コンタクトはハイキック
目を開けると、そこは洞窟のようだった。体を起こせば、先ほどの水場ではなく、なにか大きな空洞状のものの中にいるのが分かる。
壁と思しきものをよくよく見れば、それはねじれた木のようだった。あのデカブツが食べていた螺旋樹じゃないか? 俺はその中にいる?
デカブツ並みにでかい螺旋樹が横に倒れているようで、俺はその中で寝ていたようだ。枯れ木だろうか? 内部は渇ききっている。
いや、待て。俺なんでここで寝てるんだ? うぐっ、頭の側面が痛い? 思い出せ。なんか前後の記憶が霞んでる。
確か、一角ジカの総長に絡まれて、水辺があって、水を飲んでたら――そうだ。一角ジカに小突かれたんだ。そうして倒れた先に……。
そこまでいって、あのトカゲ魚の激烈な悪臭まで思い出してしまった。もう臭いはしないはずなのに、思い出すだけで鼻が痛くなる。もう二度と嗅ぎたくない。
悪臭から逃げて、水に飛び込んだらものすごく深くて、慌てて泳いで陸に上がろうとしたんだっけ? そしたらなんか強い衝撃があったような? そこでなんか見たような気がするんだけど、多分上がった時に強烈な一撃を喰らったんだろう。
いいものを見たような……はて。
「おーう、起きたか?」
声に振り返れば、螺旋樹の奥、いや光が見えるから、出入り口だろうか? そこから男性が現れた。少し汚れた半袖のシャツにジーンズ姿。坊主頭に近い黒髪で、顎や口周りに無精髭が生えている。少し彫りが深い顔立ちだが、日本人かな? 体格は大柄で、俺が見上げるレベルだから、身長は180cm以上だろう。 シャツ越しでもわかるくらい筋肉が浮いていて、腰のベルトには皮袋らしいものをぶら下げている。
……ん? 日本人かもっていうか、人!?
「お、え、あの、え? 人!? 本物!?」
「落ち着け落ち着け、状況はお互い様だろうから、分かってる。見ての通り、純度100%の人間だ。名前は菅野泰治。お前は?」
「や、八木藤彦です」
「ヤギフジヒコ……フジだな。よし、俺はお前をフジと呼ぶ。お前、どれくらいこっちに?」
「どれくらいって、今日です。時間は分からないけど、数時間くらい……? ですかね」
「そうか。今日来たってことは、まだ夜は体験してねえってことか。俺も正確な時間は計ってねえ。というか時計もないしな。ただ、夜を二度過ごしてるから、今日で三日目になる」
「三日目!? ここで三日ですか!?」
「おう、まあ俺は運が良かったのさ。それにしても、びっくりしたぜ、アリサちゃんが急に大声出したからよ、てっきり肉食獣にでも襲われたのかと思ったんだ。そしたら水にお前さんが浮かんでるわ、駆け付けたってのに裸見たからってアリサちゃんに思いっきりみぞおち蹴られるわ……」
菅野というおっさんは、その人の裸でも思い出したのか、鼻の下を伸ばしながらも腹を撫でている。痛かった記憶を思い出してるのか、エロ爆発させてんのかどっちなんだこの人?
それにしても、アリサちゃんって女性だよな? 俺が水に浮かんでて、おっさんの話だと裸の女性が傍に? 思い出したいけど、思い出したらいけないと脳が記憶をぼかしている、
「お前もいいもん見れたろぉ? いやぁあれほどのものを実際に拝めるなんて、早々ないぜおいっ!」
おっさんはエロをこじらせて、俺に同意を求めてきている。あれほどのものって? 思い出そうとすると頭の側面が痛む……。
「なにが、あれほどのものなんですか?」
出入り口から、女性と思わしき声が聞こえた。
「ええ? そりゃあお前アリサちゃんのおっぱ――」
言いかけたおっさんの頭に、その女性から飛んできた棒状のものが直撃した。おっさんは後頭部を抑えて悶える。棒状のものは骨か朽ち木だろうか。
出入り口からこちらに来たのは、黒髪のショートヘアに、タンクトップ、ショートパンツ姿の女性だ。少しボーイッシュな印象を受けるが、目鼻立ちから見ても美人の部類。なによりも――タンクトップというのがより強調している、豊満な胸を隠し切れないその服装! 最高だ。スタイルもいい。出るところは出ていて、締まるところは締まっている!
おっさんが暴走する理由も分かるってもんだ。しかし、なんだろうな。なぜか俺はこの人に恐怖を感じている。あれ、初対面……だよな? どこかで会ったような気もするんだが。
「あ、起きたんだ?」
「初めまして、八木藤彦です。菅野さんからはフジと呼ばれるらしいので、よければフジと呼んでください」
「……初めまして?」
「え? 初対面ですよね? 前後の記憶が曖昧なんですけど、水に浮かんでたところを助けていただいたとか?」
「本当に覚えてないの?」
「なにをです? ああ、そういえば頭の側面が痛むんですけど、俺なんで水に浮かんでたんでしょう?」
「え、いや、それは」
アリサちゃん、らしい女性は声を上ずらせると、笑って会話を断ち切った。余程のことがあったのか? それともまさかこの人が関係してる?
「あ、そうそう! 自己紹介まだよね? 私は宮本有紗よ。しばらく一緒に行動すると思うから、よろしくね」
「一緒に?」
「一人で砂漠を彷徨いたいっていうなら、止めないけど?」
「是非ともご一緒させてください」
「素直ねぇ」
アリサさんは少しだけ笑ってくれる。可愛い。もう少し二人で話していたかったが、その隣で悶えていたおっさんが起き上がった。
「いってぇ……なんだ、フジ。お前、アリサちゃんのこと覚えてないのか?」
「覚えてって? 初対面だと思うんですけど」
「……アリサちゃん、確かにびっくりもしただろうけどよ、ちょっと強くやりすぎたんじゃねえか? 記憶飛ぶとか相当だぞ?」
「あー、あの時、ちょうどフジ君の頭が水辺の岩に直撃したのも原因かも?」
「よく生きてたなぁ、フジ……」
なんだろう、よく分からんけどおっさんに同情の眼差しを向けられている気がする。え? なに? 岩に直撃って、どういう状況? 俺の頭大丈夫? 割れてない?
昔から石頭とは言われてたけど、今はそれが幸いしたような。運も絡んだかもしれないけど。
「あ、そうだ。ここは一体どこなんでしょう? 俺、気付いたらこの砂漠にいたんです」
「その質問には、二通り答えよう。まず、ここは枯れ木の中だ。お前がいた水辺は、一つ砂丘挟んだ裏にある。で、この砂漠にいる理由に関しては分からん。俺らも気付いたらここにいた。アリサちゃんともたまたま会っただけで、最初から一緒にいたわけじゃねぇ。今のところ俺とアリサちゃんに共通してるのは――二人ともBCを使っていたことだ」
BC。やっぱりあれが原因なのか?
「俺もBC買ったばかりで、多分起動してここに……」
「多分、か。お前さんも、前後の記憶が曖昧なんだな。まあ、脳と繋げるって機械だ。記憶に影響してもおかしくはないが、そうならないためのセーフティだろうに」
嘲笑するようにおっさんは自分の胸らへんに指を伸ばす。そして、なにかに気付いたようにその指を引っ込めた。
「煙草、吸うんですか?」
「ああ、いつもはワイシャツの胸ポケットに入ってんだ。今のでよくわかったな」
「親父も同じ仕草するんです。気になってたんですけど、お二人の恰好も寝巻とか、部屋着ですか?」
「おう、部屋着だ」
「私は寝巻ね。夜だったし」
「俺も寝巻です。帰って着替えてから起動したからなんでしょうけど。やっぱり、服装はみんなBCいじった時のままなんですね」
「そうらしい。おっと、忘れてた。そういやお前さん、靴なかったな」
「え? そりゃあないですけど」
「よし、ちょっと待ってろ」
おっさんがさらに螺旋樹のさらに奥へと移動する。その際、俺は視線を落として、驚いた。同じ状況だと思っていたアリサさんとおっさんの足には、ちゃっかり靴らしいものが履かれていた。靴というかはサンダルとか、そっちに近いかも?
なんだこれ? 皮みたいので作られている。現実の靴では見たことないぞ。もしかして、自作なのか?
「ほれ、もう一人二人増えた時のために作っといた」
その言葉通り、皮製の靴が手渡される。靴底は何層か折り重なっていて、周りもなにかの生物の皮で靴っぽく作られている。側は少し硬めの素材だ。その素材は、鈍い銀色に光った。
履いてみると、しっとりと肌に吸い付くような感触だ。立って少し歩いてみると、靴底は柔らかいようで、しっかりとした弾力、硬さがある。ゴムのような感じだ。
この感じ、どっかで似た感触のものに触れたことがあったような。そうだ。あのトカゲ魚の背ビレじゃないか? そうだよ、側の鈍い銀色の素材、あいつの皮だ!
「すごいですね! 作ったんですよね? これ、あのトカゲ魚の素材ですか?」
「トカゲ魚? がはははは! なるほど、確かにそう見えなくもねぇな! 俺は歩く魚としか思ってなかったぜ! その通り、俺が夜なべして作った。よくあいつの皮だって分かったな」
「苦い思い出があるもので、嫌でも姿を覚えました。どうやってトカゲ魚を仕留めたんです? あいつら、凄まじいガス兵器みたいな臭い出すのに」
「あれ、凄い臭いよね……」
「あいつら、極めて警戒心が薄いからな。あの臭いを出される前に、後ろから襲って喉か前足の付け根をグサッとやってやるだけよ。こいつでな」
おっさんが手を回し、尻側に下がっていた皮袋から抜いたのは、ナイフ状に持てるように加工された、鋭利で大きななにかの歯だった。取っ手にはトカゲ魚の皮が巻かれ、歯を取っ手に紐状のもので括りつけている。
「大して研いでねぇけど、元からかなり鋭かった。刺突するだけなら、素のままで十分だぜ」
鋭く伸びるその犬歯に、俺は見覚えがあった。いや、その生物以外に思い当たる生き物には遭遇していない。
あの六本足の歯だ。間違いない。それをナイフとしておっさんは使っている。一体どうやって? まさかあの六本足に勝ったのか? そうだとしたらこのおっさん、とんでもない人だぞ。