九話:過ぎた力、過ぎたキス
「アイシャ、顔を上げろ」
俯いて視線を逸らしたアイシャの肩が小刻みに震えているのがわかる。
「ほら、斧・ウイングだよ」
アイシャの頭がガクッと一際大きく揺れたかと思えば、次いで全身ががくがくと震え出す。
「ほら、遠慮せずに見てみろ。信じられるか? 俺、飛んでるんだぜ。この斧・ウイングで」
アイシャの耳が赤い。
とうとう手で顔を覆い隠してしまった。
仕方ないのでゆっくりとアイシャに近づく。
そして、がしっとアイシャの頭を両手でしっかりと持ち、顔を強引に俺に向けさせた。
「斧・イヤァァァッ!!!!」
俺の顔の左右から斧刃がジャキンッと生える。
「……ブフッ!?」
アイシャが噴出した。
「笑ったな……? 今、お前は俺を見て笑ったな?」
「お、お兄ちゃん……ちが、ちがうのふふ、ふふっ、うっ、ぐへっ……!」
無理やり声を押さえているせいか、アイシャは苦しげに嗚咽を漏らし出す。
もはやまともに言葉を発することができないようだ。
まあ、わかってたけどさ。
「あなたあ、超カッコいいッ!! 素敵ッ!!」
むしろエイミアの反応のほうがおかしいだろう。
斧刃生やした姿のどこがカッコいいってんだよ。
「ご主人様、やはりあの時、あなた様は本気ではなかったのですね」
「そうだけど、そうでもないさ。俺が本気になったらあんな洞穴一撃で崩れちまう。そうなると困るから力を出せなかっただけだ」
「左様でございますか。ちなみにもう一点申し上げてよろしいでしょうか」
「好きにしてくれ」
「……後ろ、来ていますよ」
「ああ、わかってる」
振り向けば巨大オークの棍棒が真上から迫って来ている。
崖の崩落を真下で見上げているような圧巻の光景と圧迫感。
おもしろい。
だが、それだけだ。
斧・イヤーを戻し、代わりに手の甲に斧刃を生やしてそのまま振り上げる。
「よう後輩――」
落ちてきた棍棒と俺の手斧が接触する。
なんてことはない。
落ちてきた岩など、魔斧の前では紙くず同然だ。
接触した瞬間、棍棒に亀裂が走り、そのままさらに刃を振り上げると炭を割るより容易く砕け散る。
そして無数の石礫と代わった棍棒は、持ち主へと襲い掛かった。
顔にその直撃を食らったオークは、悲鳴のような大きな唸り声を上げて仰け反り、大樹よりも太い手でその顔を守ろうとする。
が。
突如その視界が開けたからか、ただただその醜い顔に疑問符が浮かんだ。
どうやらまだ、己の腕が吹き飛ばされたと気付いてはいないらしい。
ならば、気付かないままでいい。
「――先輩の一撃、試してみろよ」
振り上げた腕に一際大きな斧刃を作り――
「よく覚えておけ。これが、初代殲撃砕城の勇者の一撃だ――-ッ!!!!」
――振り下ろす!
その脳天に斧が接触した瞬間、オークの全身が大きく波打つ。
震える唸り声が大きな口から漏らされたが、それが怪物の最後の言葉となった。
次いで起こった爆発音と共に、ガラスが砕けるようにオークの身体が粉々に爆散し、怪物のいた場所には穢れた雨が降り始める。
魔斧は魔斧自体の魔力と対象の魔力を反応させて、接触と共に衝撃波を送り込む魔法兵器だ。
衝撃波は接触の瞬間に夥しい数連続して打ち込まれる。
それを受けた末路は、今まさにオークが体現した通りで、何もかもを粉々に粉砕されることになる。
だが加減をしたところで、その攻撃は対象と共にその周囲をも破壊してしまう。
俺が味方からも恐れられる存在になってしまったのはそれが理由。
でもそれも当然だ。
こんな力、もはや一人の人間が持ち得るようなものではない。
そして、そんな人間を超えた力を行使し続けた俺は、ある日その報いを受けた。
その結果が、魔斧と一体化してしまったこの姿。
「さて……」
しかしさすがに城を越すほどの巨体。
衝撃波をたっぷりと吸収してくれたおかげで、オークの立っていた足元の森は小さなクレーターが出来ただけで済んだようだ
ほっと胸を撫で下ろしつつ、俺は三人の許へと戻る。
着地して斧刃を収めた俺がまずやる事は――自身の身体の確認だ。
「あぁッ! くそっ、やっぱりやり過ぎた!!」
靴を脱いだ瞬間にそれが目に飛び込んできた。
「……あれ、あなたの足の指のそれなあに? おしゃれ?」
「だれが好き好んでこんなもんやるかよ……」
「ほう、なるほど。そういうことでしたか、ご主人様」
そこへ息も絶え絶えといった様子のアイシャも加わってくる。
「お、お兄ちゃん……さっきはごめんね。もう大丈夫だから! ちょっと驚いちゃっただけだから!」
「斧・イヤー」
「ぐふッ!?」
アイシャが腹を抱えてその場に崩れた。
「見て、お姉ちゃん。あたしの旦那様は耳が斧なんだよっ」
「良かったですね、エイミア。長く生きた私でも目にしたことのないびっくり人間です」
「誰がびっくり人間だ」
剣を飲むやつとか、牛乳を一瞬で飲むやつ等と同じにされても困ります。
こっちはもっと深刻なんだから。
「それよりご主人様、その足の爪はつまり……」
「ああ……斧だ。力の代償として、爪が斧に変わっちまったんだ……」
アイシャが後ろでまた噴出し、なんとかそれを押さえようとしているのか頭をガンガン地面に打ちつけ始めた。
「はあ……はあ……ごめんお兄ちゃん。もう、大丈夫だから……」
「額から血が出てるんだけど? そんなにか? 痛みでごまかさなきゃ直視できないレベルかと問いつつ斧・スラッガー」
ニョキッと俺の頭に斧刃が生える。
「……」
「あれ、どうしたアイシャ。ほらご覧、鶏冠みたいだろ。斧・スラッガーだよ――いてえッ!?」
無言で引っぱたかれた。
「なにすんだよッ!? 笑いたきゃ笑えばいいだろ! 我慢できないからって俺を叩く、うわッ!? おい、やめろ! わかったから叩くのをやめろッ!!」
「お兄ちゃんの……お兄ちゃんのバカッ!!」
「俺だって……好きでこんなバカみたいな身体になったんじゃねえよッ!!」
「違うもん! お兄ちゃんの意気地なし! 斧!」
誰が斧だ。
しかし俺に掴みかかったアイシャの瞳からぼろぼろ涙が毀れるのを見て、俺は何も言えなくなる。
「なんで……なんで相談してくれなかったの!? 私じゃ頼りにならなかったかもしれないけど、お父さんやお母さんがいたじゃない! なのになんで一人で勝手に私達の前からいなくなったの!」
「それは……」
「私達が怖がるとでも思ったの!? 逃げるとでも思ったの!? 見損なわないでよ、お兄ちゃんがどんなのだって、斧人間になったって、私達はみんなお兄ちゃんのことを嫌いになったりしない! そんなこと、そんなことあるわけないのに……」
泣き崩れたアイシャが俺の胸に顔を埋める。
躊躇いながらも、俺はそんなアイシャに腕を回して背中をさすってやる。
すっかり大きくなったけど、その身体は華奢で、今にも折れてしまいそうな程に細かった。
俺がいなくなり、両親が他界し、アイシャには随分と心細い思いをさせてしまっていたのかもしれない。
「ごめんな……アイシャ」
嗚咽を漏らすアイシャは俺の身体に這わせた腕にぎゅっと力を入れる。
アイシャは聡明で周囲に妙に気を遣う子供だった。
きっとアッシュ達が他界した後も気丈に振舞ってきていたに違いない。
これまで相当な無理をしてきたんだろう。
アイシャに応えるように俺は彼女を抱きしめる。
今はこうしてやるのが、アイシャにとって一番良いことだろうと信じて。
「失礼ながらご主人様、一つよろしいでしょうか」
空気を呼んで黙っていてくれるのかと思えば、ラミアが歩み寄り淡々とした口調で言う。
「頭に斧を生やした男と、頭にカエルを乗せた女の抱擁など、見るに耐えないのでお止め頂けませんか」
「…………ですよねえ」
言われなくてもわかってんだよ。
だってずっとアイシャの頭に乗ったカエルが俺の目の前にいるんだもの。
もうカエルと見つめ合って抱き合ってるって錯角しそうになってたぐらいだもん。
「それと、もう一つよろしいでしょうか」
「なんだよ。もう好きにしてくれよ」
「それではお言葉に甘えまして……」
「……ん? え、おい、待て、なにをッ!?」
ぐいっと襟首を引っ張られたと思えば、宙に投げ出される。
何が起こっているのかもわからず、身体が落下し始めたかと思えば、それをラミアが抱きかかえるようにキャッチした。
ぶつかりそうな距離に瞳と縦長の瞳孔がある。
そう思った次の瞬間、唇に柔らかな感触が押し付けられた。
「んんッ!? んん、うむぅぅッ!?」
渾身の力で引き剥がそうとするがさすがドラゴン。俺を抱く腕はびくともしない。
だが逆に、俺の口の中では妖艶に精力的に彼女が動き回っている。
「んんんんッ! んむ、うあ……うぅ……」
粘った水音を漏らしながら、その口が離れ、同時に解放された俺はどさりとその場に崩れた。
「……ごっくん。ごちそうさまでした」
「お姉ちゃん!? あたしの旦那様になにしてるの! あたしも、あたしもそれやる!!」
「や、やめて、無理……もう無理……や、いやあッ!!」
「何を生娘のような反応をしていらっしゃるのですか、ご主人様」
そう言われても、もはや思考が停止して何が何やらわからない。
突然大事なものが奪われた気分で、俺は思わず自分の肩を抱いた。
「え、ええええエロ書物! エロ、エロ書物ぅぅぅッ!!」
アイシャはそれしか言わねえのかよ。
「ねえ、あなたあ……あたしもごっくん」
「お願いやめて……これいじょう俺を汚さないで……ッ!」
「汚すとは心外です、ご主人様。私は自分で汚すより、ご主人様が汚され汚しているのをそっと覗き見るのが専門です」
「え、エロ書物! エロ書、エロ書物ぅぅぅぅッ!!」
「アイシャ! もう俺もいっぱいいっぱいなんだから勘弁してくれ! いいかげんアッシュが草葉の陰で泣きながら切腹してんぞ!?」
「エ、エロ書物ぅ……」
なんだこの生き物。
エロ書物って鳴き声なのかな?
「ちょっと、ちょっと待ってくれ。もう色々あり過ぎて何がなんだか……」
「そうですね。ご主人様、よろしければ一度家に戻られてはいかがでしょうか。私も少々用意したいものがありますし」
「ああ……、そうだな。いったん休もう。いったん落ち着いて冷静になればきっと、きっと大丈夫だ!」
「ええー、あたしとごっくんは?」
「思い出させないでッ!? 今ちょっと忘れたふりして心を落ち着けようとしてたんだから、その話はやめて!! せめて時間をちょうだい!」
ほんとなんでこんな目に合わなきゃいけないってのか。
疲れ果てた気分で俺は家へと戻ることにした。
そして戻ってみれば、
村はもぬけの殻と成り果てていた。