表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

“六番目”と“一番目”

 生命維持装置の作動音は、アクアリウムに取り付けられた濾過(ろか)装置(そうち)のそれに似ていた。

 そのことを彼が知ったのは、飽きもせず自室に押しかけてくる少女に、不本意ながら(まと)わりつかれるようになってからだったけれど。


 “兄弟”の中でも、入室を許可された人間が限られる室内で、彼はなんとなしに、水槽(すいそう)によく似た装置内で発生する泡を眺める。

 研究員が入室しているとき以外、この部屋の照明は消されたままだが、生命維持装置が発する青みがかった光のお陰で、歩き回るには不自由しない。

 彼は壁に背を預け、検査の名目で(いじ)りまわされた身体を休めていた。

 自室ではプリシラを(かま)わなければいけなくなるし、この部屋ならば、“末弟”との交流を口実に、ある程度の(わずら)わしさを避けられた。

 そして、この部屋で一番煩わしい“末弟”は今、生命維持装置に満たされた液体の中で浮かびながら、学習実験の(ねむ)りに(ひた)されている。

 簡素な検査服を(まと)い、赤子のように身体を丸めた“末弟”は、生命維持装置の溶液に長めの黒い髪を揺らしていた。

 今回の学習実験は負荷が軽いのか、声変わり前の幼い顔は、夢見るように安らいで見える。


 彼がぼんやりしていると、自動扉の作動音と共に、薄闇に覆われた床が光で切り取られる。

 そして、彼が履いている靴と、同じ型の足音が響いた。


「――セイスか」

「“零番目(おとうと)”の世話ごくろーさん、“兄貴(アインス)”」


 自分の(のど)から出るのと同じ声に、彼は気だるげに応じる。

 漂ってくる香りの発生源をちらりとを見やれば、“一番目(あに)”は両手に湯気の立ったカップを持っていた。

 “兄弟”一の世話焼きらしく、わざわざ彼の分まで飲み物を用意したらしい。

 当然のように“一番目(あに)”から差し出されたカップを、彼は無言で受け取る。

 彼の横に並んだ、“一番目(あに)”の、精悍(せいかん)な印象を受ける――だが、彼とそっくり同じ顔は、なんとも言い難い表情を浮かべていた。


「……セイス、タリス技師とは、その、どうだ?」

「あのワガママ娘の機嫌取りは手抜きしねぇよ、アインス」


 “一番目(あに)”の問いかけに、彼は素っ気なく答えた。

 彼だけに課せられた余計な役目は面倒でもあるが、プリシラとの交流は、他人とのそれよりも、楽と言えば楽かもしれない。

 確かにプリシラは気分屋だが、感情がそのまま顔に出て分かり易いし、適当に構ったり抱いたりしてやれば、すぐに機嫌が直るのだから。

 ――まあ、彼ら“兄弟”を観察する、致命的なものが欠けた瞳を筆頭に、彼には、ろくな比較対象の持ち合わせがないのだけれど。

 乾いた彼の声に、応じたのは沈黙だ。

 生真面目で説教臭い“一番目(あに)”らしからぬ態度を、内心で(いぶか)しく感じつつ、彼はカップに口を付けた。

 カップの中身を口に含めば、独特の苦みと(かお)りが彼の舌の上に広がる。

 “一番目(あに)”がわざわざ豆から()いているコーヒーは、合成品より苦味に深みがあり、(かお)り高くもあるらしい。

 しかしながら、一様な味の合成品に慣れた彼は、そもそも味の良し悪しを判断する必要性が理解できない。


 揺蕩(たゆた)う青い光と機械の作動音に満たされた部屋は、それ自体が水槽のようで、でも違う。

 鼻を抜ける薫りが、こんなに狭い場所でさえ自由に泳げないのだと、彼の(そで)をひいている。

 とうに歩けるようになった“末弟”も、(いま)だに()(かご)代わりに漂うだけだ。


 不意に、カップを持ったまま黙り込んでいた“一番目(あに)”が、口を開いた。


「……“八十八番目(ヤオヤ)”が、危なくなるかもしれない」


 微かに震える声に(きょ)をつかれ、彼は“一番目(あに)”に顔を向ける。

 彼と同じ造りの横顔には、隠し切れない苦悩の色が浮かんでいた。

 “一番目(あに)”が呼んだ“八十八番目(おとうと)”の名に、彼は眉を(ひそ)める。

 “零番目(おとうと)”に憎悪に近い感情を抱き、“末弟(ゼロ)”から隔離された“八十八番目(おとうと)”。

 彼よりも練られた教育プログラムを組まれていたのに、馬鹿げた夢想を手放さない甘ったれ。


「――あの馬鹿、まだ家族(おままごと)なんかに夢を見てるのか?」

「……(あきら)めさせられなかった」


 知らず声を(とが)らせた彼に、目を伏せた“一番目(あに)”が自嘲気味(じちょうぎみ)に首を振る。

 もういない“三番目(あに)”の教訓から、“兄弟”間の交流はむしろ推奨されているが、“八十八番目(おとうと)”はそれが裏目に出たらしい。

『自分だけのもの』にこだわる“八十八番目(おとうと)”は、“末弟(ゼロ)”とは別の意味で“兄弟”の中から浮いていた。


「どうすれば、いいんだろうな。

 ――結婚相手がいる相手とは、家族になれないのに」


 “八十八番目(おとうと)”を心から案じる“一番目(あに)”の台詞(せりふ)に、彼はどこかが凍り付く。

 恨みはない、嫌悪もない。

 ……けれど自分たちは、どこまでも違うのだ。


「どうにかする権限が、お前にあるのか?」


 彼の問いは、宇宙(そら)の虚無よりも暗く冷たい。

 兄であることを選んだ“一番目(アインス)”が彼を(にら)み付け、――でも、すぐに目を()らしたから、彼は、自分がどんな顔をしているのか知らないままだ。


「どうにもならない」


 彼が言い放った言葉が全てだ。


 “八十八番目(おとうと)”が、どれほど渇望(かつぼう)しようと。

 “一番目(あに)”が、どれほど胸を痛めようと。

 ――“六番目(かれ)”が、なにも願わなくても。


 無機質な光の揺らぎが、気紛(きまぐ)れに彼を()でるも、肌に触れるものは何もない。

 湯気を立てていたカップの中身は冷め切り、部屋の温度と大差なくなっていた。


 Copyright © 2020 詞乃端 All Rights Reserved.


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ