閑話3 アレスの過去
俺は、両親の顔を知らない。
物心ついた時から王都より遠く離れた、ある孤児院で育っていた。
あれは、俺が8歳の誕生日の時の話だ。
「アレスー!」
「うわっ!?」
アレスの背中に突如衝撃が走り、振り返ると友人のハデスが飛びついているのがわかった。
「なんだよ、いきなり」
「お前、今日誕生日じゃん?」
「誕生日というか、俺が拾われた日らしいけどな」
この孤児院では出生のわからない赤子は拾われた日を誕生日と定めており、様々な種族の子供達が集められている。
アレスはまだ生まれて間もない頃、路肩に捨てられていたのをシスターに拾われて孤児院にやってきた。
「アレスさ、プレゼント貰ってないだろ?」
「そうだけど、あまり裕福なところじゃないし、気持ちだけで十分だよ」
「それなんだけどさ………ストロベの実がたくさんなっている場所、見つけたんだ」
「………何?」
ストロベの実とは赤く小さな果実で、一口食べただけで甘くて頰が落ちるほど美味であり、庶民から貴族までデザートとして食卓に並ぶほどである。
この孤児院では月に一度だけ、食事の時にデザートで出るため、施設の子供たちは楽しみにしている。当然アレスたちも例外ではない。
「ここから少し離れた場所にたくさんなっていてな、こないだ抜け出した時に見つけたんだ」
「ああ、それで叱られてるのににやけてたのか」
ハデスはたびたび施設を抜け出して外の世界を冒険と称してあちこちを見て回ったり、秘密基地を作ったりして遊んでいる。
外は危険な魔物や盗賊がいると何度もシスターに怒られている。
「な?ちょうど今、シスターも買い出しでいないし……どうだ?」
「どこだ?すぐに案内しろ」
アレスは二つ返事で了承した。
「それじゃ、あそこの窓からーー」
「あんたたち一体どこに行くつもり?」
声がした方を振り向くと、薄緑色のショートヘアーで耳の尖った、気の強そうな女の子が立っていた。
「ヘ、ヘラ!」
ヘラはアレスが孤児院に来てから数ヶ月後に、拾われてきたエルフの女の子である。
アレス、ハデス、ヘラは日常のほとんどを共に過ごしている仲良し三人組だ。
「天使様にお祈りはしたの?」
「あ、まだだった」
天使とは世界の秩序を保つ役割を担う聖なる存在で、この世界を創造したと言われている。この孤児院は教会でもあり一日1回、お祈りをしなければならない。
「めんどくせーな」
「そんなこと言ってミカエル様の罰が当たっても知らないわよ」
「はいはい」
この孤児院ではミカエルを長とした宗教が信仰されている。
「で、あんたたちは一体何をするつもりだったの?」
「えーっと……」
ジトっとヘラに睨まれ二人は言葉を失う。
「まーた、ハデスは抜け出そうとしてるのね。シスターに言いつけるわよ?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「この間も怒られたばかりじゃない、あんたニヤニヤしてて反省もしてなさそうだったし。それにアレスまで一緒に抜け出そうとして」
ヘラは二人に対して母親のように説教をする。アレスたちにとってお目付役のような存在だ。
「違うんだ、これは……」
「何が違うのよ。この間だって秘密基地作るとか言って、その前なんか珍しい鳥の卵を取りに行ったりとかして、森の中は危険な魔物がいっぱいいるってわかってるの?襲われたら私たちみたいな子供はすぐに死んじゃうのよ?」
「いや、ストロベの実がなってるところを見つけて……」
「詳しく聞かせなさい」
ハデスがストロベの実と言った途端、ヘラの態度が一変した。それだけ絶品な果実なのである。
「へぇ……そんな場所が」
「ほ、本当だぞ。なんならヘラも来るか?」
こちら側に引き込めば、シスターの怒りが分散されるのを見越してハデスは共に抜け出そうと提案する。
「う、でも……抜け出したら後で………でもストロベの実は……ゴクッ」
ヘラは戻った後に怒られるということと、ストロベの実という魅惑に葛藤しているとチラリとアレスの方へと視線を向ける。
「アレスも……行くの?」
「え?あ、ああ一応、俺の誕生日プレゼントみたいな感じらしいし」
「一応じゃないけどな」
アレスたちがそう答えるとヘラは少し顔を赤くして口を開いた。
「ま、まあ、あんたたちを見張らなきゃいけないわけだし?行ってあげても……いいわよ?べ、別にアレスと一緒にいたいわけじゃ……」
ヘラは最後の方を小声になりながらそう返答した。
「よし、早速出発するぞ。他の人にバレないようにな」
「そんじゃいつも通りに、あそこの窓から外の様子を見てから抜け出そう」
そう言ってハデスは自分の机から長い棒状のものを取り出し、先端についている鏡で外の景色を写す。
「どうだ?」
「よし、今は誰もいないぞ。行くなら今だ!」
アレスたちは外の様子を見た窓の下に立てかけてある木の板を外すと、子供一人分が通れるくらいの穴が現れる。
孤児院の建物自体が古いためにあちこち老朽化が進み雨が降ったら雨漏りがするなんて日常茶飯事だ。
「ほら、ヘラも……」
「ぐぬぬぬぬぬ!」
アレスとハデスがその穴を匍匐前進で通り抜け、続けてヘラも通り抜けようとすると、お腹が引っかかって上半身だけが穴から這い出ている状態だった。
「……お前、また太ったんじゃないか?」
「うるさいわね!ぶっ飛ばすわよハデス!」
「しっ!誰か来た!」
建物の影から足音が聞こえてきていた。
「ヘラ、早く!」
「ちょ、あんたたちも手伝いなさいよ!」
そう言われてアレスたちはヘラの腕をそれぞれ掴んで引っ張る。
「せーのっ!ぐぬぬぬ!」
「うぎぎぎ!」
「い、痛いわよ!……きゃあっ!」
「ぬおっ!」
スポンとヘラが穴から抜け出るとアレスに覆いかぶさるように倒れた。
「痛たた……」
「ちょ、ヘラ…」
「何よ……っ!」
顔を見合わせると、互いに赤面して視線を逸らした。
「二人とも!早く隠れて!」
「あ、そうだった。ヘラ!」
「う、うん!」
三人は近くの茂みに飛び込み、そのまま息を潜めていると、三人と比べて一回り小さな男の子が建物の影から出てきた。
「あれー?ハデス兄ちゃんたちの声がしたと思ったんだけど、気のせいだったのかな」
その子は誰もいないことを確認すると、来た方向へと戻って行った。
「……ふぅ、危ないところだった」
「全く、あんたたちといるとロクな目に合わないわ」
「今のはヘラが引っかかったからだろ?」
「何よ!私が悪いってわけ!」
ハデスとヘラがギャーギャーと言い争いをしていると、アレスがふふっと笑う。
「楽しいな、こういうの」
「何がだ?」
「俺たちさ、親や身寄りの人間がいないけど、こうやって皆でワイワイできて、幸せだなぁって」
アレスの言葉に二人は言い争いをやめて、ヘラはそれに同意するように頷く。
「……確かにそうよね、私たちって結構幸せな生活を送れてるわよね」
「ずっと、こんな生活が続くといいよな」
「天使様のご加護がずっと続きますように」
アレスは自らの幸せな生活を噛みしめるように言う。