調整役不在の現場
2018年、夏から秋のお天気を実況?
『……ということで、西太平洋でエル・ニーニョが発生しつつあります。その影響で東亜支局管内では暖冬になる恐れが出てきましたので、あまり暖かくならないように現場の調整をお願いしますわ』
気象室本部にいるセイラ・イシュタル・カーシャさんから、現場へそういう申し送りがされてきた。
この連絡は、いつもならセイラさんが一番に受ける案件だ。だけどセイラさんは春の終わり頃から『支局長訓練』。これは現支局長であるイツミさんが何らかの理由で陣頭指揮できない場合でも業務に支障が出ないように、三人いる副支局長たちが順番に支局長役を体験するものだ。
ということで、この連絡は現場にいる全員の上級精霊が受けている。
ちなみに今は九月半ば。地上は今年最後の真夏日のあった頃だ。
「みなさん、セイラがいなくても現場が動くように、今度こそ一人一人がしっかりと考えて動きませんとダメですわ」
そう言って場を仕切ってきたのは、水の高級精霊であるキャサリンさんだ。この精霊こそ一番の副支局長になるはずなんだけどね。ちょっとした困った実績があるおかげで、そういう大役は回ってこないことになっている。
「だからさぁ。今はセイラさんがいないんだから、誰かが代わりの調整役を……」
「ミリィ。何を甘えたことを言ってますの」
あたしが言おうとした意見を、キャサリンさんがさえぎってきた。
「いいですか、ミリィ。わたくしたちは訓練された気象の上級精霊ですわ。それなのに、あなたは誰かに指示されないと動けませんの?」
「だから、そういう話とは違うんだって……」
キャサリンさんが正論をぶつけてきた。聞く耳は持たないって態度だ。
取り敢えず、広げた手をキャサリンさんに向けて、
「何度も言うけど、物事には『親指の法則』というのがあってね……」
と話しかけてみたんだけど、
「キャサリンさま。これからエル・ニーニョで暖冬になりそうですから、その前に少し冷やした方が良さそうですのね」
それはノーラの言葉にさえぎられてしまった。あたしの説明、もう誰も聞きたくない……なんてこと、ないよね?
「なるほど。それは一理ありますわ」
「ちょっと待って! その話は前にも聞いたわよ」
話に乗ろうとするキャサリンさんを慌てて止めた。
「前にも?」と聞き返したのはキャサリンさんだ。
「今年は梅雨が早く明けすぎたから龍状列島周辺が異常熱波になってるからって、寒気を持ってきて冷やそうとしたのは誰よ?」
「ありましたわね。でも、遠い過去の話ですわ」
「遠くない! 一か月前よ。しかもうまく南まで運べないからって、いくつの台風を持ってきたのよ」
とぼけるキャサリンさんに、噛みつくように文句を言った。それにフェイミンさんが、
「八月は量産してございましたわ」
と横やりを入れてくれる。
うん。台風、九個も作られたよね。
こうなったのは、寒気が思うように動かなかったから。列島全体を掩う予定で持ってきた寒気が、ほとんど北海道上空で固まっちゃたんだ。おかげで今年の北海道は異常冷夏というか、異常寒波に襲われた。
その寒気を台風で引きちぎってやろうと、いったいいくつ作った持ってきたか……。
結果は失敗。せいぜい二日間だけ、寒気が南関東まで届いた程度だ。
「今度こそうまくやりますわ。さあ、ノーラ。参りますわよ!」
「あ〜! 話は最後まで聞いてよ」
勝手に会話を打ち切って、キャサリンさんが北西の空へ飛んでいってしまう。
「うちも行きますのね」
ノーラも行ってしまった。
このやり取り、セイラさんがいなくなってから、いったい何度繰り返されたことか……。
「仕方ないわ。あたしたちだけでも……」
「問題ございません。そこはわたくしたち気象参謀が全体を見て連携すれば事足りること。お任せくださいませ」
調整役を置きたいあたしに反して、フェイミンさんも調整役不要という考えだ。
「あのね、フェイミンさん。物事には『親指の法則』っていうのがあってね。親指だけが……」
「また、その話でございますか? お考えは承ってございますが、頑張りは能力に応じて全員が平等に請け負うもの。働きに差をつけるのは平等原則に反してございますわ」
フェイミンさんが自分の意見だけ言って、行ってしまった。
まあ、ああいう考えになるのは、北米支局にいたせいかな?
といっても、北米になる国の民主主義だ、平等だという地上の人たちの影響じゃない。かつて北米支局を牛耳っていた、守旧派精霊たちの影響だろう。
彼らは保身第一。失敗を恐れて働かない。それでいながら部下が成功したら手柄は独り占め。優秀で自分の地位を危うくする部下は左遷して飼い殺し。ハッキリ言って存在自体がクズのような精霊たちだった。
そういう精霊たちにひどい目に遭わされてきたんだ。表向きは働いてないように見える調整役は、彼らを思い出すので置きたくないんだろうね。
だけど、あたしの考えはそういう存在は必要だと思ってる。
『親指の法則』。これは親指だけが反対を向いて動かないおかげで、手で物がつかめるし、手で細かな作業もできる。そういう例えだ。すべての指が同じ方向を向いて平等に動いたら、バラバラになって物事がうまく運ばないって考え方だ。
これ、何度も言ってるのに、みんな聞く耳を持ってくれないのよね。
唯一、あたしの考えに賛同してくれたのは相棒のユメミだ。でも、ユメミが賛同してくれた理由は、自分が動かなくて済む口実が欲しいから。今も宴会をやっている。
あたしたちとは気象精霊をやってる理由が違うからねぇ。ユメミは……。
「秋雨が大荒れですのね」
ノーラが今の状況を見て、そんなことを言う。でも、
「これ、秋雨じゃないでしょ? どう見ても夏の夕立じゃないの」
今、地上を襲っているのは、秋の長雨じゃない。どう見ても夏の風物詩──夕立だ。
こんなことになったのには理由がある。今年は東亜地中海が暖かいため、ここを寒気が越えられなかったのよね。これが寒気が北海道から南に広げられない原因だ。
そこでキャサリンさんとノーラは、せめて上空だけにでもと強引に持ってきちゃったんだ。その結果、暖かい地上との温度差で夕立になってるわけだ。
「美しくありませんわ。夕立でしたら、もっと雷が華々しく鳴りませんと……」
キャサリンさんは何かほざいてるけど、その意見は無視しよう。
「富士山に初雪が降ってございますわ。今年は早うございますわね」
まあ、上空に寒気を持ち込めば、そういうことにもなるよね。昨年より一か月近い初雪だ。
それに今年は地球全体が寒冷化している。ヨーロッパでは八月中にドイツやオーストリアで初雪が降って、アルプス山脈を越えた地中海側でも九月の第一週には初雪が降ったものね。
「ノーラ。寒気を広げるのは難しそうですわ。偏西風の上流に持ち込んで、南から冷やしますわよ」
キャサリンさんが次の作戦を示した。
後始末でこの雨雲を片づけるのは、あたし……だよね?
「どうして南の方が寒くなってるのかしら?」
一か月経った。ただいまの龍状列島の状況を見て、キャサリンさんがポツンと零す。その背中に向かって、
「そりゃあ、寒気を南に持っていったからでしょ」
と言ってやった。
キャサリンさんの悪さがなくなれば、龍状列島は秋晴れの季節だ。おかげで一〇月前半の空は荒れたけど、総雨量は平年の半分もないとか……。
で、寒気を大陸にあるうちに南へ持っていって、偏西風の上流から冷やしてやろうという作戦だったけど、
「一応、列島の西半分は平年……かな」
「反対に北海道が、暖かくなってございますわ」
東亜地中海の暖気の壁は強かった。運んできた寒気を寄せつけてくれない。
でも、こういう現象は以前もあったんだよね。今年だけの現象じゃない。
いったい何が起きてるんだろう?
セイラさん。こういう事態にならないように、どのように調整してたのかな?
セイラさんは地味でおっとりした性格なのもあって、実務はあまり得意ではない。気象精霊としては、むしろ働きの悪い精霊だ。そのため前にいた西域支局では、あまり重要な仕事は任されなかった。
だけど、そのセイラさんの本質を見抜いて東亜支局に迎えたのは支局長のイツミさんだ。あまり目立たないけど、何かあった時に思いきった指示を出せるところには、みんなも高く評価している。
でも、セイラさんのすごいところは、普段の調整だ。それをあまりにも自然にやってるから、まったく評価してない精霊が多い。それにあの性格だからね。現場から離れたところでおっとりしてるから、セイラさんが何もしてないと思ってる精霊が多いんだ。
あたしが何度も言ってる『親指の法則』の親指。見た目は動いてないけど、一人だけ逆を向いて動かないから全体の調整役になって物事をうまく回してくれる。セイラさんは、その動いてはいけない存在だ。
「セイラさんは、いったい何をどうやって調整していたんだろう」
実はこの数か月、誰かを調整役に立てられないなら、自分がやってみようとセイラさんの代役をやってみた。
でも、何をすればいいのか、まったくわからないのよねぇ。
「ツッコミと助言でございましょう。全体をよく見てございましたわ。問題に気づかれても、ご自分でも何もされませんでしたけど……」
とはフェイミンさんだ。フェイミンさんには、そんな感じに見えてたのね。
更に一か月近く経った。
「寒気の波状攻撃は失敗ですわ」
「おかしいですの。寒気を送った分だけ暖かくなってますのね」
まったく原因がわからず。キャサリンさんとノーラが頭を抱えていた。
東亜地中海にできた暖気の壁。ここを大きな寒気団が越えられないのが問題だった。だけど、寒気を小さく千切れば、海を渡ることに気づいたんだ。
そこでキャサリンさんたちは半月ほど前から寒気を壁に止められない程度の大きさに千切って、龍状列島に波状攻撃を仕掛けたけど──
「千切った寒気は高気圧になってございます。それが元の寒気団から離れますと、後ろに逆向きの渦巻きが生じて、そこに低気圧が生まれますわ。これが南から暖かい風を引き込んでございますので、暖かくなるのは当然かと存じます」
フェイミンさんがうまくいかない理由を解説してくれた。
今の状況は天気図で見ると、何とも複雑だ。千切った寒気は、いくつもの小さな高気圧になっている。その間にたくさんの小さな低気圧ができているんだ。おかげで西高東低の冬型にならないから、龍状列島では初雪が遅れるほど暖かくなってる。
九月下旬の寒さがウソだったみたいに、一一月になってもなかなか地上が冷えてこない。さすがに冬が近づいてくる分だけ冷えてはいるけど、平年と比べたら……ねぇ。
「フェイミン、そういうことは、もっと早く教えてくださいな」
「ご忠告申し上げても、聞く耳を持たなかったではございませんの」
またキャサリンさんとフェイミンさんの言い合いが始まった。
「おばあちゃん。その話、前にも聞いたでしょ」
「誰がおばあちゃんですの! 失礼ですわ!」
キャサリンさんを茶化したのは、現場を視察に来たイツミさんだ。
セイラさんの『支局長訓練』は今も続いている。それで仕事を任せている間、それまで溜まっていた仕事を片づけ、それも終わったので現場の視察に来たというわけだ。
「それにしてもミリィ。どうすれば、ここまでグダグダになるのかしら?」
イツミさんが事情説明を、あたしに求めてきた。
「理由を一つ一つ挙げたらいくらでも出てきますけど、正直言うと、みんな、いつも通りにやってるはずなんですけどねぇ。何も変わったところはないのに、なぜか歯車が噛み合ってない感じで……」
「うん、わかってるわ。こうなるとセイラの貢献度が、思っていた以上に大きかったと思い知らされるわね。半年待ってみても、誰もセイラの代わりにはなれないんだから……」
イツミさんがそう言って、ふっと空を見上げる。そのセイラさんは、今も本部にいるもんね。
『ユメミぃ。南に台風をいくつも作ったのだ。これで本当に北が寒くなるのか?』
そこへライチから通信が入ってきた。
たしかに台風がいくつもできると、その影響で北側に高気圧帯ができやすい。これからの季節なら、その高気圧帯が寒気を引き寄せようとする。その高気圧は今、龍状列島の上にできている。ここまで寒気を張り出させることを狙ってのことだろうか。
でも、そのために南の海を台風ができるほど温めたの?
すでに太平洋の南米沖ではエル・ニーニョが発生し、温かい海水は東側に集まってるはず……。
それに今の季節は偏西風が強いからね。ここに高気圧を作っても、明日には東の海上だ。代わりに西にある低気圧がやってくる。
それ以前に、ユメミあての連絡が、あたしの方へ来ている。
「ライチ。呼び出す相手を間違えてるよ。呼び直して」
『え? 呼び間違えてないのだ。これ、ユメミのところから、ミリィに飛ばされてるのだ』
「あたしに飛ばされてる?」
話を訝しく思って、目をユメミに向けた。そのユメミは今も宴会を……。
「あら、珍しく潰れてるわね。いったい、どれだけ飲んだのかしら?」
「そういえば、いったい何か月、飲み続けてたのかな? たしか『梅雨が明けるまで我慢して』と言ったら、速攻で梅雨を終わらせてくれたあたりから……」
「あれ、ユメミのせいだったの? それからって、もう五か月近く……」
イツミさんがあきれている。
「ユメミって、こんなに長く宴会してたの?」
「う〜ん。珍しいですね、いつもは半月ぐらいでお酒が尽きたのか終わってましたけど……」
いつものことだからすっかり忘れてたけど、ユメミ、最近の気象操作にまったくからんでこなかったわね。
周りにいる下級精霊たちも災難だ。誰もが完全に生気を失ったゾンビ。酒ビンを持って徘徊し、生者を仲間に引き入れようとしている。
「ユメミ。ちょっと起きて。ライチから連絡が来てるわよ」
酒樽にもたれて寝ているユメミを揺すって、軽く起こそうとする。
「ほわぁ〜。連絡ぅ〜? あと五分待ってぇ〜……。あははぁ、お空が回ってるわぁ〜……」
ユメミが珍しくヘベレケになってる。そのユメミの持つ端末計算機を拾い上げたイツミさんが、
「ユメミが時間内に出ない時は、録音ではなくミリィに連絡が行くように設定されてるわ」
という通信設定を確認する。
『ユメミぃ。台風を作ったけど、これからどうするのだ?』
ライチが改めて、寝ボケているユメミに声をかけた。
「台風ぅ? それならいつもの秋台風のぉ……。あれぇ、もう一一月だぁ。九月が終わってるぅ〜」
『おい!』
寝ボケるユメミに、同時にツッコミが入った。酔っ払って季節を二か月も間違えていたの?
先ほどまでいたところでは、
「キャサリンさま。雨を降らせれば気温が下がりますのね」
「ちょうど低気圧が来てますから、あれを利用しましょう」
「お二人さま。雨降りで気温が下がるのは、暖かい季節の話でございます。これからの季節は、雨が降った方が暖かくなると存じますわ」
三人がこれからの気象操作で、わんやわんやと意見を出し合っていた。
『はい。現場がグダグダですか? それで、わたしに調整の手ほどきを聞きたいと……。さて……』
本部にいるセイラさんを呼んで、調整のヒントを聞くことにした。
イツミさんも自分が思っていた以上に利いてたので、気になったようだ。でも、
「セイラがいつも現場でやってることよ。それに、みんなが能力を発揮できるように、いろいろやってるでしょ?」
『いろいろ……ですか? 何もやってなかったような……』
セイラさんは素でやってたのか、本気で自覚してないらしい。
「作業の調整、してたでしょ?」
『すみません。わたしは見てるだけです。そのあたりはユメミさんがうまくやってくれていて……』
ユメミが調整役だった? ずっと宴会をしてるだけにしか思えないんだけど……。
「そのユメミなら、もう何か月も宴会を続けてて、何もやってないわよ。あれで調整なんて……」
『あら、珍しいですわね。いつもでしたら半月ぐらいで満足されて、自然と解散してましたけど』
「……ん? どういうこと?」
イツミさんが、セイラさんの答えに疑問を感じたようだ。というより、何かに感づいたのか……。
「セイラ。あなた、ユメミが宴会をしてる時、何をしてるのかしら?」
『一緒に飲んでますわ。あ、でもユメミさんの飲み方はすごいですからねぇ。同じペースで飲んだら身体を壊してしまいますから、適当なところで参加者を入れ替えて……』
「入れ替え? そんなことをしてたの?」
『はい。そもそも、みなさんがいっせいに宴会に集まられたら、仕事に差し支えが出るでしょう。ですので、宴会はお仕事を済ませた方が優先で順番待ちをしていただいて……』
「ミリィは、気づいてた?」
イツミさんが確認してきた。
「いえ、まったく……。言われてみれば、最近、お手伝いの数が少なかったけど、あれ、ユメミが酔い潰したせいだけじゃなかったんだ……。それにユメミの宴会に大勢集まってても、なんやかんやでお手伝いの数が確保できてたのも……」
これは気づかなかった。
「セイラ。ユメミが半月ぐらいで宴会をやめるって言ってたけど、そこのところを詳しく教えて」
「あ、それも気になる。お酒が尽きたからやめるのは知ってるけど、尽きる前に自分でやめるなんてあるの?」
『それでしたら酔い潰れる方を出さないようにすれば、満足して自然とやめますわ』
「…………はあ〜?」
セイラさんが意表を突くことを答えてくれた。
「酔い潰れた精霊を出さないって、どういうことです?」
『そのためにも参加者を適度に入れ替えるのですわ。酔い潰れそうな方を見つけたら、早々に引き上げてもらいますの。……あ……』
セイラさんが答えながら、何かを思い出したようだ。
『そういえば、飲むペースの落ちた方に早めにお帰り願ったら、数日で満足されて宴会が終わったことがありましたわ。すっかり忘れてました』
「なるほど。最初から最後までハイペースで飲めたら、すぐに満足して早く宴会が終わると……。その発想はなかったわ……」
じゃあ、今の酔い潰れた精霊が死屍累々と転がっている状況は、ユメミがいつまでも満足できないデス・スパイラル……。
で、それをセイラさんは、天然でやっていたと……。
「さて、今の状況を、どうやって収拾つければいいのかしら」
イツミさんが肩をすくめて、そんなことを言ってくれた。
すでにグダグダになった気象管理。ホント、どうすればいいんだろう。
「イツミさん。セイラさんの支局長訓練、いつ終わるんでしたっけ?」
「延長線、しようかしら?」
セイラさんに頼るなって言いたいのね。イツミさん、優しいようでスパルタだ。
向こうではキャサリンさんとフェイミンさんが、今も言い合いを続けてる。ライチは完全に黙り込んで、指示待ちモードだ。
さて、この冬、この状況で、ちゃんと気象管理できるのだろうか。
急に自信がなくなってきた……。