五話:頭の上が良いゲロ
「粗茶ですが」
エイミアの投げた雑巾がべちゃっと机の上に落ちる。
やるならせめてぞうきんの絞り汁だろうに……いやそれもダメだけど。
アイシャの前に置かれたぞんきんを片付けつつ、エイミアにきちんとしたお茶を用意するよう言いつける。
その間、どころかここに連れられて来てからずっと、アイシャは一言も喋らず座ったまま顔を伏せている。
酷い仕打ちを受けたというわけではないはずだが、意気消沈……というより調子が悪いようにも見えた。
「久しぶりだな……アイシャ」
もう今さら正体を隠し通せるわけもなく、俺は彼女に声をかける。
彼女の反応を見た村長達にも俺の正体はばれてしまっただろう。
これではもうこの村にはいられないかもしれない……。
アイシャは俺の呼びかけにも反応しない。
ただ俯いたままだ。
そこへ、そっと添えられた。
カエルが。
「……なんでだよ」
「粗茶でございます、ご主人様」
姉妹揃って粗茶を何だと思ってんだよ。
しかもカエルべちゃべちゃだし。
アイシャの頭に乗せられたカエルから、どろりとした液体が顔へ垂れている。
「お前は何だ。馬にカエルに触れるもの全てをべちゃべちゃに濡らすのか」
「ご主人様……セクハラは、NOッ!!」
「お前が言うんじゃねえよッ!! しかも起こったことそのまま言ってるだけだろうがッ!!」
「あなたあ、お待たせ! 粗茶だよ!!」
「それは粗茶じゃねえ! それは……それは何だッ!?」
「ご主人様、それはスライムの残骸を乗せたエイミア特製のパイでございます」
「なんでそんなもんがある――うぶッ!?」
「あ、ごめん。手が滑っちゃった」
顔にスライムパイをぶつけられて穴という穴にスライムが詰め込まれた。
ズレ落ちたパイが机の上にべちゃりと落ちる。
どこもかしこもべっちゃべちゃだ。
「お……お兄ちゃん……」
頭にべちゃべちゃのカエルを乗せたアイシャが震える声を漏らし、上目遣いでパイまみれの俺に視線を向ける。
「……お、おしっこ漏れそう……」
「お前、ぶん殴るぞ」
元気なかったんじゃなくて、トイレ我慢してただけかよ。
ちょっと言い過ぎたかもしれないが、もう勘弁してくれ。
わけのわかんないのは二人だけでキャパオーバーだ。
カエルを乗せたアイシャをトイレに行かせて、べっちゃべちゃの室内を掃除。
鼻に入ったスライムの残骸を取るのに苦労させられた。
俺はいったい、何をやっているんだろう……。
よし、忘れることにしよう。
アイシャを家にいれたところからやり直すことにしよう。
それしかない。
「ひさしぶりだな、アイシャ」
戻ってきたアイシャにもう一度呼びかける。
「ごめんお兄……い、いえ、失礼致しました。お久しぶりです。レオン・シュミット様」
アイシャも居住まいを正してやり直してくれるようだ。
が、頭に乗せたカエルは取ってきてほしかったなあ。
「見てお姉ちゃん、あいつカエル乗せてるよ」
「まあ、最近の人間の女ときたら、産卵中のカエルを頭に乗せるだなんて、さかっているのでしょうかね。はしたない」
あの液体、カエルの卵だったのかよ。
「レオン様、この度の突然の訪問お許しください。実はここに来たのは別の用件だったのですが、あなた様のことはずっとお探ししておりました」
まじめに話してくれてるんだが、顔にデロンと垂れ下がったカエルの卵が気になって集中できない。
「単刀直入に申します。あなた様のお力があれば、戦いの形勢を逆転できます!! どうか、どうか私と一緒に来てください!!」
「……アイシャ」
「今、我々は魔族に押されつつあります。魔斧の勇者、あなた様がいらっしゃった頃とは状況が変わったんです。今ならきっと、今度こそみんなお兄ちゃんのことを認めるはずです! だから!」
「アイシャ……とりあえずそれ拭こうか」
もう顔のべちゃべちゃが気になって仕方が無い。
「子供扱いしないで! ちゃんとトイレから出た後に手は拭いたもん! 私だってもう十七の大人なんだよ!!」
「いや、子供でも大人でもカエルの卵垂らしてるのはおかしいから。手じゃなくて顔を拭こ?」
「はぐらかさないでよ! 戻ってきてよ、お兄ちゃん!! もう誰も昔のようにお兄ちゃんのことを馬鹿にしたりできない。したことをみんな後悔するに決まってる。だから私と一緒に――」
「アイシャッ!」
びくりと肩を跳ねさせたアイシャが、傷ついたような顔をする。
そういえばこの子に声を荒げたことなんて一度もなかったかもしれない。
「アイシャ、お前は俺が悪く言われてたから戦場を去ったと思ってるみたいだけど違うんだ。それにどちらにせよ俺はもう戻るつもりはない。……あと頭にカエル乗ってるからそれ取ろ?」
「なんで……なんでよ!? お兄ちゃんは正義のヒーローだったじゃない! 味方も壊滅させるとか、近くにいてほしくないだとか、酷いこと言っている人はいたけど、でも魔斧に選ばれた勇者……殲撃砕城の勇者としてお父さんと一緒に人々を守るために戦ってたじゃない!」
「もうあの頃の俺とは違うんだ……。あと頭の上の――」
「お兄ちゃんの嘘つきッ!!」
机を叩き立ち上がったアイシャの頬に涙が伝う。
あとカエルの卵も伝う。
ゲコッ、とカエルも苦しげに鳴いた。
「みんなを守ってくれるって……私を守ってくれるって言ったのに! こんなとこで引きこもって……なんで、なんであの時にいてくれなかったのよ! なんで戻ってきてくれなかったの!! そのせいでお父さんは……お父さんとお母さんは……」
「アッシュとミリス? ……まさか……」
「……お父さんは……父は、魔族の軍勢との戦いの中で戦死しました。母もその知らせを受けて倒れて、そのまま……」
アイシャの父であるアッシュは年上の男だったが、あいつと俺は親友だった。
殲撃砕城の勇者の名の通り、俺は魔斧を持った破壊力だけの戦士。
その一撃で敵軍と共に近くにいる味方まで滅ぼす破壊兵器などと呼ばれ、誰も俺に近づこうとはしなかった。
そんな俺と共に肩を並べて唯一戦ってくれたのがアッシュだ。
それが可能なほどにアッシュもまた、俺と同じく力を持っていた。
そんなあいつが、やられるだなんて……。
「戦況はがらりと変わってしまいました。父が亡くなった戦いから、人類は魔族に押され防戦一方となってしまっています。……それに対抗できるのは、お兄……レオン様しかいないんです。ですから……だから……お願いします!」
深々とアイシャは頭を下げる。
なんでカエルは必死にその頭にしがみついているのだろうか。
なんだこのど根性ガエル。
そっと俺はそのカエルを取って机の上へ逃がした。
「ごめんアイシャ。さっきも言ったが、俺はもう戻るつもりはないんだ」
「……どうしちゃったの、お兄ちゃん……。あの頃のお兄ちゃんは……私を守ってくれるって言ったお兄ちゃんはどこに行っちゃったの!?」
「……ごめん」
「ずっと、いなくなったのは何かどうしようもない理由があるからだろうって思ってた。それでもきっとみんなの為に、どこかで戦っているんだろうって思ってた。……なのに、こんなところに引きこもって、女の人二人もはべらかして……最低だよ……こんなことなら会わなきゃ良かった!」
「待てアイシャ、俺にも色々とあったんだ。それとはべらかしてはいない!」
「もういい! 顔も見たくない!! ずっとこんな山村に引きこもってその人達といかがわしいことでもしてればいいゲロッ!」
アイシャが家から飛び出す。
「待て、待つんだ、アイシャ!! カエルになり始めてるぞッ! アイシャァァッ!!」
再び頭によじ登ったカエルと共に、アイシャが走り去っていく。
あわてて外に飛び出した俺だったが、カエルの卵で足を取られている間に見失ってしまった。
くそっ……。
俺は足にまとわりついた汁を乱暴に地面にこすりつけ呟く。
「カエルいるなら、そっちを料理してくれよ……」
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