表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

少女は掌の空虚をまだ知らず

 彼女の世界は完璧だった。


 優しくて、地位も財力も有した両親。

 広々とした家は住み心地が良く、彼女のために用意された沢山のものは、どれも厳選された一級品だ。

 そして、他人から()めそやされる容姿に、誰にも負けない才能。

 彼女の戸籍登録が完了した時点で選定された、将来子を生すべき幼馴染(おさななじ)みは面白みに欠けるが、口煩(くちうるさ)くないので、まあ許容範囲。

 何もかもが、彼女の思い通りになる世界は、けれど、ほんの少しだけ退屈で。

 彼女が、刺激と楽しみを求めて遊び回っていた時に、その出会いがあった。


 ――欲しいと思ったから、彼女は手を伸ばした。

 彼女が見つけた青年が、()()()()()()()()()()()なんて、些細(ささい)な事。

 他人が決めた事なんて、都合がいいこと以外、彼女が従ってやる(いわ)れがない。

 だから、その決まりごとが、どうして決められたかなんて、彼女は考えもしなかった。


 ◆◆◆


(統合歴2690年/《煉獄》外縁宙域)



 微睡(まどろみ)から意識が浮上し、少女は、素肌に触れあう体温や、自分を抱きしめる腕の重みに、訳もなく笑みを(こぼ)す。

 そっと(まぶた)を持ち上げれば、一番のお気に入りの男の寝顔が、少女のすぐそばにあった。

 少女が一目で気に入った端正な(おもて)は、しかし、若者特有の闊達(かったつ)さとは無縁である。

 普段のふてぶてしい態度とは裏腹に、いっそ幼げでさえある青年の寝顔は、なかなか可愛らしい。

 しかしそれでも、平素から青年にこびりついた、どこか物憂(ものう)げな雰囲気は、現実から解放されるはずの夢の中でさえ、晴れることはない。

 睡眠をとっているはずなのに消える様子のない、目元の(くま)のせいなのか、それとも、日に焼けるところを見たこともない、血色の悪い肌色のせいなのか。

 少女と抱き合う青年は、人類の天敵に対峙(たいじ)する《ガルダ》の操縦者という肩書にそぐわず、奇妙に()んだ色が常に張り付いている。

 一方で、少女の明るい金髪とは対照的に、青年の沈んだ色合いの黒髪は、男の(くせ)に腹立たしい程手触りが良かった。


 自分とは質感の異なる皮膚に覆われた胸板に、少女は(ほお)を寄せる。

 気持ちの良いことや(たの)しいことは、遊び仲間たちといくらでも経験してきたけれど、添い寝だけでもなんだか満足するのは、この青年だけだ。

 まあ、少女の方から押しかけなければ、自分に近付いて来ない青年に、彼女とて不満がない訳でもない。

 だがそれは、少女が青年をもっとメロメロにしてやればいいだけの話だ。

 肌越しに伝わる青年の心音が、遠く聞こえるのは、きっと少女の気のせい。

 よく分からない(さび)しさを、少女は、全身で感じる確かな存在で誤魔化した。


 いつまでだって飽きはしない二人の時間は、青年の身動(みじろ)ぎに中断されてしまう。


 青年の、宇宙(そら)の黒を塗りこめた様な瞳が、ぼんやりと、どこでもないところへ向けられる。

 やや寝起きの悪い青年の覚醒(かくせい)までの時間が、青年の世界に自分が映り込まない感覚が、少女はどうにも気に()わない。

 自分に意識を向けさせるための、少女からの強引な口付けに、青年の瞳が焦点を結んだ。

 青年の辟易(へきえき)とした眼差しも、自分を見ないよりはずっと良い。


「朝っぱらから盛るな、プリシラ……」

「なんで?」


 唇を放した途端に発せられた、青年の無粋な苦言の意味が分からず、少女はきょとんと首を傾げた。

 愉しいことの何が悪いのか、周囲に甘やかされてきた少女には理解できない。

 ベッドに寝そべったまま、少女を見上げていた青年は、呆れとそれ以外の何かが混じる表情を浮かべるも、溜息を()くだけで寝具から身を起こす。

 温めてくれる体温が遠ざかった少女は、適温に保たれているはずの寝室の空気に身震いした。

 無意識に青年を留めようとした少女の手は、求めた温度ではなく空気を(つか)むにとどまる。


「セイス」

「俺はこれから検査なんだよ」


 呼ばれた声に含まれた少女の寂しさも一顧(いっこ)だにせず、彼女に背を向けたままの青年は、素早く身支度を整えていく。

 機能性を優先した、青年の所属を示す隊服は、少女が(まと)わりつき始めるまで、彼の私服と化していた代物だ。

 ずっと一緒にいられないのが面白くなくて、唇を(とが)らせた少女に、青年は眉を寄せ、仕方がないとばかりに彼女の(かたわ)らに屈み込む。


「お前はもう少し休んでろ」


 降ってきた低めの声と、額に押し付けられるかさついた唇に、少女は気分を上向かせるも、胸に落ちた黒い(しずく)が、彼女の口を動かした。


「……セイスは、検査ばっかりね」


 少女達が滞在している対異種生命体技術開発第一研究所――通称《辺獄(リンボ)》は、居住可能な人工衛星に研究機関を丸ごと詰め込んだ場所だ。

 そして、対異種生命体兵器《ガルダ》の操縦者であり、最新鋭機の試験飛行も担当しているらしい青年の健康は、確かに厳重に管理されるべきだろう。

 だが、青年の検査の回数は、畑違いである情報技術者であっても、少女が異様に感じてくる頻度だ。

 ――知らないだけで、知らされていないだけで、青年に何らかの異変が起きているかもしれないと、不安になってくるぐらい。


 ふっと、皮肉気な(わら)い声。


 少女が確認する前に、完全に背を向けられてしまい、青年の表情は(うかが)えない。


「――そういう、体質でな」


 温度のない言葉と共に、青年は寝室を去っていく。

 青年を呼び止められないまま、少女は冷めた寝具に身を沈めた。




 ――現在の人類社会において、結婚相手が各々の遺伝情報で定められるようになったのには、いくつか理由がある。

 その理由の一つに、《ガルダ》の操縦者に必要な適性が、潜性遺伝に(いちじる)しく依存している事実が挙げられる。

 かつて存在したある植民星(コロニー)は、自由恋愛の権利を後生大事に保護した末、《ガルダ》操縦の適格者を(うしな)い、《ワーム》に喰われた。

 《ワーム》の危険性以上に、民衆の権利を優先した指導者がもたらした悲劇は、現在の社会構造の形成に大きな影響を与えたのである。


 ……宇宙統合機構が管理する社会に、()()は必要とされていないから、――すぐ隣に転がる恋に気が付かないまま、少女は空っぽのベッドで(うずくま)る。


 Copyright © 2020 詞乃端 All Rights Reserved.


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ