十四話:ドラゴンクラッシャー
「いやあああああッ!? 見ないで、助けて、見ないで、でも助けてえええッ!!」
スカートを押さえながらアイシャが落ちてくる。
それを両手で迎えると、手にべちゃりと何かが付着した。
「アイシャ……お前……」
「ち、違う違う、ちがあうッ! ちゃんと私トイレでしたもん! そしたらいきなりドラゴンに咥えられて持ち上げられて、その時にドラゴンの涎がついたんだ……。え? ここ、どこ?」
アイシャにもトイレでいきなりぼっとんされた俺の気持ちが少しはわかってもらえただろうか。
俺とは逆に、アイシャはトイレから一気に上昇させられたという違いはあるけど。
「俺も初めてだよ。ドラゴンに乗るだなんてさ」
ドラゴンの姿に戻ったラミアは、俺の家を破壊しながら一気に上昇。
今は村の上空を旋回中だ。
きょろきょろと周囲を見まわし眼下を覗き見て、それを理解したアイシャは腰が抜けたようにラミアの背にぺたりと座り込んだ。
「ほんとに……ドラゴンだったんだ」
百聞は一見に如かずとは云うものの、さすがにそれがドラゴンだと衝撃が強すぎるだろう。
しかも背に乗って空の上。
物語の中でも滅多にお目に出来ない展開だ。
呆けたような顔をするアイシャから視線を外して、ドラゴンの背を確認する。
ラミアはもちろん、エイミアも無事だ。
良かった、と思いつつ、視界に入った馬とカエルの姿には小首を傾げざるを得ない。
よくあの状況で背に乗せられたものだ。
「馬とカエルは当面の食料として丁度良いかと思いまして」
俺の疑問を予知していたのか、ドラゴンの姿に戻ったラミアがそう告げる。
すると呆けていたアイシャが肩を跳ねさせ、馬とカエルを振り返った。
「無事だったんだね、エリザベス! ガブリエル!」
エリザベスはカエルらしいが、ガブリエルは……馬か。
「その馬、お前の馬だったのか」
「そうだよ。森の中で離れ離れになっちゃってたんだけど、お兄ちゃんが保護してくれてたんだね。よかった、ガブリエル」
保護っていうか食料として保存されてたのに近いですけどね。
でも食べなくて良かった。
親友の娘の馬を食べたとか、何をしても挽回できないエピソード作っちゃうところだったよ。
アイシャと馬とカエルの謎の感動の再会はいいとして、それより問題は地上の惨状だ。
覗いてみれば、既にスライムの被害は村全体に及んでおり、ほとんどの家屋が崩れつつある。
状況から見て、本当に村を取り囲むようにスライムが配置されていたのだろう。
村の外周は既に溶かされ、今は中心部にある家屋や井戸に多くのスライムが取り付き、一塊となりつつある。
それは思った以上に巨大だ。
合体時にある程度水分を捨てて消化液の濃度だけ増すはずなのだが、それでもラミアと同じ程度の大きさは残るかもしれない。
そんなものがもし一直線に町へ進んだとしたら、どれだけの人が犠牲になるかわからない。
「また断るのかもしれないが、お前等の熱線であれを焼き払うことはできないのか」
「無論可能です。しかしその場合、我々の吐く炎は森を焼き尽くすまで消えることはないでしょう」
町が犠牲になるよりはいいが、しかし森が消えた場合でも薬草採取や狩りが出来ず町へのダメージは計り知れない。
ならばどうするか。
できることはある。
きっとそれは俺にしかできない。
歯噛みしていると、俺の逡巡を察っしたかのようにラミアは言う。
「ご主人様、私がなぜ薬草採取に出ていたかお分かりでしょうか」
「薬草……? そういえば家に戻ってすぐに行ってたな」
「はい。その昔、私は人間の街に住み、そこで薬学を会得いたしました。その知識を持ってあるモノを作る為に、薬草採取に出かけていたのでございます。ちなみにもう一つお聞きしますが、私がディィプなキィッスをあなた様にしたのは、ただの欲情だけではございません」
……思い出させないでくれない?
恥ずかしくてどうしていいかわからなくなるから。
あと言い方がねちっこいし、欲情もしてたのかよ。
そういわれると余計に恥ずかしいんで、やめてくれないかな。
「なんだよ、何か他にも意味があったのかよ……あれ」
「無論です。我々ドラゴンは人間のいう魔法生物の頂点に位置するもの。そこに人間のこそこそと蓄えた知識が加われば、当然人間に不可能なこともできるというものです。あれは、あなた様の体液を採取し解析することを目的とした行為です。そして大まかですが、解析は完了致しました」
「解析って、まさかこの、斧化してる俺の身体の状態がお前にはわかったのか!?」
「はい。エイミアのご主人様とのなり染めの話は作り話でしたが、その中でエイミアは面白いことを言っておりました。あなた様はまさしくなりつつあるのです。そう――斧竜に」
「……」
だからどうしろと、言うんでしょうか。
「先程申しました通り、あなた様の肉体は、言うならば竜人に近いものになっています。それはつまり人間とドラゴンの間。あなた様は少しずつ魔法生物の身体へと変化しているのです。そして解析したところ、魔力にとっての血管にあたる魔力経絡が変化することで、それが進行しているということがわかりました」
「斧人間の次は斧竜かよ。どんどん人間から離れていってるだけじゃねえか……」
「それを悲観されるのはドラゴンとしては承服致しかねますが、しかし、話の肝はそこではありません。あくまで今お話ししたのは、解析の上で判明した事柄です。肝心なのはそれら状況がわかれば、ある程度対策も取れるということです。完治とは申し上げられませんが、しかし、私の力と知識を持てば、あなた様の斧化の進行を抑える薬程度なら、作成が可能でございます」
抑えられる……?
この身体が斧に、斧竜になるのを……ッ!
「本当か……本当に止められるのか!?」
「おそらく問題はないかと思います。進行を止める程度であれば可能です。なにせ私、ドラゴンですから。エッヘン。ちなみに試作品は先ほど作り終えてございます。エイミア、薬のEをご主人様に」
「うん? お姉ちゃん、Eなんて書いてある薬ないよ?」
「……急ぎでしたからね。逆になっているかもしれません。3と書いてある薬は幾つありますか」
「3は二つあるよ」
「……じゃあそれのEっぽいのをご主人様に」
「――ちょっと待てや、おい」
確か三番ってのはあの洞穴で出てきた内の片方じゃなかったか。
九番を飲んで助かったんだから、残りの三番は……股間が爆発。
また?
またその二択なのか?
「ご主人様」
「わかってるよ! でも、でも股間が爆発は……」
「それもそうなのですが、少々予想外の事態となってきております。下をご覧ください」
言われるがままに覗き込むと、巨大スライムが見たこともない程に活動的に動き回っている。
その様は酔っ払って暴れているかのように、触手を振舞わして転げまわっているように見えた。
「もしやするとあれは……モフモフ草の影響かもしれません。スライムにしては動きが早いと思っておりましたが、どこかの軒下にでも隠されていた乾燥モフでも取りこんだのでしょう」
「なんだよ、乾燥モフって」
「乾燥モフは文字通りモフモフ草を乾燥させたものです。想像してみて頂ければお分かりになると思いますが、乾燥させることで当然モフモフ感は死滅します。それはもう、モフモフの犬が雨に濡れたが如しです。犬なら乾かせば良いのですが、乾燥モフはもう二度とモフモフにはなりません。乾燥モフを吸引したものは、そういった強い絶望感により自暴自棄となり、リミッターが外れて死ぬまで暴れ続け、そしてモフりたいだけの人生を終えます」
なに、その馬鹿な死に方。
……って、モフモフ草の話の時もおんなじこと言ったような。
どうりで禁止されるわけだ。乾燥しようがしまいが、何一つろくなことにならない草じゃねえか。
「勝手に死んでくれるんならいいんだが、良かったとは言えないんだよな?」
「はい。吸引したものはモフりたい一心で、手当たり次第に周囲のものをモフろうとします。今回、それがスライムなわけですから……」
なるほど。
巨大スライムが触手を伸ばして辺りの樹木を抱きかかえ、そして消化しているのが見える。
通常のしかかって体内へと取り込み消化するだけなのに、触手を使って手当たり次第に取り込んでいるのだから、被害がより拡大していっているわけだ。
つまりはまあ、最悪だ。
「はい、あなた」
随分と気軽にエイミアが薬の片方を俺に渡す。
片方は股間爆発だ。そんな気軽に渡されても困る。
そんな戸惑いに気付いたのか、エイミアは柔らかく笑って安心させようとするかのように俺の手を取った。
「大丈夫だよ? 大切な旦那様だもん。あたしが間違えるわけないよ?」
何の根拠もありゃしない。
でもその笑顔を信じたいと思ってしまったのは、俺がチョロ斧だからだろうか。
諦めのため息を一つつき、俺はビンの封を破る。
「おいアイシャ、アッシュの言ってた言葉の続きは覚えてるか」
「え、お兄ちゃん、やる気なの……? 今さらだけど、本当に良いの、お兄ちゃん」
「ああ、もうこの際だ。覚悟したっていうより諦めに近いけど、でもお前の言う通りでもあるんだ。だから今は、やろうと思う。俺にしかできないことを。そして――」
『やると決めたら、全力でやれ』
アッシュはそう言っていた。
そして言葉通り、あいつは勇者の一人として魔族と戦い、街へ戻れば夫として父として家族と共に過ごし、休む暇がない程にあいつにしかやれないことをしていた。
俺は三年も休んだんだ。
少しぐらい、がんばらなきゃ。あいつに笑われちまう。
それにもう、腹がぺこぺこなんだ。
「それで、さっさと終わらせたら、晩飯にしようぜ」
「あなた、今日はご馳走だよ?」
そりゃあ楽しみだ。
ビンを一気に呷り、ラミアの背を蹴って降下する。
眼下に広がるのは三年間俺が暮らした村。
でも何もかもが嘘だった。
でも本当はわかっていたのかもしれない。
ここは俺の帰る場所じゃないんだって。
だからさよならだ。
「この際だ、全力も全力でやってやるッ!」
落下しながら振り上げた腕の先には斧刃が一つ。
だがさらに、俺は身体中の斧を集約する。
もっともっと、迷いも恐れも断ち切れるように、粉砕できるほどに――。
やがて、ドラゴンの翼のような巨大な斧刃が出来上がる。
その刃の付け根、斧腹の部分に懐かしいものを目にした。
久しく見ていなくてすっかり忘れていたが、一体化する前魔斧には立派な竜の浮き彫り細工が施されていた。
今になってそれが、俺の腕の先に現れていたのだ。
ちょうどいい。
殲撃砕城の勇者の名前は怪物に奪われたし、斧人間はダサいし、新しい名前を勝手に貰うとしようか。
要塞や城なんてケチなもの壊せたって仕方ない。
この世界の頂点に位置する魔法生物、それすら倒せるだけの一撃。
ようやく俺に気付いたのか、スライムの触手が迫り来る。
だが、だからなんだ。
いくら巨大であろうとも、スライムごときが何だというのか。
こっちは毎日、生態系の頂点にいる生き物を相手にしてんだ。
今さら雑魚に出番なんてない。
だからさよならだ。
そして俺は帰って来たんだ。
生まれ変わって。
「これがッ! 竜骨粉砕の勇者の一撃だ――ッ!!」
振り下ろした斧が触手を泡のように弾き、そして本体へ。
口を開けたドラゴンの浮き彫り細工が、波打つスライムを睨み、そして――。
スライムは村ごと、その村のあった山ごと――轟音にかき消されるかのように、跡形もなく消し飛んでいった――。




