閑話1 出会い
入学式から遡ること1時間前——
シャロンは自分の入る部屋の前でじっと立ち止まっていた。
これから初対面の人と暮らすことになる。もし気の合わない人だったら?強気な人だったら?そう考えると引っ込み思案な彼女にとってとても怖かった。
「…よし!」
コンコン
意を決したようにシャロンはドアをノックした。だが中から何も反応はなかった。まだ誰も来ていないことにシャロンは安堵し、ドアを開け中に入った。
「広い…」
部屋の広さは泊まった宿の部屋よりも広く、女子寮ということもあり鏡や化粧台、クローゼットなど揃えられていた。
さらにここは特待生の人に振り分けられる部屋で、化粧品やお菓子やジュースなど無料で提供され、個別用の風呂まで完備されている。もちろんシャンプーなども無料である。
一通り部屋の中を見た後、シャロンはベッドに座り、これからのことを考えた。
相部屋になる人はどんな人なのか、ちゃんと会話できるのか、怖くないのか、心の内は不安でいっぱいだった。
「クーラス…」
彼の名前を口にした時、ドアが開いた。シャロンが一瞬ビクッとなり恐る恐るドアの方を見た。
「!」
するとそこにいたのは魔法の試験の時、グロリアからひどい扱いを受けていたアクリーナが立っていた。
アクリーナはシャロンと目が合うとすぐフードを深く被り、怯えるように部屋の隅に移動してそこに荷物を置いた。
その様子を不思議に思ったシャロンは声をかける。
「ねえ」
「っ!」
アクリーナは大きく体を震わせ、恐る恐るシャロンの方を見て口を開いた。
「な、なんでしょうか……」
「なんでそんなに怯えてるの?」
何かに怯えるようなアクリーナの様子にシャロンは疑問に思った。
「や…その……」
質問してさらにオドオドする彼女にシャロンは少しイラつきを感じていた。何を怖がっているのか、なぜ怖がるのか、これでは会話にならないとシャロンは思った。
「ちゃんと話してくれない?」
「っ!ご、ごめんなさいごめんなさい!お願いですからやめてください!」
「えっあっ」
少し口調を強めただけでアクリーナは大きく取り乱し、その場で頭を抱えながらうずくまる。その様子を見てシャロンは戸惑った。
「お、落ち着いて!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」
アクリーナはただそう繰り返すだけでシャロンの言葉は何も届いていない様子だった。どうしようかとうろたえていたシャロンだったがアクリーナが次に発した言葉で目が覚めた。
「役立たずでごめんなさい生まれてきてごめんなさいこんな、こんな気持ちの悪い見た目してごめんなさい…」
「気持ち悪い?別にどこか怪我しているわけでもないし色が違うわけでもない、顔も可愛いし、それに片目だけ赤いなんてかっこいいと思う」
「!」
シャロンは心の中でそう思ったつもりだったが声に出ており、アクリーナにも聞こえていた。
「嘘…」
「あ」
「み、みんな、そう言って、私から、離れていったもん……」
シャロンに対し憎しみのこもった視線を向けながら彼女はそう言った。アクリーナの頭の中は今までに優しい言葉をかけてきては陰で悪口を言ってきた人間がグルグルと回っている。
「そ、そんなこと」
「嘘よ!」
アクリーナはシャロンの言葉を聞くことを拒絶するように大声で否定する。いつものシャロンであればここで何も言い返さず、泣くかその場から逃げ出してしまっただろうが彼女はアクリーナに近づいて行った。だが性格のためか体は震え、内心は不安であった。
「お願いだから落ち着いて」
「来ないで!」
「きゃっ」
アクリーナがシャロンを突き飛ばし、シャロンは尻餅をついた。
「痛…」
「あ…」
途端にアクリーナの顔が青くなる。自分はなんてことをしてしまったのかと、普通の人間ならばただの喧嘩で済むが彼女は違った。
「あ、ああ…」
体が震え出し、表情が絶望に染まっていく、自分はとんでもない過ちを犯してしまった。周囲から嫌われ一族からも疎まれる存在である朱眼の忌子アクリーナ、そんな自分が他人を傷つけてしまったことに彼女はひどく後悔した。
どんなことをされるのか、彼女の人生を振り返ってもそんなのは容易く想像できることであった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!お願いします!!なんでもしますから殺さないでくださいぃ!!」
先ほどよりもさらに取り乱し、土下座をするアクリーナにシャロンもさらに戸惑う。
「だ、だから落ち着いて!」
「ごめんなさい許してくださいお願いします。だ、だから殺さないでぇぇ」
「ど、どうしよう〜」
しばらくそんな状態が続いていると
「ごめんなさいお母さん……約束を守れなくて…」
「!」
アクリーナがポロリと口にした『お母さん』という言葉にシャロンは反応した。
母親の顔は知らない、幼い頃に父から自分が生まれてすぐに亡くなったと聞かされてはいたがあまり興味を持たなかった。クーラスの母親はまるで自分の娘のように可愛がってくれた。
しかし血の繋がりはない、所詮は他人、本当の意味で親子ではない。もし母親が生きていたら、そんなこと本来ならば何度も考えたはずなのにクーラスと共に過ごす時間が何よりも楽しかったから1度も考えたことはなかった。
アクリーナの言葉を聞き、シャロンの内からふつふつと色々な感情が湧き上がってきた。
「あ…れ…?」
シャロンの目から頬を伝って涙が床へと落ちる。
「なん…で…」
気づけば自分の両目からは涙が溢れて止まらなかった。
何もしてこないことに不審に感じたのか、落ち着きを取り戻したのか、アクリーナはふと顔を上げた。目の前には先ほどと打って変わって静かに大粒の涙を流しているシャロンの姿が目に入った。
「へ?あ…」
シャロンにとって初めて自分には母親がいないということをはっきりと自覚し、母親がいないことが悲しい、寂しい、そして他人にいることが羨ましい、妬ましいなど様々な感情が渦巻いていて気持ちの整理がつかない状態だった。
「え、あ、お、落ち着いて!」
アクリーナはシャロンに駆け寄り、先ほどと立場が逆転した。
「だ、大丈夫…?」
「…うん、ありがとう」
アクリーナが心配した様子で言葉をかけ続け、シャロンは落ち着きを取り戻した。
「あなたも落ち着いたみたいだね、よかった」
「あ…」
シャロンはそう微笑みかけた。この状況を見て、アクリーナはまたシャロンから離れようとしたが腕を掴まれた。
「待って」
「ひっ」
「落ち着いて」
「…はい」
掴まれていない方の手を使ってアクリーナはフードを被り直し、表情もまた不安そうな顔になっていた。
それをシャロンは無言で払いフードから顔を出させた。
「!?」
「なんで顔隠すの?」
「だって…私の見た目……」
「見た目?普通に可愛いよ」
そう言われアクリーナがシャロンの方に視線を向ける。彼女はキョトンとしており嫌悪感を抱いてるように見えなかった。一瞬本当にこの見た目を嫌っていないのかと考えた。
だがこの程度、偽装魔法を使えば簡単に隠せること、すぐ《偽装解除》をシャロンに向けた。相手に悟られないよう《隠蔽》もかける。
「…え」
「?」
しかしシャロンの表情は一切変わることがなくキョトンとしたままだった。アクリーナはそんなことはないと言わんばかりに何度も《偽装解除》をかけ続けた。
だが、それでも表情が変わることはなかった。
「…嘘」
目の前にいる彼女は、本当のことを言っている。
「嘘じゃな…」
その瞬間、床に水滴が落ちる。
「っう、うぅあああ」
アクリーナが声を上げて泣き出した。こんな自分を嫌わず、普通に接してくれる存在に感極まった。シャロンは一瞬戸惑ったが、すぐに先ほど自分がされたように抱擁して慰める。