目に涙を、胸に炎を
八月お題「祭り」より!(大遅刻)(ごめんなさい)
今でも鮮明に覚えているのは、どこか懐かしい香の香りと、あいつの、死人のくせに小綺麗な顔である。
人は死んだら終いだ。毎日のように交わされていた電子メッセージは途絶えてしまい、二人で計画したケーキバイキングに行く約束は果たされない。
人は死んだら終いか? 私の中には彼女と一緒に笑い合った思い出が今もなお煌めいて、その友愛の軌跡は私を励まし続ける。
なんにせよ、リン酸塩入りの水が、蛇口を全開に捻ったみたいに出るわ出るわ。しかし、いつまでも垂れ流しにしているわけにはいかないので、ガバガバの蛇口をそれでも精一杯引き絞って、毎日毎日引き絞って、気づいたら蛇口は錆びていてくれて、雫の一滴も溢れることはなくなった。
会ってどうする。そう聞かれたら、ただお喋りをするんだ。としか言いようが無い。お喋りをして、何になるんだ。と聞かれたら、伝えたいことがあるのだと、高尚な言い訳をしよう。理屈がいるなら幾らでも取り繕う。とにもかくにも、あいつに会いたい。
「お客さん、睡逢祭に行くんですか?」
タクシーに揺られながら外の景色を眺めていると運転手さん(見た目年齢五十歳ほどの男性である)がバックミラー越しに私の顔をちらりと見て、そう尋ねる。流石地元のタクシー運転手なだけあって、あの奇祭の存在を知っているらしい。
「参加するつもりです。あ、帰省も兼ねているんですけど」
「へぇ、地元の人? まぁ、そうでもないと、あのお祭りの存在は知らないだろうしねぇ……この時間ってことは直接会場に行くんですか?」
「そうですね、もう、直接行く感じです。大学にギリギリまで居たので、こっちに来るのもギリギリになっちゃいました……」
「へぇ、大学生? 何を勉強しているんです?」
「薬学を……薬剤師になりたくて」
「へぇ、薬剤師! 資格系はいいですね、安定しているから。薬剤師なら給料も良さそうだ」
「いえ……そうでもないですよ。……ただ、病気の人の助けになりたいなと」
「なるほど……! いやぁ、立派な心がけですね」
運転手さんは笑って、しかしそれきりでしばらく沈黙した。その表情はどこか遠くを見つめているように感じる。ごーっと、タイヤがコンクリートの地面を走る低い音が車内に響く。景色が見慣れたものになってきた。私の生まれ育った町に近づいてきたのだ。
「お客さん、俺もね、あの祭に出たことがあるんですよ。妻を病気で亡くしてね」
再び口を開いた運転手さんは心なしか悲しげな表情をしている。そうか、奥さんを……愛する人間を亡くしたという点で私は運転手さんにある種の同情をした。
「それは、残念でしたね。痛み入ります。あの……奥さんとは、どんな話をしたんですか?」
「ん〜。大した話はしてないんですよ、ははは。まぁ、なんというか、近況報告を軽くして……あとは適当に…………生きていた時のような、他愛のない会話をね」
恥ずかしそうに笑う運転手さんの目には、今でもまだ、その夜のことが焼き付いているのだろうか。ぼうっと遠くを見つめているような瞳である。……もちろん、思い出に浸っていてくれて構わないんだけど、事故は勘弁してくださいね運転手さん。
「失礼ながら、お客さんは……誰に?」
「私は、友達に……」
「へぇ、友達ですか。……お気の毒に」
運転手さんがブレーキを踏み、きゅっとタイヤが動きを止める。エンジンのかかったタクシーが上下に細かく震えたまま、私は運賃メーターに示された運賃を三千円で支払った。
「今夜は熱帯夜だそうで。体調には気をつけて」
「はい、気をつけます。ありがとうございます」
「きっと、良い日になりますよ」
言いながら、お釣りと一緒に運転手さんが缶入りドロップを缶ごと渡そうとするので、そんなに沢山頂けませんと丁寧に断ると、
「ははは。いいんですいいんです。残り少ないもんで、遠慮せずに受け取って下さいな」
にこっと笑ってそう言うものだから、ありがたく頂いておいた。確かに、持ってみると軽く、中身が残り少ない感じがする。笑顔で手を振る運転手さんに、こちらも笑顔を作って手を振り返す。ぶおー。勢い良く走り出すタクシーがどんどん小さくなっていった。
「気さくな人だったなぁ」
カラカラ。手に持った缶の中でドロップたちが小躍りする。せっかくだから一つ摘もうと、直方体の缶の蓋を開けた。ふわっと立ち込めるフルーティな匂いはドロップをよく舐めていた幼少の頃を思い起こさせるようだった。思えば、あの頃は物事に素直であった。愛想笑いなんてしないし、自尊心を保つ為の見栄も張らない。面白いものを面白いと言い、つまらないものをつまらないと言う。そして欲望にも素直なわがままであった。しかし今は見る影もない。何をするにも、何を感じるにも他の人の目を気にして、自分自身の目も気にして、とても素直とは言えない反応をしてしまう。それは社会の中で生きる人間という生物にとって必要な能力であるのだが、やはりどこか窮屈だ。
でも、あいつの前なら、私は自由なわがままだった気がする。
缶をひっくり返し、開け口から顔を出したのは白濁色のドロップである。これは、ハッカ味だな。口の中がスースーするやつだ。今はその気分じゃないかな。そう思い、もう一振りする。コロン。白濁色がもう一つ飛び出した。もう一振り、ハッカがコロリ。あれれ。もう一気に出し切ってしまえと何度か連続して振ると、左手に残り全てのドロップが溜まった。……全部ハッカじゃねぇか!
****
さて、時刻は六時を過ぎた頃である。祭は日没より始まるからちょうどいい時間だろう。タクシーを降りて、もう日暮れが近いためにかなり薄暗くなった森の中に入り、もう十分ほど歩いているが、そろそろ着く頃だ。というか着いてくれ。夕方のくせに暑すぎる。しかも日程の関係上、今日から帰省だから帰省用の荷物がお供してやがる。つまり荷物が少し重い。だから早く着け。と思っていると右側に開けた空間と無数の点々とした灯りを見つけた。ここだ。足の回転が早くなる。木々の横をすり抜けて広い空間に出る。するとすぐに、地面に設置された無数の提灯で照らされたその空間の、ド真ん中にそびえ立つ巨大な一本の樹に視線が引き寄せられた。睡逢樹だ。とにもかくにも巨大な樹である。高さも太さも並ではなく圧倒的な存在感を誇る。また、その周りには木どころか草の一本として生えていない。この巨大樹が辺り一面の養分を吸い取ってしまっているのだろうか。子供の頃に見て以来の神秘の樹に見下ろされて身体が強張るような感じがする。
「こんばんは。睡逢祭にご参加ですか?」
睡逢樹を見上げていると巫女姿の女性に話しかけられた。提灯のぼんやりした光の中に若い女性の可愛らしい笑顔が浮かんでいる。って、私もまだ二十三じゃないか。どうも最近は二十歳前後の女性を「若い娘」と見なしてしまっていけない。まるで自分は若い娘ではないみたいに。私だって若い娘なんだもん! ぷんぷん丸! うわ、きっつ。
「はい」
「わかりました。では、こちらへどうぞ。もう間も無く日が落ちて祭が始まります」
案内されたのは睡逢樹を囲むように造設されている屋根付きの寝床である。階段を登ると木の板が敷き詰められた床の上に布団が二列で敷かれ、奥までずらっーと続いている。そんな簡素すぎる集団用の寝床である。
「空いている布団でお眠りください。その際に必ず、逢いたい人の顔を思い浮かべてお眠りくださいますよう、ご注意くださいませ……それから、ご存知と思いますが、睡逢の奇跡は一生に一度切りですので、ご注意ください」
「わかりました。ありがとうございます」
巫女さんの説明は実に簡単であった。あまり祭りについての詳しい説明はしないのであった。それはおそらく、この祭の秘匿性の高さ故なのだろう。この祭の概要を把握していない人間はそもそもにここに訪れることはないのだ。そう、奇跡を使うたった一人の人間を決める覚悟を持っていない人間も。
この木造寝床はU字型に睡逢樹を囲んでおり、私はUの空いた口からこの広場に入ってきたのであるが、その入り口から見て右側の寝床、つまりUの字の左上の方の布団に入り、眠ることにした。周りにはぽつりぽつりと人がいるが満員には程遠い。人の熱気で蒸すことはなさそうだ……とはいえ、今夜は熱帯夜であるから、こんな野ざらしに近い環境で眠れるか心配だ。まぁ、贅沢は言っていられないのだけれど。
今日の日没は六時四十分。現在の時刻は六時二十分。もうそろそろ眠る態勢に入った方が良さそうだ。荷物を布団の横に置き、靴下を脱いで布団に入る。違和感しかないが、我慢だ、我慢。そうだ、もう一度、あいつに逢うためならば。汗はじっとりうざったいけど。荷物が盗られないか不安だけれど。あいつに逢うためならば。
嘘じゃあないよね……? 今更ながらに、疑う自分がいる。本当に、ここで眠るだけで逢えるのだろうか。ドキドキ……ドキドキ……心音がうるさい。しかし心音に集中していると、不思議と気持ちが落ち着いていく感じがした……。
****
「わぁ!」
わぁ!? 突然顔の前に現れた女の顔と大声に私は驚いた。そして次の瞬間に目を疑った。気がつけば、私が居たのは真っ白な空間である。真っ白で、見渡す限りに何もない、地平線のみが広がる、そんな空間である。私と、この目の前の女性を除いては。
「瑞美…………!?」
「はぁい」
私が女性の名を呼ぶと、その女性はにっこりと笑って手を振った。本物だ……本当に、瑞美だ!
不思議なんだけど、今、私はこれが夢であることも自覚しているし、さっきまでクソ寝苦しい思いをしていたことも完全に覚えている。すごい、こんなことが本当に起こるなんて。故郷の町では当たり前の風習となっている睡逢だけれど、実際に起きるまではやはり、ほんの少し、その超常現象を疑う気持ちもあったのかもしれない。目の前の奇跡に身が震える。
「うそ……瑞美に、また逢えるなんて……」
「おいおい、自分で逢いに来ておいて何言ってるの」
「だって、だって……瑞美!」
ぎゅうっと抱きしめる。もしや触れられないのではないかという不安が頭を過ぎったが、それは杞憂だった。華奢で小柄な瑞美の身体はすっぽりと私の胸の中に収まり、しかし無駄にある瑞美の胸の贅肉が私の平らな胸を柔らかく反発する。オラぁ! 潰してやる! しぼめ! 私は腕の筋肉の出力を最大にして瑞美の身体を締め上げた。
「うがぁ……苦しい! 苦しいよ! もう……」
「逢えて嬉しい」
「私もだよ。元気でやってんの?」
「うん、元気だよ」
抱擁を解いて、瑞美の顔を見る。くりくりした目に太めの、しっかりとした眉が特徴的な顔は相変わらず整っており、小ぶりな鼻とふっくらした唇が実に羨ましい。生前はもちろんよく一緒に並んで歩いていたが、私はお世辞にも美人と言える顔ではなくて少し負い目を感じていた。こういう考えをしてると瑞美に怒られてしまう。
「相変わらず美人だな」
怒られてしまうのに、負い目や嫉妬の少し漏れたような言い方をしてしまった。すると瑞美はにっこりと笑って口を開く。この笑い方はムッとしている時のそれだ。
「瑞季もね」
こつん、とデコピンをされた。痛い、夢なのに。
「で、最近どうなのよ。私の死後はワッツアップ?」
「なに、その言い方。別に? 特に変わったことはないよ?」
「えー、つまんね。瑞季、今いくつ?」
「二十三」
「二年も経ってんじゃん。見た目あんま変わってないけど、なんかあるだろ! 聞かせろよ、ビッグニュース! じゃあ、あれ! 彼氏できたん? ひょっとして未だおぼこちゃんなのか?」
小馬鹿にして煽るような言い方であるが、しかし私の胸中は至極穏やかである。そういえば、こいつ処女のことをおぼこって言うんだったと、懐かしく思う余裕さえあった。
「残念、違います。できました」
ピースサインを浮かべてみせる私を見て、瑞美は生前でも稀に見るくらいに大きく目を見開いて驚愕した。その表情はつまり、私に彼氏はできていないだろうという予想をしていたという意味である。私は半ギレになって続けた。
「ちなみに相手は瑞美の元彼な? あっくんな?」
「えっ……まじ?」
嘘である。
「マジ」
「へ、へぇ……そっか……」
瑞美は視線を私から逸らして、少し苦笑いしてから再び私の方を見た。なんだか、こいつは良いやつだから、素直に『おめでとう』的なことを言いそうだったので、私はすぐに、
「うそぴょーん」
と舌を伸ばしながら遮った。そしたらげんこつが飛んできた。
真っ白な空間に座り込んで、お互いに失われた時間を埋めるかのように、とにかく色々な話をした。私の夢(薬剤師になることである)の進捗とか、瑞美の亡くなったことを受けた皆の反応とか……。その会話中、瑞美は一切の弱音を吐かず、私の生を妬むような態度も見せなかった。そういう性格なのだ、瑞美は。常に前向きだった。どんなに辛いことがあっても、ポジティブに振舞っていた。それは私や周りの人間に自分の受けた不幸が伝染しないようにという思いから来る振る舞いなのだと思う。果てしなく優しくて、そして頭の良い女だ。
いつも通りの会話をいつも通りに出来る幸せ。だけど、現実では、「いつも」ではなくなってしまっている悲しみ。それらを噛み締めながら、時間は着々と進んでいく。もうどれくらい経ったろう。分からないが、考えたくないタイムリミットを考えなくてはいけないくらいに時間は経過している。
「ねぇ、瑞美……言いたいことがあるの」
「なんだい」
座り直して、声のトーンを少し下げて、私は切り出した。
「あの……ね……」
しかし、その後がどうも続かない。どこかに気恥ずかしさがあって、そのせいで言葉が喉元を通り過ぎてくれない。言葉が喉につかえる嫌な感覚のまま沈黙をしていると瑞美はふっと笑った。
「私、瑞季が好き」
笑って、ぽんと、私の頭に右手を置いた。私は不意を突かれて固まってしまった。
「友達思いで、ちょっと引っ込み思案で、私の話を真剣に頷いてくれて、下らないジョークが好きで……ドジで、試験直前にいつも慌てて、おっぱいが小さくて、背が低くて、笑顔が可愛くて……知らないこともまだまだ沢山あるけど……私、そんな瑞季が大好き」
瑞美は微笑みながらそう言って、だけど言い終わったら、その微笑みは段々と崩れ始めた。両の目の長い睫毛が濡れ、眉毛がお辞儀をする。瑞美の言葉を照れ臭く、嬉しく感じながら、私もまた、決壊しそうだった。二年前に錆びついたはずの蛇口が徐々に開き始めていた。
「…………ごめんね」
俯いて、ぽつりと漏らす瑞美。
「謝んないでよ! 私も大好きだよっ……!」
そんな瑞美を見て、私の錆び付いていた涙腺は決壊した。涙が次々に滲み出て来る。何で死んでしまったんだ。何でもう二度と逢えないんだ。何でもう二度と一緒に笑い合えないんだ。こんなに大好きで、こんなに仲良しで、こんなに大切な親友が何で……。理由なんてないのだ。理由がないからこそ、なお悲しいんだ。
「瑞美……ありがとう。私と、友達になってくれて……仲良くしてくれて」
涙で視界がぐちゃぐちゃになって、声は細々震えて、それでも何とか伝えることができた。瑞美はそんな私を見て、涙で濡らした目を細めた。
「それが……? 言いたかったこと?」
「うん……」
「もう……私こそ……ありがと」
ぎゅっと抱き締められる。瑞美の顎が私の肩へ乗っかったので、私も自分の顎を彼女の肩に預けた。瑞美の体温、匂い、柔らかな身体、これらの情報が私の脳を支配する。もうこのまま、いっそこのまま、あの世へ攫ってくれとさえ思った。馬鹿みたいだ。恋人も家族もいるのに。でも瑞美がいないと私の人生は色が失われた虹のように味気なく意味のないものに思えてならない。不思議だ。血の繋がっているわけでもない。将来を約束した恋人でもない。なのに、何で。何でこうも離れたくないのだろう。いつの間に、彼女は私という存在の一部分になってしまったのだろう。
「なに死んでんだ、ばか」
「ごめんて」
「ばか、ばか、ばか、ばか!」
何度も繰り返した。こんなことを言われて、瑞美だって困るってわかっているのに、それでも続けた。言わなくては気が済まなかった。
「一緒に、もっと色々なところに遊びに行くって約束しただろ! 就職したら、美味しいお酒飲みに行こうねって、約束しただろ! お互い結婚したら、親友としてスピーチしようねって、約束しただろ! ずっと、一緒だって……約束しただろ……?」
瑞美の肩が私の涙でずぶ濡れになる。瑞美はごめんね、と何度も繰り返して、そうして私の肩も濡れた。
「なんで死んぢゃったんだろう……。急に目の前が真っ暗になって、そしたら、誰もいなくて……瑞季にもう、逢えなくて……。ごめんね、瑞季。ごめんね」
何やってんだろう、私。なに瑞美に謝らせているんだ。辛いのは、瑞美なのに。私は瑞美の体を優しく包みながら、右手を瑞美の頭の後ろへやって、そうして優しく撫でた。
「ごめん、勝手に言いたいこと言って。瑞美の方が辛いよね」
「ううん。大丈夫だよ……?」
「いいんだぞ、私の胸で泣いて」
普段、弱いところを見せない瑞美だけど、こんな時くらい、私にくらい、弱音を吐き出して欲しくて、私は涙に濡れた目を精一杯細めて、そして両の手を広げた。すると瑞美はふっと鼻で笑うようにして言う。
「……はは。この、なけなしの胸で?」
お前ふざけんなよ、感動のシーンだぞ。涙目で突っ込むこの感じは何だか不思議である。
「嫌なら結構なんですけど」
「うそ!」
首を横に振りながら言って、瑞美は私の胸に飛び込んできた。おらぁ! その平らな胸で絞め殺してやるよぉ! と私はアナコンダ瑞季になって瑞美を締め上げようとしたが、さすがに勘弁しておいた。
私の胸に顔を埋めて、瑞美はわんわん泣き始めた。こんなに泣く瑞美を見るのは初めてで、正直驚いた部分もあったが、それでも私に弱いところをさらけ出してくれているということに感じる嬉しさの方が勝っていた。一頻り泣いて、瑞美は少し落ち着いてきたらしかった。
「瑞季……寂しいよ」
「うん」
「まだ、死にたくなかったのに……まだ、やりたいこといっぱいあったのに……!」
「うん、うん」
「なんで、死ななくちゃならなかったの。私、何か悪いことした? してないよ。なのに、なんで私が」
「うん……」
なにも言ってあげられない自分にがっかりする。人が死ぬとき、そこには死因という医学的理由は存在するものの、瑞美の言うような道理は一切ない。ただ、どんな人間もいずれは死ぬと言う、寂しい平等があるのみである。しかし死のタイミングは人によって違うのだから、死は理不尽なものだと言わざるを得ない。
「……ふぅ、よし。ありがとう。楽になったよ」
顔を上げた顔を上げた瑞美の、泣き腫らした赤い目と雫の光はどこか美しかった。まっすぐな瞳には何か強い覚悟を感じられた。私は少し申し訳なくなって、
「何も、気の利いたこと言ってあげられなかったのに?」
と言うと、瑞美はにっこりと笑った。
「……そこで瑞季が頷いてくれているだけで……十分!」
その言葉で私の気持ちが少し楽になる。ありがとう、と私は笑った。すると瑞美はゆっくりとした動作で上を見上げた。もちろん上も真っ白なこの空間だから、瑞美は何かを見るために上を見上げているのではないだろう。
「ねぇ……月並みだけどさ、瑞季、私の分まで生きて……!」
「うん……任せて!」
こちらに向き直って真剣な眼差しで言った瑞美の願いを、私もまた真剣に受け止めて、強く頷いた。瑞美が微笑んで、ありがとう、と言うと、辺りが突然に真っ暗になった。
「え!?」
思わず声が上げてしまう。少し足りとも光のない闇の世界に放り込まれ、その暗闇への恐怖よりもっと、瑞美にもう会えないのではないかという恐怖の方が強い。必死で大声を上げ瑞美を呼ぶ。しかし返事はない。まだ、話したいこと、言いたいこと沢山あったのに。もう、時間切れなの!?
「瑞美ーー!! ありがとう! 大好きー!!」
それならばせめて、この言葉だけでも届け。私の瑞美への感情の、九十九パーセントを表せる、この言葉だけでも。
突然に闇が弾けた。眩い光が辺りを包み込む。次の瞬間、私は布団の上にいた。夜が明けていた。陽光が眩しい。周囲から人のすすり泣く声が聞こえてくるのは、この人たちも夢から覚めてしまったからだろう。
私は凛として立ち上がった。瑞美が見ているかもしれないから、泣いてなんかいられないという決心があった。でも私の涙腺はもう決壊してしまっていた。両目から一筋、涙が頬を伝った。
睡逢樹は堂々たる立ち姿を披露している。その幹の隣に瑞美が立っているような気がした。そうして、親指をぐっと立てて、私を励ましているような気がした。見ててね、きっと、瑞美の分まで精一杯生きるから。
人は死んだら終いだ。毎日のように交わされていた電子メッセージは途絶えてしまい、二人で計画したケーキバイキングに行く約束は果たされない。
人は死んだら終いか? 私の中には彼女と一緒に笑い合った思い出が今もなお煌めいて、その友愛の軌跡は私を励まし続ける。
いや、終いではない。私の生で、瑞美の生を終わらせない。固い決心が胸に宿り、まるで炎のように燃え上がり始めた。




