだ。驚いたように馬車を降りてきたアーディンの姿を認めると、私はランスに乗ったまま、アーディンの表情が見える距離まで近付いた。
「ローザ? 君は一体、何をして……」
驚いた様子で、ランスの背にいる私に目を瞠ったアーディンに、私はにっこりと笑った。
「迎えに来てくれて、ありがとう。でも、まだ、私はアーディンに捕まる訳にはいかないの。言ったでしょう、少し時間が欲しいって。……という訳で、また今度ね!」
後ろ手に手を振ると、踵でランスの腹部にくっと力を込めて、全速力で迷いの森へと走り込んだ。
そう、私はさっき馬車の中で、アーディンに確認していた。彼らには、私たちを迷いの森の中まで追って来ることができないということを。
「おい、ローザ! 待て……!」
遠ざかるアーディンの声が耳に届いたけれど、私は振り返らなかった。
***
「くそっ……。ローザ、君は相変わらずだな……」
拳を握り、呟く俺の言葉は、きっとローザには届いていない。
どうして、今日あれほど早朝にローザを迎えに行ったのか。なぜ、ローザに時間を与えず、すぐに結婚して欲しいと言ったのか。君はその理由を、少しでも考えただろうか。
……君は、俺の我儘だと思ったのかもしれないが。
俺に結婚相手として望まれ、かつ、まだ俺と結婚はしていない今が、一番君の身が危険だと、君は気付いているだろうか? 俺が君を結婚相手に望んだことなど、たとえどんなに隠そうとしても、あっという間に広がってしまう。……王族、貴族の社会とはそういうところだから。敵はそこら中にいるだろう。
(……無事でいてくれ、ローザ)
それだけを心に願いつつ、俺は唇を噛み、踵を返した。
もちろん、次の手を打つために。
***
「この度は、た、大変に申し訳ございませんでした……! 娘のローザをあれほどの好条件で迎えていただけるとのお話でしたのに、このようなことになりまして……」
僕の前で跪き、頭を地面に擦り付けんばかりの彼は、口では謝罪の言葉を述べてはいるが、その瞳に浮かぶ強欲な色は隠し切れていない。
彼はそろそろと頭を上げて僕を上目遣いに見ると、口を開いた。
「……しかし、あまりにも破格の条件でしたので、伯爵様のお父上の後妻に、というお話かと勘違いしておりましたよ……ははは。いや、ロイス家の跡取りの伯爵様ご本人のお話でしたとは……。
それでしたら、ローザなどよりも、いかがでしょう。我が家にはもっと出来の良い、可愛らしい娘が……」
「いや、結構です。ローザをということで、あのような条件を出させていただきましたが、ローザでないなら不要です。結納金の前渡しとして先日お支払いした金についても、すぐにお返しくださるように」
目の前の彼の顔が、さっと青ざめた。
「そ、それは、どうかご勘弁を! ……せめてもう少し時間を……」
「この者を下がらせてくれ」
僕はそれ以上彼の言葉に聞く耳は持たず、執事にそれだけ告げると部屋を後にした。
ローザ、ようやく君に会えると思ったのにね。君のためなら、金などいくら積んでも惜しくはないよ?
仕方ない、僕から逃げたのなら捕まえるしかないね。
きっと、遠くない未来に君に会えるはずだ。




