神鳥は宇宙(そら)を征(ゆ)く
植民星の大地から見上げた満天の星空は、宝石箱に似ているらしい。
人類の英知をもって創り上げられた、かつての母星のそれに限りなく近い大気は、水辺特有の湿気を孕んで温かった。
空気の対流が産んだ、柔らかな風が、やって来る者に憩いを与えるために生かされている、木々の梢を揺らす。
大気との摩擦で発火した宇宙塵の光芒に、興奮状態の歓声が上がり、よく手入れされた指先が、星屑を振り撒いた夜空を指し示す。
無邪気に伸ばされた指先の果てには、茫漠たる虚無が広がっているだけだと、――なぜか、彼は口に出せなかった。
◆◆◆
(統合歴2690年/第六植民星宙域)
宇宙は広い。
だから、隣の植民星は遠い。
けれど、その広大と時に身が凍る様な怖気が湧く隔たりを、直に知っている人間は、どれくらいいるのだろうか。
【――システムスタート/永久機関始動】【操縦者認証/セイス・ウォーカー】【システムチェック/オールクリア】
薄暗かった操縦席に灯った光は、瞬く間に増殖し、無数の情報を構築していく。
【探索モードアクティブ/敵性体情報取得】【巡航モード切替/戦闘モード移行/強襲形態】
流動型の座席に凭れた彼は、網膜と脳裏に浮かぶ無数の窓を、自分にとって最適な形に整理していく。
それらとは別、彼の目の前にある操縦席のスクリーンには、彼方に星々を抱える真空空間が映し出されていた。
人類の反応速度では、宇宙空間での光速戦闘において、乗機の外を目視する意味は極めて薄い。
それでも、戦場を見る“目”を捨てられないのは、人間が視覚に依存する生き物だからか。
【転移目標/宇宙座標Z0006-WE00856-5634】
彼の視界を、虹色の幕が覆う。
それは、乗機が異相空間へ潜り込んだ証しだ。
異相空間潜航技術が確立されるまで、多くの試験機や研究者を呑み込んできた『ここではない』時空は、今は限定的ながらも、宇宙での近道の役目を果たしている。
――永久機関と異相空間潜航技術。
それらは、ちっぽけな星系で人口爆発の問題に直面していた人類を、新たな航海へと駆り立てた。
広大無辺である宇宙の、限りない可能性に望みを託し、人々は新たな故郷を夢見て真空の大海へ漕ぎだしたのだ。
そうして、人類は新たな揺り籠たる惑星を見出し、宇宙地図を広げ。
――最悪の天敵を発見し、……最悪の天敵に、発見されてしまった。
【転移成功】【敵性体の接近を確認】
虹の帳が晴れた視界に、光で形成された長虫の群れが映り込む。
遥かな恒星と無窮の闇を僅かに照らしながら蠢くそれらは、実態を知らなければ幻想的にも見えなくもない。
――《ワーム》。
人類が自らの知恵と技術で宇宙を開拓してきたのとは対照的に、自ら真空空間へ適応し、多くの星々を食い荒らしてきた異種生命体。
統合歴紀元前100年、人類が無邪気に信じてきた『宇宙人』とは似ても似つかぬ《ワーム》との接触は、母星喪失という空前の悲劇の引き金となった。
その上、《ワーム》との戦場が宇宙空間であり、《ワーム》の体組織が他の《ワーム》を招く特性上、異種生命体の研究は未だに進んでいない。
例え進んだところで、《ワーム》に食い荒らされては、穴だらけなのだ。
【反物質砲起動/散弾】【標的W1・W2・W3――――――W113/ロックオン】
彼は操縦桿の引き金を引き、まだ小さな――現物は、体長数キロ~数十キロのデカブツだ――《ワーム》の群れに砲撃する。
小隕石群を容易く粉砕できる砲撃だが、散弾では驚異的な生命力を誇る《ワーム》の致命傷になりはしない。
だが、十分だ。
【転移目標/*********/転移】【形相干渉/神鳥ノ炎翼】
目視での転移先決定直後、宇宙に開かれた窓が、虹色の燐光と共に赤く燃え上がった。
《ワーム》から見た彼の乗機も、炎と同じ色に染まっていることだろう。
彼の攻撃に動揺している群れの至近距離に転移からの、《ワーム》たちへの最接近。
操縦席のスクリーン越しに、惑星で生きるには、あまりにも巨大な長虫が発する光が、彼を照らした。
目視では一部しか見えなくなった人類の天敵に、しかし、彼は理性に醒めた目を向ける。
――彼が駆るのは、対異種生命体兵器《ガルダ》。
それは、鳥に似た形状ゆえに邪竜を征す神鳥の名を与えられた、人類の切り札であり、宇宙を征く彼の翼だ。
彼の意思を忠実になぞった《ガルダ》は、光の長虫が生み出す波を傲然と蹴散らした。
機械仕掛けの神鳥の軌跡は、虚ろに開いた真空の形をとる。
対宇宙船用の武装だと、絶望的な肉体強度と再生能力を誇る《ワーム》と言えど、分子レベルでの崩壊では、傷を塞ぐにも時間を要するのだ。
そして、その翼で千切った長虫に時間をくれてやるつもりなど、彼にはもちろん無い。
【転移目標/Z***E*****/転移】【形相干渉/範囲指定/天帝ノ雷】
命を呑み込むだけの闇を、太陽と見紛う輝きが穿つ。
形相干渉・空間潜航技術の応用で、《ワーム》の群れが存在した空間を収縮した際の副産物だ。
紛い物の太陽は瞬き一つの間に消え去り、後に残ったのはただ虚無だけ。
その場にあった《ワーム》の群れは、空間ごと破砕され跡形もない。
――戦闘終了を測ったかのように、操縦席に備え付けられた通信器が作動した。
『――セイ兄』
耳に届いた幼い声に、彼は思いきり顔を顰める。
「ゼロ、任務中だ」
『《ワーム》の迎撃は終わったでしょう。
基地に連絡するなって言ったの、セイ兄だよ』
「だから連絡自体やめろ」
“末弟”のどこかぼんやりした声に、彼はぶっきらぼうに答えを投げ返す。
彼は、“兄弟”たちの中では“末弟”への悪感情が薄い方だが、しばらく悩まされている面倒事を“末弟”に悪化させられた恨みはある。
『海、どうだった?』
「……俺は行ってないからな」
人の気も知らず、興味津々な態度を隠そうともしない“弟”に、彼はぐったりしながら天を仰いだ。
世間知らずの箱入り息子は、“外”にいる“兄”たちの話をやたらと聞きたがる。
そんなんだから、よりにもよってワガママ娘が隣にいる時に、“弟”が連絡を寄越して、彼が面倒事から逃げられなくなったのだ。
――それでも、なんだかんだ言いつつ、最終的には構ってやるから、“末弟”や“彼女”に纏わりつかれるのだと、彼自身の自覚は皆無だ。
『セイ兄、プリシラ姉と《辺獄》に来るのに、なんで行かなかったの?』
「いや待て、なんだその情報は」
“弟”が無造作にぶん投げてきた爆弾に、彼は顔を引き攣らせる。
聞いていない。
彼は、そんな事一切聞いちゃいない。
『さっきもセイ兄が対処したけど、共生派の《ワーム》誘引事件が多いから、《ガルダ》の機能改良を急ぐんだって。
それで、《ガルダ》のシステム構築にプリシラ姉が呼ばれたけど、セイ兄と一緒じゃなきゃやらないって言ってたって』
「阿保か」
彼は、《ガルダ》の研究開発グループと件のワガママ娘、両方の頭の中身を疑う。
《ガルダ》は、人類の安寧に必要不可欠な兵器だ。
その改良は、然るべき人材が担わなければ洒落にもならないし、仮にも人類をまとめ上げている、宇宙統合機構の招集に条件をつける馬鹿娘の気が知れない。
『プリシラ姉、セイ兄と結婚するでしょ』
「しねぇよ出来ねぇよあの馬鹿娘の話を真に受けるなゼロっ!」
極端に偏った教育しか受けていない“弟”の戯言に、彼は声を荒らげた。
そして、眉間に深々と皺を刻んだ彼は、米神を揉みながら“弟”に言い聞かせる。
後で、勘違いしたままの“弟”が問題を起こし、彼に火の粉が降りかかるのも嫌過ぎだ。
「結婚相手っつうのは、専用の人工知能様が、遺伝情報で最良の子供が生まれる組み合わせを選んでくれるもんなんだよ。
――だから、何を掛け合わせても劣化品にしかならない俺もお前も、結婚相手は存在しねぇのさ」
『……』
彼の声音になにを感じ取ったのか、“末弟”は口を噤んだ。
彼は前方に視線を動かすも、《ワーム》の群れを屠った後の、スクリーンは昏い。
彼方で闇を払う恒星は、光の速度で駆けたとして、彼の寿命が尽きるまでに辿り着けやしない。
『……セイ兄は、プリシラ姉のこと、嫌い?』
的外れな“弟”の問いに、彼は失笑した。
他者に対する好悪の感情は、彼に無縁なものだというのに。
「――ゼロ、そもそも、あいつの人生に、俺が関わる必要性がねぇんだよ」
宇宙統合機構宇宙防衛軍『対異種生命体兵器研究開発試験部隊』所属、“六番目の英雄”は、“零番目”の無知を冷ややかに嗤った。
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