六話:草の名は
ぼんやりと机の木目に視線を落としているところに、ことりとコップが二つ置かれる。
そしてそのコップと同じようにエイミアが俺の横に寄り添った。
「あの人間のことがそんなに心配なの?」
出て行ったアイシャはラミアが探しに行った。
俺がそれを望んでいるからと、何も言っていないのに俺の心中を察してくれたらしい。
俺はそんなラミアの言葉に甘えて、アイシャを追うこともなく家で待っているだけ。
確かにアイシャの言う通り、これでは引きこもりだな……。
言葉を返さない俺に、何を思ったのかエイミアはぴたりと身体を寄せて来る。
竜人であっても、身体はあたたかく柔らかい。
少しだけ気が紛れる……いや癒されるような感覚があった。
「ところで、あなたあ。何かしてたんだろうとは思ったけど、昔は魔族と戦ってたの?」
「……ああ、そうだ。これでも古来から伝わる魔神器の使い手として、多少名の知れた戦士だったんだよ」
「これでも? ドラゴン二頭を相手にした人がなに言ってるの。あなたはすごいに決まってるよ?」
俺が言葉を返したからか、それとも寄りかかっても何も言わなかったから許されると思ったのか、今度はエイミアが抱きつくように手を回してくる。
それを跳ね除けないのは、やはり俺が今少し傷心だからだろうか。
「俺だって……戦いたかったんだ」
「でも、そうしたくないからやめたんでしょ」
「……ああ」
「だったらそれで良いんじゃない? あなたがそれで良いと思ったなら、それで良いんだよ」
そうかもしれない。
だけど、アッシュとミリスの死がその先にあると知っていたら、俺はあの時どうしただろうか。
今いるこの道を、許すことができただろうか。
……きっとできなかった。
そもそも俺は、この選択を良かっただなんて思ったことは、どうやら一度もなかったようだ。
「エイミア、もし俺がそれで良いと思ってなかったとしたら……どうする」
「うーん。あたしはあなたの妻だから……あれ、ほら……背中を消し飛ばす?」
「ドラゴン過ぎるだろ。……言いたいことはわかったけどさ」
そう言いながら礼のつもりで微笑みかけると、エイミアは嬉しそうな顔をして頬を俺にすり寄せる。
十分に、背中を押してはもらえた。
戻るかは別として、ひとまず今はアイシャを探しにいくべきだ。
そう思ってエイミアを引き剥がしながら立ち上がると、室内にノックの音が響く。
「お姉ちゃんかな?」
ようやく俺から離れたエイミアが扉を開けると、そこにいたのは村長だった。
外に出てみれば村中の村長が集まっていて、みなどこか暗澹とした表情を浮かべて俺を見つめていた。
魔斧の勇者、それは魔族を滅ぼす希望とうたわれる者――勇者と呼ばれた者の一人。
俺にとっては昔の話だが、彼らにとってはそんなこと関係ない。
山中でひっそりと住みたいものには邪魔な存在だろうし、親族友人が魔族の被害に合っていれば、こんな場所に逃げ込んでいる俺を憎む者すらいるだろう。
素性がばれたからには、当然の結果だ。
「お騒がせしてすみませんでした……。彼女は俺を迎えに来たようです。もう俺も……ここからは出て行くことにしますから、安心してください」
そう言わざるを得ない。
もうこれまでのように暮らすことなんてできないだろうから。
俺の言葉を受けて、一人の老いた男性村長が一歩前へと歩み寄る。
「何を言っているのかね。君はワシらの大事な……村長じゃないか」
「……村長……」
続いて向かいに住む老いた女性村長が、隣の村長が、少年村長が……みんなが俺を囲むように集まる。
「あんたがむかし誰であったかなんて、私たちには関係ないのよ村長。だって村長は、村長じゃないの」
「そうだよ、村長! みんな村長みたいなもんだろ!」
「そうじゃな、村長の言う通り、わしも村長のことを一人村長のように思っておるよ」
「村長ズ……」
「おいおい、村長のくせに村長前で泣く村長があるかよっ」
「いいじゃない。村長だって泣きたくなる時ぐらいある村長」
「村長……村長に……ありが村ッ」
みんなで抱き合い笑いあう。
戦場しか知らず行き場所の無かった俺を受け入れてくれた場所。
ここはもう俺にとって村長基地のようなものだ。
本当に、ここに来て良かった村長……。
「村長ばっかであたし全然意味わかんない」
などとエイミアが呟きながらヒゲを引き千切ってまわっているが、俺達の村長愛にも似たこの村長を断つなど非村長にだって無理なのだ。
色々悩みはしたけど、俺はここにいてもいいんだと、そう思えた。
確かに俺は戦場から逃げた。
そうしなければ止められた運命もあったのだろうと思う。
だけど、俺だって逃げたくて逃げたんじゃない。どうしても、逃げるしかなかったんだ。
だから悪いけど、やっぱり俺は戻りたくない。
戻らずとも出来ることがあるはずだ。ここで出来ることをすればいいはずだ。
俺は、ここにいたい。
俺は――人間のままでいたい。
「ちょっと待ったぁぁぁッ!!」
裂帛の声がそこへ飛び込んでくる。
振り返れば、息を切らせて顔を黒いすすのようなもので汚したアイシャが立っていた。
その手に、妙なものを持って……。
「アイシャ、良かった」
「ご主人様」
アイシャを連れて来てくれたらしいラミアが静かに俺の許へと近づく。
安堵で表情を緩めた俺とは逆に、ラミアはうっすらと眉根を寄せていて、何か問題があったのであろうことを知らせていた。
おそらく、アイシャの持っている植物に関係があるのだろう。
「少々まずいことになったかもしれません」
「そうなのか……。いや、でもひとまずアイシャを連れて来てくれて助かったよ。ありがとう」
「ならば良いのですが」
含みのある言い方でスッと下がるラミアに代わり、アイシャがずかずかと俺達――村長ズの前へやって来る。
妙に自信満々というか、鬼の首を取ったとでもいうような得意げな表情と態度。
そしてアイシャは、ぐわっと手にした植物を掲げた。
それは犬か狐の尻尾のような植物の穂だ。
毛が生えたようにもこもこしていて、無償に触りたくなってしまう不思議な魅力を持った植物だった。
それを見た瞬間、なぜか背後の村長ズから動揺するような声が漏れる。
「ついに見つけたわ!!」
「どうしたんだよ、アイシャ。そんな変な草を持って……あと頭にカエル乗せて」
「お兄ちゃん、これが何か知らないの……?」
「ああ。なんか抱き心地良さそうな草だけど、それがどうしたんだよ」
「さっき私は他の用件でここに来たって言ったよね。私の探してたのはこれなの! 探していたのは――」
背後で村長たちがあからさまにうろたえている。
いったいあんな草に何をうろたえる理由があるというのか。
いや、頭にカエルを乗せた少女を前にしたら誰でもうろたえるか。
お兄ちゃんは恥ずかしいぞ? アイシャ。
「――この、モフモフ草よッ!!」
俺の心中など知ったことかとばかりに、アイシャは得意げにそう言い放った。
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